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孕み人魚と惡の華(挿絵版)  作者: 陸一じゅん
人魚はまだ生きている
12/33

第八夜 浴室に金魚の箱 後編

これは果たして『ホラー』なのか、『ファンタジー』なのか、『推理』なのか。

ホラーにしてはファンタジー。ファンタジーにしては暗い。ファンタジーを含んだトリックは、果たして推理としても良いのか。

どなたかご意見を。

挿絵(By みてみん)


 ◐





 布団で目が覚めた。慣れた感触と匂いがする。うちの布団だ、とすぐにわかった。


 顔に手を向ける。ぺたり、と何の面白味もない自分の顔にあたった。外は暗い。今は夜か。


「釣眼」


「……なんだい。空船」


 声は枕元から聞こえた。おれはぐるりと視線を上に向け、白い揃えられた膝を見て、はっと身を起こして部屋の隅に飛び込む。


「……おまえ、釣眼か」


「そうとも」


 にんまりと、白い顔が笑う。特徴的な三白眼だけは、にやりともせずにこちらを見据えていた。服は、紺地に燕と沈丁花の着物。昔に誂えてもらってから、和服は締め付けるのがいやだと雲児が袖を通さなかった着物。


「その体、雲児のものか」


「おうとも」





 肩に長く垂らした髪を払い、さっと釣眼は立ち上がった。そうするとアイツの容貌は、まるで古代の貴族の子のように見える。こう見るとあいつは、ずいぶん神経質そうな顔をしているものだ。この顔で高慢ちきに丁寧語なんぞで喋られたら、どんなに癪に障る子供になるだろう。この顔で尊大に振る舞われたら、どんなに凄みが出るだろう。


「ア奴が残していったもの。わしが使うて何が悪い? 」


 雲児の貌で、釣眼はそう言った。


「所有権は、おまえよりもおれにあるだろう。おまえの主はおれで、あいつはおれの片割れだ。今すぐ出ていけ。おれは許さないぞ」


「そんな白い顔をして、おまえに何ができる」


 おれを見下ろし、釣眼は鼻で笑ってみせる。そういう意地の悪そうな貌は、まんま雲児とおんなじものだ。ざざぁっと、自分の血の気が引く音を聞いた気がした。


「クウに成り代わるつもりか? 出来ないぞ、そんなこと。あいつはあれで個性的だからな」


「そうかい? 真似もしやすいってもんさ」


「乙子のおやじがいる。おれたちをずっと見てきたおやじだ。絶対に気が付くぞ」


「さあ、どうかしらネェ」


「どういう意味だ」


「おまえと雲児がオンナジなら、わしとおまえもオンナジものだ。なら、わしと雲児がオンナジでないと何故いえる? ……まあ、真似するくらいは造作もなかろう。ふふふ」


「何を言っている……? 」


「何を、とは。当然のことを言っているだけのこと。その当然の事すら、空船、おまえは知りもしないのだ。雲児はもうとっくの先に気付いていたことだというのに」


「面は、分割されたおれだとでもいうのか? おれが多重人格者だとでも? 」


「人間の病の虫はおまえにゃ憑かぬだろう? 面はおまえの要素の一つにすぎぬ。わしを除いてはね。窮地にわしを頼ったのは間違いだったのう……河津ならば、まだおまえの手で封じることもできたろうに……こうしてわしは漁夫の利を得たというわけだ」


 布団を跨ぎ、釣眼はおれに二歩三歩と近寄った。


「今まで一度も考えなかったのか? 面がおまえにとって何か。もとは何だったのか。そして、おまえは誰なのか」


「おれが誰かって? おれは空船だ」


「どこで死んだ。台風で川で流された? それはいったいどこの川からだ? いつの台風だ? それは本当に三十年前あの日の台風だったのか? 水底に沈んでいたおまえ達が、台風で川底が削られて浮かんできた……なんてことは? そもそもおまえは本当に人間だったのか? ただの人間が、このように蘇ることなどはあるまいよ」





 ぺたり、ぺたり、ぺたり……。


 釣眼はおれを追い詰める。おれは壁にすがり、腰に力が入らず、無様に膝をついた。ざらついた土壁を背にしたとたん、雲児の短い腕がおれの頭の上に手を付く。金色の瞳が、おれを見据えた。


「では空船とは何だ?雲児とは? 奴は、どうしてお前と共にいる? おまえ達は離れると、どうしてそうも弱ってしまうんだ? なぜ離れてはいけない。なぜ運命を共にしなくてはいけない。なぜ面がある。“翁”“女”“男”“死者”……その中に、なぜわしという“神”が混じっている。昼と夜で姿が違うのはなぜだ。それも、併せたように交互にあやかしと人とを行き来する。互いを補うように。互いが監視者であるかのように。なぜ死なぬ。なぜ老いぬ。人は死んでいくものなのに、なぜ雲児と空船は生きる。―――――――いったいいつまでぼくらは生きるのだ! 」


 唾を飛ばして竜神は吠えた。





「……それは、雲児が隠していた真の言葉か」


「……そう。雲児はずっと思っていた。おまえは今のままが気に入っているようだがね。幼いのと、若いのは、まったく違うのさ。幼いままの雲児、若いままのおまえ……雲児はそれをずぅっと考えていた」


「おれに嫉妬していたのか。ずっと」


「妬いていた。妬んでいたとも! 若いおまえは、どこにでも行けるだろうさ。けれど幼い雲児は、子供の行けるところまでしか許されない。不公平だと思っていたともさ」


「『ぼくは子供だから、もう我慢でけへんよ』……あれはそういう意味なのか」


「人ですら、裏と表と左右の顔がある。お前たちは昼と夜、それぞれの姿を持っている。そして必ずしも、一つだけの顔が現われているとは限らぬ。二つ三つの面が、まったく同時に浮かび上がることもある」


「あいつの隠し事は他にもあるっていうのか? 」


「あいつの面は、風に吹き飛ぶようなおまえとは違う。面を剥さぬことが必要だったのだ。すぐに入れ替わるおまえとは違って」


「……おれよりよく知っているんだな。釣眼」


「知っているとも。今やわしは、雲児のこころの方がよく分かる……」


「ならば知っていること、すべておれに教えてもらうぞ。覚悟しろよ釣眼……」


 ぶわりとこの身を、見えない水が取り囲む。生臭い潮のかおり。生物が死んでいく水のにおい。おもかげの静かな水面とは比べ物にならない。釣眼の、すべてを押し流す清流とは程遠い、へどろを掻き回して引き摺りこむ濁流―――――。


 くさいのは、この面の総身そのものが水に浸って腐っているからだ。薄い頭髪がばらばらと頭蓋に張り付き、骨に皮を張ったような顔の切れ目から、血走った眼とぎらつく金の瞳が、貪欲にぎょろぎょろ蠢いていた。


 河津。溺死した男の面。





「……なぁるほどゥ。空船ヤァ、ついにこうなったか。そうかそうか……おれはいつか、こうなるのではと危惧しておったともさ。アラマ、ヤァヤァ釣眼のダンナァ。ご機嫌麗しゅうこってエ」


 河津のひょうけた口の端に、隠しきれない淀んだこころが歪みとなって現れている。


 雲児の顔で、いっさいの表情というものを消して、釣眼は口をつぐんでいる。眼には光が差さず、顔は闇に浮かび上がるほどに白い。


 能面の時よりも能面らしい面で、釣眼は。





「……茶番じゃのう」


 言って、腕を振り上げた。





 泡立つどぶ水が、冷たい清流に流される。渦巻く水は滝壺となり、おれを閉じ込めて蜷局を巻く。





 ――――息が取れない。


『オオォ、冷たい冷たい。昔を思い出す……イヤァなことだァ。さしものアコギも、竜神には逆らえぬのよナァアァァ……ヒハハハハハハアァァァァァ………』


 河津の狂った笑い声が吸い込まれていくように消えていく。目蓋がひっくり返りそうになりながら、おれは腕をめちゃくちゃに水を掻いた。その足掻きすらも締め上げて、清流はおれから体力を剥ぎ取っていく。


 ――――嫌な思い出だ。海で溺れた記憶。動けなくなるのには、そうかからなかったのだろうけれど、あの時とおんなじように、五分にも、十分にも、一時間にもその時は長く感じた。





 暗闇の渦の中に落ちていく。星のような白い瞬きが渦の奥にちりばめられている。竜神の胎の内は、かくも美しく底なしだった。


 ……この身も、小狡い釣眼に喰われるのか。


 雲児を取り戻すことも出来ず。


 もう二度と逢うことも叶わず。


 ……謝ることも叶わず。


『アコギよのゥ。運命というやつは、水の流れの様で地獄の火のようにその身を炙るのだから……』


 消えたはずの河津の声がポコリと泡のように浮かんで、やがて底のほうで弾けた。


 ゆらりと揺れる。


 ふわりと浮きあがる。


 おまえがまだ、あの木と共にいるのなら、なあクウ……おれは、おまえンところにいきたいよ。





 ◐





 あたくしは、裾をからげて廊下を走った。後ろから、赤毛と女学生がついてくる。


「どういうつもりだい、あんた」


「どうも何もありませんわ。あたくし、空船に会いに行くの」


「また空船にくっつくのかい」


「いいえ」違う。雲児のお使いは、まるきり違う。あたくしは一度、雲児のところへ戻らなければならない。「それはずっと後に、そうなれば良いっていうだけ」


「もう一度空船にくっつける保証はないってことかい」


「そうね。時の運というやつだわ」





 ………ドウドウドウドウ。


 水の渦巻く音が聞こえる。赤毛の麗人が足をゆるめたのが分かった。「アサコ、おまえは車にいなっ」後ろに叫んで、また駆け出す。


 後続がそうやっているうち、あたくしはすっかり静まり返った襖の前に立っていた。襖の下から、じっとりと水の気配がする。水たまりが湧いて出ていて、あたくしの足の先っぽを濡らした。


 あたくしが襖を開けた時、そこには空船と釣眼がいた。浸った畳の上に、空船が崩れ落ちるところだった。


「オンヤ、マア……誰かと思ったら。女面か」


「ええ、釣眼さま。お互い、珍しくも二本足が生えていますわね」


 ああ、なんて哀れな御姿……あなたはそんな無様を晒していいお人じゃあないのに。


「ネエ、釣眼さま……貴方様は、御自分のお名前をご存じ? 」


「なんだって? 」


「あたくし、貴方様をお迎えに上がりましたのよ。ネエ、釣眼さま。貴方様は、御自分のお名前をご存じなのかしら……」


 気が付けば、あたくしは首をそらして上を見上げていた。釣眼の顔は口が耳まで裂け、首が蛇のように伸びて、金色の目がぎらぎらと光って、あたくしを睨んでいる。


「なぜおまえが知っている」


「ネエ、釣眼さま。貴方様は、どうして自分が何にも知らないのかをご存じなのかしら」


「おまえは知っているというのかい」


「あたくしは知りませんとも。知っているのは雲児ですわ」


「……おまえと共に来いということか」


「ええ、本物の雲児が待っております」


 釣眼は、なんだか深く考えているようであった。背後で赤毛の人が空船を回収し、静かに襖を閉めていく。まったく、蛇というものは目の前のことに夢中になると、周りの事は何にも見えやしないのだ。





 釣眼はたっぷりと熟考し、やがて頷いた。


「よし分かった。連れていけ」



次回予告『けものみち 前編』

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