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孕み人魚と惡の華(挿絵版)  作者: 陸一じゅん
人魚はまだ生きている

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20/33

第十二夜 綿津見の木 後編

※お知らせ

所要により、お盆の(9~12日)期間の更新はありません。


次話の8日(月)ぶん『平成百鬼夜行の事情 前編』は、挿絵が完成しだい更新いたします。

挿絵(By みてみん)





 今年の夏のことだ。おれは久しぶりに、あいつと喧嘩をした。





 ―――――――そろそろいいだろ。それぞれが好きに動いても。お前もサ、好きにしろよ。





 ―――――――……ふうん。そう。わかった。





 クウは心底つまらなそうな顔をして、おれに背を向けたのだ。そんなつらを見たのは初めてで、おれは少し、腹が立った。……なんであいつは、ツマラんナンやにこだわるんだろう。勝手なやつだな。でもマ、おれの方が大人だから、辛抱してやらねえとな、なんて。


 おれ達にだって、故郷を探そうと必死になった時があった。おやじに頼んで方々行き着くたんびに自分らの痕跡を探したし、勉強もさせてもらった。おやじがおれ達を拾ったっていう川にだって、何度足を運んだか分からない。学校だって、最初の目的はそれの延長線上だったはずだった。


 けれど、なのに、いつしか不安に思うこともなくなった。慣れちまったんだ。


 昼夜で逆転する生活も、夜のあいつの癇癪も、昼の自分の存在にも。どうせ変わらないもんだと諦めた。手段と目的が入れ替わり、勉学そのものが楽しくなった。金を稼ぐことに甲斐を見つけた。目標が出来て、莫迦な考えを持った。





 ―――――――もし、ただのヒトだったなら……。





 ―――――――でも今更、ただの人間に戻ったって……。





 おれは口には出したことはない。けれどもあいつは、気付いていたはずである。もしかしたら、昼のおれが漏らしたこともあったかもしれない。


 どうせ変わらないのなら、自分から変わってやろうとおれは考えた。学校へ行って、やがては仕事して、夜の間だけでも人間になろうとした。昼間は仕方ない。 だって、こんな体だから。


 仕方ない、仕方ない……。


 おれは、ちょっと立派になった気がしていた。何したって、あいつはあいつで、おれはおれのまんまで、別の何かにはなったりやしないのだ。その思い込みの付けが、こうして返ってきている。


 おんなじ立場だと思っていた。おんなじ所に立って、おんなじもんを見ているもんだと。あいつのことなら、なんでも分かるもんだって。


 そんなのは、おれの勝手な思い込みだったのだ。


 おれは夏の間、あいつがどこに行っていたのかも知らなかった。








「―――――――………かげんにしないかい! 母さんっ! 」





 だだんっ、と大きな音がして、おれは気付けば床の上にべっちゃりと這いつくばっていた。床に接着した半身が、じわじわ痺れるように痛んでいくのが分かる。 おれは床に叩きつけられたのだ。





「……母さん、もうやめとくれ。あたしはもう見てられませんよ」


「アラ、照朱朗ったら。いつからわたくしに、そんな気取った口をきくようになったの」


「母さん……」ほとほと困り果てたような照朱朗さんのぼそぼそと低い声色は、次に大きな呼気と共に吐き出された時には、聞いたことの無いしっかりと太い若者の声に変わっていた。「……俺は母さんの味方だが、母さんのやるすべてを認める訳にはいかないよ。間違っていると思ったのなら、あんたに反抗だってしよう。なあ、母さん、ここいらが潮時じゃあないのか」


「照朱朗、あんた、恩を忘れたの」


「母さん、言ったろうよ。俺はあんたの味方さ。あんたが死ぬまで、俺が死ぬまで、それは変わらんことだろうさ。でもよウ、今の母さんは俺が恩返しをしたい母さんじゃアねえよ。そもそもあんたは、そんな恩着せがましい、器量の狭い言い方をするオ人じゃあ無かったろ」


「照朱朗! この恩知らず! 」


「母さん。なあ、母さん……あんたは、こんまま狂うのかい? たかだか死期が近いくらいで、八千代を生きた沼人魚の長が狂っちまうのかい。俺を拾い上げた慈悲は忘れちまったのかよ。そンなら俺は、あんたに反乱するしか無ェんだよ……」


 暖かい手の平が上から差し出される。おゆうだった。震える少女幽霊は、固唾を飲んで行く末を見つめている。


 ふと、ざわざわと、部屋の四隅で何かが蠢いた。暗がりから濃い影が流れ出し、床や壁の窪みを滲みていくように垂れこめる。


「照朱朗っ! ここはわたくしの屋敷よ! 」


「はい。そうですよ。ここは瑞子さまの屋敷で、俺ン母さんと、息子の俺の屋敷だ」


 月明かりを影が埋めていく。影はあとからあとから、人の手や、足や、獣の形をした影が、上塗りして闇に染めていく。きらり、と、闇の一点が光った。


「お照! 」


「おや、懐かしい呼び名だことね……ちっこいお照姫はもういねえんだよ、母さん」


 人魚を見下ろす照朱朗さんの周りには、たくさんの色んな目玉がぎらぎら光っていた。


 おれはそこで、おゆうの手を借りてヤットコサ身を起こした。四方を囲む、目玉、目玉、目玉。ぎょろぎょろと血走り威嚇に余念がない様子のそれらを従えるように、でんと仁王立ちする照朱朗さんの背が、おれの前に黒々と影法師となって聳えている。白けた顔をした瑞子さまの足元だけがぽっかり丸く、影は手を伸ばし迫りつつも、ジリジリとして歩みが遅い。


 瑞子さまは長い袖から指先を上げ、ツィとこちらを指し示した。闇から目玉が言う。『おおっと、コリャアいけねえや……』


 よく似た感覚を知っていた。冷たい水を被ったように毛穴が粟立ち、目玉たちがざわめく。人魚の指先が何かを引っ張る。


 とたん、部屋いっぱいに見えない水の濁流が渦巻き、空間をかき混ぜ、引き倒されたものが浮いては渦に巻かれていく。小さい目玉から闇を掻きまぜながら千切れ飛んで、キャアキャアいって宙を舞った。


 おれは頭を抱え四肢を踏ん張りながら、体を叩く水流に、あいつらの言葉を思い出していた。





 ―――――――今まで一度も考えなかったのか?





 ―――――――それはこの子が、人魚の血を受けたコだから。





 ああ、そうなのかもしれない。人魚はそう言ったじゃあないか。これが証拠じゃあないか。おれがこうして生きているのは、人魚の血を受け、飲んだからなのだ。


 それはいつだ。おれが『空船』になる前? ……じゃあ、雲児は?







『雪ちゃアん! こりゃあ無理だよォ! おれたちの手にゃ余るよォ! 逃げてもいいかぁい―――――――』


『この臆病者っ! 雪ちゃんが、どんな思いで御母上に刃を向けていると思うておる! ふんばれぇえ―――――――イ! ソウレェ―――――――』


『ソレェ――――イ』


『エエイ、これで全員か! 増援はまだなんか! 』


「ああっもうっ! みんな気張るのよ! 潰れんじゃないわよ! 後でなんでもしたげるから! 」


『アサコちゃん、本当かい? なんでもかい。じゃあおいら……』


「そんなこと言うやつには何もしないわよバカッ! 働いてからモノ言いなさいっ」


「あんたたち、わたくしが誰か分かっているの」


『人魚さま、おいらたちは雪ちゃんについてきてんだよ。おいらは雪ちゃんの味方だよ。雪ちゃんが人魚さまの御母上だろうと関係ねえや―――――――』


『ソウダソウダ―――――――』





「母さん、そういうことなのさ」


 ずい、と渦の中に一歩、照朱朗さんは踏み出した。


「忘れたかい? もともと不良息子のあたしさ。ずいぶん長く留守にしたのがまずかったねェ……この屋敷はあたしら一派がすっかり乗っ獲った。母上様や、取り返しに来るンなら正面から迎え撃とう。今夜は引いてくんないかしら」


「ふふ……照朱朗……あとで後悔するのはあなたの方よ」


「アッハッハ、では、行いを反省なされるのは母さんの方ですよ。静かな沼の底で、お立場を自覚してくださいませ」


「アハハハハハ……! 立場を分かっていないのはあなたの方でしょう。まあいいわ……」唐突に人魚の目が、おれの方を向いた。「……わたくしは本当のことを教えただけ。それで勝手に狂ったのはあの子。嘘をつくなと口ではそう言っておいて、一番あの子が嘘をついている……ふふ……でもあの子との賭けは、まだ負けてはいませんから。そうでしょう。ちゃらになんてしないわよね。ネエ……」


 ぽこ、ぽこ、ぽこ……その輪郭はみるみる霞み、ぼやけ、崩れ、見えない水に溶けて、すっかりその場から消えてしまった。


タイトル元ネタ/ワダツミの木(元ちとせ)


次回予告『平成百鬼夜行の事情 前編』




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