Ⅲ サーカイル家の子
ーーー馬車の中ーーー
ドコドコと揺れる馬車の中には少年の姿があった。
道が悪い。
度々小石に引っかかり音を立てる。
少年は頬杖をつきながらカーテンの隙間から見え隠する景色を覗く。
黄金の瞳が見つめた先に、のどかな街の風景はない。
街の住民の声はする。
しかしながら、その声は遠い。
壁があるのだ。
真っ白な壁。
高くはっきりと貴族と平民の壁は建つ。
「つまらねぇ…」
健康そうな少し焼けた肌。
赤茶の前髪をくくりピンで頭の上にとめている。
少年は礼装をしていた。
つまりは貴族側の人間である。
詰襟に向かってフロントサイドにシンメトリーのボタンをし、しっかりとした膝下まである黒ブーツを履いている。色といえば詰襟の間から覗く程度の青のシャツと腰にある聖剣をさした青のソードベルトのみの風格を思わせる少年、メイ・サーカイルは、アスフィニア王国中央のアスフィニア城へ向かっていた。
9月は半ば、窓から吹き込む風に夏の終わりを感じながらメイは、サーカイル家の証である手首に刻まれた刺青へと視線を変えた。
メイはふと邸を出る前のことを思い出す。
*
邸の正面階段。
中央から登り左右に分かれるように広がる深緑色の階段と焦げ茶色の手すりは、いつも使用人の手によりよく磨かれ埃一つない。
古い邸だ。所々にガタがきているのは言い訳のしようがない。
なにせ、祖父の代から長くこの地に住み王に忠誠を尽くしてきたのだから
その歴史を感じさせる趣も由緒ある風貌も理解できる。
階段の壁には有名画家による油絵が何枚も飾られている。
その中でもひときは大きな油絵がある。金の装飾があしらわれた金の額縁に収められたその絵には二人の男女が立っていた。
一人は母だ。
幸せそうに微笑む若彼氏頃の母だ。
金色の髪を耳の横でまとめ、肩まで流したウェーブのかかった毛先。
耳には真珠のイアリングをまさに幸せを描いたような絵だった。
その隣、軍服を着た男が優しく彼女と手を重ねていた。
二人の指にはシルバーのリングが光かっていた。
メイの、父だ。
「メイ様そろそろお時間ですぞ」
階段の下からだった。
しわがれた声の方の先には燕尾服を着た一人の男が立っていた。
「じぃ、母さんの事よろしく頼むよ」
白髪の男はコクリと頷くと
「お任せくだされ」
と、低く優しげな声音で承諾した。
遠くで聞こえる母の声。
「メイルどこなの、メイル」
その声は父の名を呼んでいたーーー。
メイは静かに拳を握る。
誰にも、見られないように。
*
ゴト、ゴト、ゴト
王都まではまだある。
14年前の事だ。
一般的に“隠されし日”と呼ばれるその日に、父メイル・サーカイルは殉職したーー。メイが僅か2歳の時である。
なぜ“隠されし日”などと呼ばれるのかは知らない。
だが、知っていることはある。
父は英雄だった、ということだ。
幼き頃ゆえ、父の話は使用人や身内によってのみ伝えられた。
父は、鬼から国を守った誉れ高き英雄として2階級特進し、サーカイル家は現当主であるメイ・サーカイルへと引き継がれた。それが今の現状である。
家の代表として恥じぬ騎士に……そう常々教えられてきたメイにとって、今日という日はとても重大な日であった。
というのも、王族や名のある高位の貴族が集まる王位継承の日。
それは格好のアピールの場だ。それぞれの家が国王に媚びを売り上へ上へと位を高めて競い合うための第一歩。
貴族階級というだけでその力は絶大なものである。
貴族は国に軍事力と財政力を提供し、軍事的貢献の見返りとして様々な特権が与えられている。
その力を私利私欲に使い偽りの平和を堪能する者も大勝れ少なかれいた。
メイとしては是非とも王の御眼鏡にかないたく今日の王位継承に足を運んだのである。
だが、今回の王位継承の儀式はある意味異例の儀式だった。と、言うのも大王オースティン=アスヒィニアント=ベルル様が大病で床に伏せ急遽次の国王を決めなくてはならなくなったのだ。
「誰につくかそれがこれからのサーカイル家を左右するな…」
メイは透明な膜の中から見たみたいな青空を眺めた。雲も風もない静かな空だった。
・
・
・
*
~同時刻~
アスフィニア王国 最南端ーーーヴァリ
「脆い結界ですな。ノックしたら壊れちまいそうですぜ」
白い砂嵐の奥。
薄い膜のようにぼんやりとした結界はメラメラと歪んだ円を描いていた。
黒フードの二人組は結界の外からアスフィニア王国を眺めた。
……が、見えない。
ただでさえ砂嵐が酷いのに結界はボロボロで、ある意味曇りガラスのように白く濁った色をしていた。
手前にいた黒フードの青年は軽く結界を撫でる。
殻が欠け落ちたみたいにパラパラと触れた部分が舞い落ちる。
「酷い。ディオさん、これって」
ストールを巻いた男へ振り返る
「あぁ、恐らくその欠けた結界で砂の海が作られたんだろ」
ディオ、そう呼ばれた男はフードを深くかぶったままこもった声で答えた。
ここまで酷い嵐になったのは、なにも脆い結界のせいだけではない。
アスフィニアの地形も関係していた。
東からくる乾燥した風が欠片となった結界壁を巻き上げるのだ。
舞い上がる砂のせいで辺りは見え隠れし一度道を見失えば二度と元の場所へは帰れない。
「この程度の結界で鬼獣の侵入を防ごうとは人間も馬鹿げていやすね。ぼくらの国とは大違い」
ディオは結界を軽くけ破り簡単に国内に入り込んだ。
「行くぞ、ウー」
「はいよ」
ウー、と呼ばれた小柄な青年も後に続く。
アスフィニア王国に二つの影が迫っていたーーーー