18 沖縄旅行
柿本由良ちゃんの「杉浦先輩と付き合い始めたんです」発言から数日が過ぎた。私はショックのあまり、由良ちゃんとほとんど話せなかった。話したとしても、仕事上のことを二つ三つだけ。そうして、拓也くんがアルバイトに来た。
「深見店長、内定もらいました!」
「それはおめでとう。どこの内定もらったんだ?」
「はい。ショットバー【ムーンライト】です。前々からカクテルに興味があって」
そういえば景歌がOG訪問しにきたって言っていたっけと、ぼんやり思い出す。拓也くんは私のところにも来た。
「【ムーンライト】は浅岡さんのお友達の新条景歌さんが勤めていますよね。二人で招待しますので、是非来てくださいね」
「……ああ、うん。気が向いたら、ね」
彼の瞳が見られなくて、私は休憩室に入った。あの瞳や温もりは由良ちゃんのもの。私が触れてはいけないものだ。
私の目から一粒涙が滑り落ち、頬を伝った。峰岸航希と違って、私は拓也くんとは付き合っていないのに、と不思議に思う。側にあったティッシュで涙を拭っていると、拓也くんも休憩室に来た。
「……なんで浅岡さん、泣いているんです」
「な、泣いてなんかいないよ。目にごみが入っただけ」
適当な言い訳をして、私は休憩室から出た。拓也くんが追いかけてきて、私の腕を掴む。
「浅岡さん、俺の目を見てください」
彼は私の目を見つめる。二重の黒い瞳はすべてを見透かすようで怖くなり、私は目を逸らして売店内に入った。それでも拓也くんは私を追ってきた。
「どうしてそんなに俺の目を見るのが嫌なんです? 俺、浅岡さんに何か悪いことしました?」
「何も、してない。私に構わないで」
それからは仕事に集中し、拓也くんに口を挟む隙を与えなかった。
翌日も、その翌日も、拓也くんは私の目を見つめてくる。彼が何か言いたそうな素振りを見せると、私は売店内に逃げ込み、仕事をした。拓也くんは追ってくるけれど、お客さんがいる限り、私に何も話しかけられない。
そんな様子を、由良ちゃんは楽しそうに眺めていた。
♦ ♦ ♦
ゲーム世界【ローズスイーツ】ストロベリー店内で、私は頭を悩ませていた。この間クリスマスケーキ見学会に行ったのだが、生稲店長に「苺デコレーションケーキは大量に発注したほうがいいね」というアドバイスしかもらえなかった。前年の売り上げをパソコンのデータで見てみる。イヴの売り上げは約百五十万円だった。
「うーん……」
百五十万円以上の発注なんて、私一人では決められない。悩んでいると、ぽんっと表示が現れた。
『1 黒岩エイジと発注に関して話し合う
2 上杉タクヤと前年のデータを参考に発注する
3 中峰コウキとクリスマスオーダーを考える
4 萩尾トオルにクリスマスケーキの好みを訊く』
「……選択肢……」
私は選択肢をよくよく見つめて──1の黒岩さんを選んだ。タクヤくんはアルバイトに過ぎない。それに──今はタクヤくんの好感度は上がりにくい現状だった。
翌日、黒岩さんと閉店後に話し合った。何故かタクヤくんも側にいて、成り行きを見守っている。パソコンのデータや昨年、一昨年の写真などを引っ張り出して、三人でクリスマスの発注を考え抜いた。
「昨年は百五十万円だったし、今年も同じくらいでいいんじゃないか?」
黒岩さんの発案に、私はいまいち納得できない。『母の日』で目標額を大幅に超えたからである。
「もう少し……百八十万円くらいはどうでしょう?」
私の提案に、タクヤくんは首を横に振った。
「思い切って二百万円発注がいいです。余ったら他のお店に回せますし、俺にクリスマスについてのいい案がありますし」
にやりと笑うタクヤくんの発言に、黒岩さんと私は首を傾げる。
「いい案……?」
「本店に掛け合って、十月から二割引きでクリスマスデコレーションの予約を受け付けましょう。十一月予約は一割引き。ハロウィンが終わったら、即クリスマスの飾りつけをします」
「なるほど……」
黒岩さんと私は顔を見合わせる。この予約方法ならば、ストロベリー店だけでなく、他の支店も予約可能だろう。
「わかった。本店に話してみるよ」
「そうしてください。前年を大きく上回りましょう!」
タクヤくんのかけ声とともに、お店が明るくなった気がした。
♦ ♦ ♦
黒岩さんとヨリコさんが私とタクヤくん、ユラちゃんに旅行券をくれた。三人で社員旅行に行けという意味らしい。二泊三日もお店を空けてしまうのは心苦しくて固辞したのだが、二人に押し切られてしまった。
行先は沖縄である。三人で飛行機に乗ると、ユラちゃんはさっさとタクヤくんの隣に座ってしまった。私はユラちゃんの反対側に腰を下ろす。二時間と少し乗って那覇にたどり着いた。
「すみませーん」
タクヤくんが手を挙げてタクシーを呼ぶ。黒岩さんとヨリコさんが予約してくれたのは、プライベートビーチつきのコテージホテルだった。タクシーに乗り三十分ほどで到着する。
「海が綺麗ですー!」
感極まったようにユラちゃんが叫んだ。澄み渡った青く透明な海は、果てしなく続いているように感じる。
コテージは三部屋あったので、三人でそれぞれ分かれて荷物を置いた。間もなく食事の時間である。ホテルのバイキング料理を私たちは堪能した。
ふと気づくとユラちゃんがいない。コテージはたくさんあって迷っているのかもしれないと考えて、探しにいくことにした。だけど私が見た光景は──コテージの入り口でタクヤくんにしなだれかかっているユラちゃんだった。彼女はしきりに甘い声でタクヤくんに話しかけている。
「上杉せんぱあい~」
「なんだよ、柿江」
「下の名前で呼んじゃ駄目ですかあ? タクヤ先輩って」
実にどうでもいい会話だが、私は思わず聞き耳を立ててしまった。
「いやだね。年下から名前で呼ばれたくない」
「ええ~、そんなあ。浅岡店長はよくて、私は駄目ですか?」
「……浅岡店長は……」
そこでタクヤくんは言葉を切ってしまったので、どうしてだろうと疑問に思う。私は名前で呼んでもよくて、ユラちゃんは駄目なのだろうか。でもなんで私の名前で詰まったかはわからなくて、タクヤくんの様子を窺う。
「とにかく……浅岡店長は特別なんだよ」
「なんですか、それ? 私だってアルバイト同士特別な仲じゃないですかあ」
「……」
タクヤくんが黙り込んでしまったので、私は部屋に引き返した。ユラちゃんの積極性に感心もするが、嫉妬の感情も覚える。私が「タクヤくん」と呼んではいけないと彼女は言うかもしれないが、ここはきっぱりと断らないと店長としての示しがつかない。示しというか──私にとってもタクヤくんは特別な存在だから、名前で呼びたいのは我儘だろうか。ユラちゃんがあんなにタクヤくんに甘えていたのは、羨ましい気持ちもある。私だって甘えたい──。




