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5 乙女ゲームの中に入り込んで

 気づいたら、私は薄桃色の絨毯が敷かれている部屋で倒れていた。びっくりして起き上がる。倒れていたということは、どこか調子が悪いのだろうかと、自分の身体を見下ろして確認する。見覚えのないピンクのワンピースを着ている以外変わったこともなく、気分も悪くなくて、怪我などもなさそうだった。


「何が起きたの……?」


 私の身に何が起きたのだろうか。ゲームの画面が白く光ってそれから──。私は辺りを見回す。六畳ほどの、雑然と物が置かれた部屋に私はいた。

 マンションの私の部屋ではなく、どこにいるか見当もつかない。わけがわからずに視線を彷徨わせていると、扉がノックされ、一人の女性が入ってきた。女性は私を見て親しみを込めて笑いかけ、そして声を張り上げた。


「こんにちは、浅岡カオルちゃん! 『秘密の恋の甘い味』の世界へようこそ!」

「……は?」


 私は甚だしく困惑し、目の前の女性を見つめる。一体何を言っているのだろう。彼女は依子さんにとても似ている女性だった。似ているというより、依子さん本人にしか見えない。──黒いボブカットが深緑の色をしていなければ。


「ああ、混乱するのも無理はないよね。私は現実世界の深見依子の分身と言ったらいいかな。深見依子は私のことを知らないけどね。この『恋甘』の世界では二見ふたみヨリコ。カオルちゃん、いつも乙女ゲームを買ってくれてありがとう! カオルちゃんの乙女ゲーム五十作品目プレイを記念して、このゲームを実体験でプレイしてもらうことになったんだよ」


 ──捲し立てるように説明されても、私は意味がまったく意味が理解できない。依子さん──二見ヨリコと名乗った彼女はにっこり笑った。


「カオルちゃん、乙女ゲーム好きでしょ?」


 その問いに、戸惑いながら頷く。


「それは……はい。すごく好きです」

「じゃあ、乙女ゲームの世界に入ってみたくなったことはない?」


 乙女ゲームの世界に入る……? その言葉は魔法のようで、無意識に私は返事をしていた。


「……入って、みたかったです」


 ──自分がヒロインになってイケメン登場人物とイベントをこなしながら、様々な障害を乗り越え、恋愛を堪能できたらどんなに楽しいだろうか。それは乙女ゲームをプレイしながら何回も思ったことである。

 依子さん──ヨリコさんは私の答えを聞いて、満足そうに「そうでしょう」と微笑んだ。


「わからないことだらけだろうけど、私ができる限りサポートするから頼ってね。この『恋甘』は洋菓子店が舞台なことは知っている?」

「それは知っていますけど……。ここはどこですか?」


 ゲーム内容は事前情報で知っていた。でもそれが今の状況とどうつながる? 私の頭の中は疑問符だらけである。ヨリコさんはゆっくりと説明を続けた。私を置いてきぼりにしないように気をつけながら。


「ここは洋菓子店だよ。カオルちゃんは、この洋菓子店【ローズスイーツ】ストロベリー店の店長なの」

「て……店長? 【ローズスイーツ】……?」


 私が洋菓子店の店長……? まだまだ私は大混乱中である。ヨリコさんは私を見つめながら、噛み砕くように言葉を連ねる。


「あのね。カオルちゃんは店長として攻略対象の男性を攻略していくの。ここは乙女ゲームの世界だよ。攻略するという意味はわかるよね?」

「……は、あ」


 乙女ゲームとは、攻略対象者を攻略しながら恋愛を楽しむゲーム。そのことは私の中の大常識だ。私が曖昧に頷くと、ヨリコさんはさらに話を進めた。


「この『恋甘』の攻略対象は全部で四人。好感度は0から100までになっているの。私に聞いてくれれば、攻略対象者の好感度を教えてあげるからね」


 ──「攻略対象」や「好感度」などは、馴染みがありすぎる言葉である。ただしそれはゲームの中でのみの話だ。実体験などと……ありえない。私は夢を見ているのかもしれない。ただ、握りしめているワンピースの裾の感触は生々しく伝わってきて、現実に乙女ゲームの中にいるような感覚に陥った。

 夢かうつつか判断ができないが──とりあえずの疑問を解消しようと、目の前にいるヨリコさんに尋ねた。


「……乙女ゲームは、攻略対象の男性と恋愛することはわかります。けれど……この世界がゲーム内だと仮定して、私は現実世界には戻れないのですか……?」


 夢でないとすれば、現実に戻れないと困る。私は仕事をしているし、リアルで親や友達もいるのだから、みんな心配するに違いない。私の質問に、ヨリコさんは丁寧に答えてくれた。


「戻れるよ。カオルちゃんは大体毎日二十一時から二十三時に乙女ゲームをプレイしているでしょう。仕事や用事がない日だけ、その時間に『恋甘』の世界へ自動的に飛んでくるの」

「……自動的にゲームの世界へ飛んでくる?」


 私は驚いて聞き返した。自動的に乙女ゲームの世界に飛んでくる? 到底信じられる話ではない。

 ──確かに私は一日二時間だけ乙女ゲームをやると決めている。日付が変わる前に眠らないと、次の日の仕事に影響が出るからである。時間帯もヨリコさんの言う通りだ。仕事から帰ってきて家事をしたりお風呂に入ったり、雑用を片付けると、ゲームを始めるのはおおよそ二十一時からだった。

 ヨリコさんは眉を寄せ、悲しそうに私に告げた。


「そうなの、ごめんね。『恋甘』をクリアするまで、カオルちゃんは毎日この世界に飛んでくるの。誰か攻略対象をひとり、好感度を100にしたらゲームから解放されるから、それまで我慢してね」


 私は沈黙した。誰かを攻略しなければ、この世界から出られない──。攻略するのは乙女ゲームとして当たり前だけど、まだわからないことがあった。


「……好感度100にするのは、どれくらいかかります?」

「うーんとね、今が四月でしょう? 洋菓子屋のメインイベントがクリスマスなのは知っているよね。だからゲーム内のクリスマスイベントが最終イベント。それまでに誰かと好感度100にならないと、『恋甘』からカオルちゃんは出られなくなるの」

「え……?」


 ヨリコさんの説明に、私は愕然として絶句する。ゲームから出られない? そんな馬鹿げたことがあってもいいのだろうか。ゲーム内でクリスマスになる期間も予測不可能である。乙女ゲームの中に入ってみたいとは思っていたが、まさかこんなことになるとは、と頭の中が混乱を極め、喚きだしたい気持ちになった。


「出られないって、一体……? 出られなかったら私はどうなるんですか……?」

「そうなったら、ずっとカオルちゃんはこの世界で暮らさなきゃいけないんだよ」

「……ずっとこの世界で、暮らす……」


 ヨリコさんが近づいてきて、私の気持ちを落ち着かせるように手を握る。温かい手に、今更ながらゲーム内に存在していることを実感してしまった。


「大丈夫だから、不安にならないで。私もできるだけカオルちゃんを応援するし、攻略対象者たちも助けてくれるから。何よりカオルちゃんは、洋菓子店で実際に働いているでしょう。イベント対策はばっちりのはず。今度のクリスマスまでに頑張ろうね!」

「今度のクリスマス……」


 いっぺんに色々言われても、理解力が追いつかなかった。私は改めて頭の中を整理して考えてみる。


 ──私は『秘密の恋の甘い味』、略して『恋甘』の世界に入り込んでしまった。

 ──洋菓子店の店長職をしながら、攻略対象者の好感度を上げる。

 ──二十一時から二十三時までの間のみ『恋甘』の世界に飛んでくる。

 ──ゲーム内で今度のクリスマスまでに誰かと好感度100にならないと、ずっとこの世界で暮らすことになる。


「……はあ」


 私は深く溜息をついた。拍子にふんわりとした自分の栗色の髪が目に映る。ゲームのパッケージに描かれていたヒロインの髪色だった。私は『恋甘』に入り込んでしまったんだなあ──その事実がじわじわ心に浸透してくる。「今度のクリスマスまでに」という時間制限が非常に気にかかるが。

 ヨリコさんが仕事仲間の依子さんと瓜二つと言ってもいいくらい優しいので、このような信じがたい出来事が起こっても、私は狂乱することはなかった。──未だ頭の中は滅茶苦茶であったけれど。


「とにかく」


 ヨリコさんは口を開き、私に白いギャザーフリルエプロンを渡した。


「ワンピースとエプロンが制服だから、よろしくね。男の子の制服は違うけど。着替えたら出てきてちょうだい」


 そうして彼女は部屋から出ていってしまった。私はひとり、ぽつんと残される。どうしようか──私は十分ほど思い悩み、それから覚悟を決めた。

 ゲームの中に入ってしまったことは、もう取り返しがつかない。潔く受け入れてゲームから早く脱出しよう。どうせ一日に二時間だけらしいという話である。

 乙女ゲームの基本はわかっている。誰かひとりに攻略対象を絞り、選択肢を間違わずにひたすら追いかけ続けていれば、好感度は必ず上がるということは今までの経験上学んでいた。それを実践するだけ──伊達に乙女ゲームを四十九作品クリアしていない。


 私は乙女ゲーマーとして闘志を燃やし、ギャザーフリルエプロンを身にまとい、置いてあった大きな鏡で自分の姿を確認した。

 ふんわりフェミニンな栗色ショートヘアに、ぱっちりした瞳。ピンクの制服とエプロンがヒロインとしての自分を際立たせている。

 ──乙女ゲームを始めて数年が経過した今、たとえ夢の中だとしても、初めて生でゲームを体験する一歩を私は踏み出した。


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