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9 重要な選択

 二十一時になり、私は今日も『恋甘』の世界に飛んでくる。三回目となると、だいぶ違和感はなくなってきた。まだ夢を見ているのではないかとも思うが、それにしてはやけにリアリティ溢れる夢である。実際ゲームを実体験していると考えたほうがいいだろう。休憩スペースの絨毯の上に立っていると、ヨリコさんが現れた。


「さあ、このエプロンをつけたらゲーム開始だから。今日も張り切っていこうね」


 なるほど、エプロンがセーブデータから始めることを意味しているのか。ゲーム機のスイッチみたいだなと思うと、それはそれで面白い。

 白いギャザーフリルエプロンを身につけ、私は【ローズスイーツ】ストロベリー売店内に入った。


「こんにちは、浅岡店長」

「あ、こんにちは、黒岩さん」


 売店で一番に黒岩エイジさんから挨拶をされた。彼は副店長で、早番の九時から十八時勤務か、遅番の十一時から二十時勤務のどちらかであるようだった。シフト表を見ると、今日は二見ヨリコさんと黒岩さんが早番らしい。彼は優しく笑った。


「どう? 浅岡店長、ここの仕事に慣れてきた?」

「一通りの物の置き場所や売り上げなどはわかってきましたが、それでもまだ慣れないことが多いですね。色々教えてもらえると嬉しいです」

「任せてよ、なんでも訊いていいからさ」


 そう頼もしげに言う黒岩エイジさんは、岩波英二さんの面影が垣間見える。なんだかお兄さんみたい、と同い年ながら思ってしまった。岩波さんも頼りになるお兄さんという印象がある。

 十二時に萩尾トオルさんが来店してケーキを買い求めて、またバスに乗って帰っていった。萩尾さんはどうもシフォンケーキがお好みのようである。ふわりとしたケーキが萩尾さんの柔らかい雰囲気と合っている気がした。でもなあ、と思う。彼の気安い物言いは常連のお客さんとして接する分には楽しいが、逆に言えばあくまで「お客さん」の範囲から出ない。恋愛対象としての感情は持てないのである。


「浅岡店長、このデータを見てから『母の日』のこと考えて」


 萩尾さんが去ったあと、黒岩さんがパソコンのデータを示した。『母の日』という単語に身体がびくっとなる。ヨリコさんが昨日言っていた「イベント」──『母の日』イベントが始まるのか。

 黒岩さんが昨年の『母の日』のデータをパソコン画面に表示していた。来客数や売り上げ、特別ケーキの種類などが記してあった。それを見ていると、不意に私の目の前に、パソコン画面と違う表示がぽんっと浮かび上がった。


「え……?」


 急に現れた表示を見てみると、数字が四つ書かれていた。数字……? 不思議に思いつつ、短く書かれたそれを読む。


『1 黒岩エイジに母の日の発注について相談する

 2 上杉タクヤに母の日のアイデアを訊く

 3 中峰コウキに店長として母の日の傾向を尋ねる

 4 萩尾トオルに母の日にどういうケーキを買いたいか問う』


「こ、れは……」


 戸惑っていると、黒岩さんの陰からヨリコさんが出てきた。ヨリコさんは笑顔で告げる。


「『母の日』イベントの始まりだよ。カオルちゃんならこの数字の意味、理解できるよね?」


 私の反応を面白そうに窺っているように思える。私は数字を見つめた。──何度も選んできた数字。つまり──乙女ゲームの選択肢であるのだろう。ここで選択することによって、誰かの好感度が上がることは乙女ゲーマーとしてわかった。私は顎に手を当て、考え込む。どの数字を選ぶべきだろうか──。


 まず真っ先に3の中峰コウキ店長は除外した。彼は攻略したくない。そうすると黒岩エイジさんか、上杉タクヤくんか、萩尾トオルさんの中から選ぶことになる。「イベント」というくらいなのだから、『母の日』は成功させなければ好感度は上がらないのだろう。成功率を考えると、お客さんである萩尾さんの選択は危険である。ひとりのお客さんだけに話を訊いても、あまり参考にならないだろう。それに──萩尾さんは攻略対象として見られなかった。


「うーん……」


 果たして黒岩エイジさんか、上杉タクヤくんか。黒岩さんの助言は、副店長なのだから恐らくためになるはずである。だけど私は──2のタクヤくんを選択した。こればかりは、攻略対象として見られるか見られないかの差であった。


 ──私はタクヤくんと恋愛してみたい。現実の杉浦拓也くんも優しくて思いやりがあり、そういうところは好ましく思っていた。ゲームの中のタクヤくんとも話していて楽しいし、何よりあのくっきりとした双眸に惹かれた。終礼のときも適切な意見だったし、素晴らしいアイデアが聞けそうである。

 私が2のタクヤくんを選択したことに、ヨリコさんは目を見張った。


「その選択肢でいいの?」

「はい。決めました」


 私は晴れやかにヨリコさんに向かって決意を表明した。


 ♦ ♦ ♦


 十六時になって、タクヤくんが遅番のアルバイトにきた。私は早速『母の日』について訊いてみる。


「タクヤくんは働くの四年目だから、色々経験していることを信頼して訊くけど、今度の『母の日』が成功するようなアイデアはないかな?」


 単刀直入に尋ねると、彼は一瞬黙り込み、視線を上にあげた。ややあって、静かに答えてくれた。


「『母の日』についてのアイデアですか……。俺は男なので男としての立場で言うと、女性ほど記念日を重視していないんですよ。その当日になって、初めて『あ、この日は記念日だった』って思うんですよね。だから成功させるためには、前もってアピールすることが重要だと思います」


 タクヤくんの話に、なるほどと納得する。【パティスリーフカミ】でも、バレンタインは前々から女性客が多く訪れたが、ホワイトデーは当日に男性客が慌てて来店したことを思い出した。


「五月の第二日曜日が『母の日』ですよね。五月になったらすぐにお店全体をカーネーションの造花で飾りつけて、クッキーや焼き菓子の箱にカーネーションのシールを貼ることをおすすめします。あとは冷蔵ケースの上に『母の日』の日付と主力商品を書いた大きなポップを置くのもいいですね」


 彼は考えつつアイデアを述べてくれた。全ていいアイデアで、私はそれらを実施することにした。五月に入ってすぐに宣伝を始めれば、男性のお客さんも、『母の日』を意識するだろう。


「アイデアを言ってくれてありがとう。すごくいい見解だね。やってみるよ」

「いえ、月並みなことしか言えなくて、あまり役には立てないかもしれません」


 タクヤくんがそう言った次の瞬間、彼の周りをピンクの花びらがふわふわ舞い、それは直後に消えた。


「……え?」


 なんだったのだろうと目を擦ってみた。幻でも見たのだろうか。タクヤくんは花びらに気づかなかったようで、私の仕草に首を傾げている。


「浅岡店長? どうかしましたか?」

「……ううん。多分、何か見間違えたんだと思う……」


 頭を左右に振ると、彼は心配そうに私を黒い瞳で見つめていた。


「大丈夫だから。ごめんね、働こう?」

「はい。でも無理はしないでくださいよ。店長の自覚を持って、体調管理はしっかりしてください。体調管理は社会人としての常識ですよ」

「……はーい」


 タクヤくんが心配していてくれていることは理解できる。でも僅かに言い方がきつくて、私は項垂れてしまった。


 その日も二十時までタクヤくんと働き、無事仕事が終わって終礼をした。


「終礼をします。何か気づいたこととかあるかな?」

「『母の日』の話をして思ったんですが、もう五月が近いので、造花やシールを早めに買うべきです」

「そうだね、雑貨屋さんで買うよ。ポップ作りはどうしようかな……」


 私は器用な性質ではないので、最初は包装をするのも時間がかかった。大きく目立つポップを作るのは大変そうな作業である。私が悩んでいるとタクヤくんが発案してきた。


「それなら俺がポップを作りますよ。そういうのは得意ですから……。浅岡店長が作ると、とんでもないものができそうな気がします」

「……とんでもないもの。否定はしないけど。でもありがとう! お願いするね」


 少しばかりタクヤくんの嫌味が入った言葉が気になったが、彼のラッピングは見事だったので、ポップ作りも期待できそうである。タクヤくんのセンスと技術を信じて任せることにした。


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