24 横領の証拠
航希のアパートにたどり着いた。一応手袋をはめて、一階の一番端の部屋を目指す。鍵が変わっていないことを願いながら合鍵を差し込むと、呆気なく開いた。
「開いた……」
「開きましたね……」
私の心臓の音がうるさい。隣にいる拓也くんに聞こえてしまうのではないかと思うくらい緊張している。どきどきしながら、私と拓也くんは音を立てないように室内へ忍び込んだ。中は八畳ほどの洋室。片隅にセミダブルベッドが置いてあり、戸棚や机、洋服ダンスなどがあった。物が整理整頓されているのは、妙に几帳面なところがある航希らしい。
拓也くんは玄関側から、私は奥の窓側から売上伝票を探し始めた。机の引き出しを下から開ける。文房具や雑貨が並べられているだけで、伝票はなかった。
拓也くんは下駄箱や戸棚を注意深く探している。彼の探し方は、まるで警察官のようだと思ってしまった。
私は次に洋服ダンスの中を探す。背広やシャツ、私服などが順序よく配置されていて、馬鹿みたいに真面目だなと笑ってしまった。
「浅岡さん……そこ」
「え?」
拓也くんが指さした洋服ダンスの一番下を見ると、小さな引き出しがあった。一見ただの洋服ダンスにしか見えないのに、この引き出しは不自然──そう思って開けてみると──。
「……売上伝票、だよね」
引き出しには紙の束が入っていた。拓也くんと確認する。
「伝票ですね。俺が面接行ったとき、見せてもらいましたから」
「そう……。やっぱり航希は……」
横領していた証拠を掴み、私と拓也くんは素早く表に出た。誰も私たちを見ていないようだった。
私と拓也くんは、そのまま【ムーンライト】へ向かう。景歌もいるらしいし、経営者も来ているという話である。電車の椅子に座ると、どっと力が抜けて、隣の拓也くんにもたれかかってしまった。
「浅岡さん……。まあ、気持ちはわかりますけど。俺の気持ちも察してください」
私は慌てて拓也くんから離れようとしたが、彼にぐいっと力強く肩を抱かれてしまった。
「これくらいなら、まあ……。お互いに落ち着きますし」
私は赤面して、降りる駅まで肩を抱かれていた。彼の身体は温かくて心地いい。そう、心地いいだけなのだ。今はそんな恋とか愛とか考えている場合ではない。下車して【ムーンライト】まで拓也くんと多少離れて歩いた。
「こんにちは」
「すみません、浅岡薫と申します」
店内に入ると、壮年の男性が迎えてくれた。見たことのない男性である。奥から景歌が出てきて「オーナーの立花です」と紹介してくれた。
「突然すみません、立花さん。改めまして新条景歌の友人の浅岡薫と申します」
「こんにちは、先日は面接でお世話になりました。杉浦です」
頭を下げて挨拶すると、立花さんはにこにこしてソファを勧めてくれた。
「こんにちは。ええと、浅岡さん、初めまして、だな。杉浦拓也くんとは何回も面接で顔を合わせているが」
「はい、初めまして」
「お世話になっています」
一通り挨拶を済ませたあと、早速用件を切り出した。
「実は……ここの経理で働いている峰岸航希と以前付き合っていたのですが……」
そう言いつつ、売上伝票を景歌の見ている前で立花さんに渡す。景歌がかいつまんで事情を話した。
「そ、んな、馬鹿な……」
立花さんはみるみる顔を青ざめさせ、売上伝票を数えている。景歌が立花さんに電卓を手渡した。
「百万、二百万、三百万、おい、五百万超えているぞ!」
立花さんは叫んで奥の扉に走っていく。私たちはそれを追った。
「おい、峰岸! お前、なんていうことを……!」
奥の小部屋では、航希が驚いた風情で私たちを眺めていた。
「え……薫?」
「薫、じゃない! お前ってやつは売上伝票抜きやがって! この額がお前に返済可能なのか!?」
立花さんの投げつけた売上伝票を拾った航希は、窓から逃げようとした。それを拓也くんが捕まえる。体格の差で、百八十二センチある拓也くんに百七十センチの航希が敵うわけがない。
拓也くんが航希を床に押さえつけている間に、景歌が警察を呼んでいた。やがてきたパトカーに乗せられていく航希は、これから裁判所に起訴されるのだろう。立花さんが証人としてついていった。
「あなたたち、お手柄だったわね」
「ありがとう」
「今日は疲れたでしょ。もう帰るといいわ。あとは私たちがやるからね」
立花さんと景歌に甘えて、私たちは【ムーンライト】をあとにした。
お店から出ると、私は精根尽き果ててしまった。色々なことが起こりすぎて、頭の中は無茶苦茶である。拓也くんが優しく頭を撫でてくれた。
「今日は浅岡さんのマンションまで送りますよ」
「そう……。ありがとう……」
疲れ果てていた私は、拓也くんの提案にありがたく乗った。
♦ ♦ ♦
マンションに着き、オートロックを開けて拓也くんを招き入れた。今日のお礼にお茶の一杯でもご馳走しようと思ったのである。
「飲み物、コーヒーと紅茶、緑茶とどれがいい?」
「ありがとうございます。コーヒーでお願いします」
私はコーヒーを二杯分手早く淹れて、テーブルの上に並べた。拓也くんは物珍しそうに、部屋を眺めまわしている。
「一応片付けてはいるけど……散らかっている?」
「いいえ。素敵な部屋だなあと思いまして」
それから対面に座っていた拓也くんは、私の隣に移動してきた。え、と思う間もなく、再び額にキスを落とされる。
「無防備ですよ、浅岡さん。俺が浅岡さんのことどう思っているかなんて知っているじゃないですか」
彼は面白そうに顔を覗き込んでくる。赤くなった顔を隠そうとして、壁のほうを向いた。
「こっち見てください」
「いや」
「どうしてですか?」
「……拓也くんが意地悪だから」
そう、彼は意地が悪い。いくら私に気があると言っても、からかうような仕草しか見せない。
「ひどいなあ。これでも真剣なんですよ、浅岡さんのこと」
そう言いながら、たまたま目に入ったのか、拓也くんは『秘密の恋の甘い味』を手に取った。
「なんですか、これ?」
「これは駄目!!」
私は『恋甘』を彼からひったくった。拓也くんはびっくりしている。
「ゲームですか?」
「そうだよ、ゲームだよ。大切なものだから触らないでちょうだい」
冷たく言い放つと、彼は私から距離を置いた。
「まだ俺のこと受け入れてもらえない証拠ですよね……。今日はもう帰ります。ご馳走様でした」
拓也くんはコーヒーを飲み干して、部屋から出ていった。玄関まで見送ろうかと迷っているうちに彼はいなくなってしまった。
「拓也くんのこと……受け入れていないつもりじゃないんだけどな」
私は『恋甘』を手にしながら、ひとり呟いた。




