13 『母の日』イベント成功
いよいよ【ローズスイーツ】での『母の日』がきた。五月に入ってからカーネーションでお店を飾りつけて、菓子箱にもカーネーションのシールを貼った。そして上杉タクヤくんが作ってくれた、『母の日』ポップがお客さんの関心を引いたらしい。各商品の写真が綺麗に並べられて、『母の日』の日付や文字も大きく書いてあり、センスがいいポップが冷蔵ショーケースの上にあると、品物を買いにきたお客さんは必ず見てくれた。
「そうか、もうすぐ『母の日』だな。覚えておこう」
「お母さん、私ケーキを買ってプレゼントするね」
お客さんの言葉を聞きながら、戦略が間違っていなかったことに安堵する。しかしここで安心している場合ではない。本番は当日なのだから。
事前の発注は私もかなり悩んだ。いくら現実世界で私が洋菓子店で働いているといっても、イベントの事前発注はしたことがない。岩波英二さんが以前「母の日は普段の約二倍の売り上げ」と言っていたことを参考にして、【ローズスイーツ】ストロベリー店の一日平均売り上げが十五万円なので、それを踏まえて三十五万円分発注した。
今日は朝から全員出勤である。朝九時から品出しを始めて、売店の冷蔵ケースに入らない分は後ろの冷蔵ストッカーにしまった。
十時の開店前からお客さんがお店の前に並んでいる。二見ヨリコさんを始めとして、みんなが張り切って大きな声でお迎えをした。
「いらっしゃいませー!」
「ご注文お伺いいたしますー!」
「お次でお待ちのお客様、こちらでもお伺いいたします!」
「ご希望でカーネーションの造花をプレゼントいたします!」
お客さんの接客はヨリコさん、黒岩エイジさん、上杉タクヤくん、柿江ユラちゃんに任せて、私は後ろの冷蔵ストッカーから次々に商品補充をする。電話での問い合わせも多いので、そちらの対応も私の役目である。
「今日はこの『母の日』ミルクレープがおすすめ?」
「そうですね。生クリームたっぷりで美味しいですよ」
萩尾トオルさんは主力商品のひとつである、『母の日』ミルクレープを購入してくださった。シフォンケーキだけではなく、新作や特別商品も買ってくださるお客さんである。銀髪を翻し、ケーキ箱の入った袋を大事そうに抱えて、バスに乗っていった。
昼過ぎに一段落したので、みんなで順番に休憩をした。この休憩でお昼を食べないと、午後の接客の体力が持たない。
午後三時に私は気がついた。『母の日』主力商品がほとんど残っていない。それどころか、他の洋菓子の残量もかなり少なくなっている。私は焦った。このままだと売り切れになって、売り逃しをしてしまう。急いで、隣駅のレモン店の中峰コウキ店長に電話をかけた。
「お忙しいところ申し訳ありません。ストロベリー店の浅岡です」
『ああ、浅岡店長か。どうした?』
中峰店長が電話に出てくれた。私は事情を話して、レモン店からケーキを分けてもらえないか頼んだ。
『うーん。うちもそんなに余裕があるわけじゃないけど……。まあ、いいだろう。分けてやるよ』
「ありがとうございます! すぐにアルバイトに取りに行かせますね!」
ユラちゃんだと重いケーキが持てそうではないので、タクヤくんに隣のレモン店に行ってもらうようお願いした。
「結構たくさん分けてくれるらしいから、タクシーで行ってね」
「わかりました。タクシー代は領収書をもらってきますね」
タクヤくんがお店から出ていき、駅前ターミナルでタクシーを捕まえているのが見えた。タクヤくんがいなくなったので、私も補充だけではなく、接客もする。三十分ほど経ち、タクヤくんがタクシーで帰ってきた。大量の洋菓子をタクシーから下ろしている。
「わあ、こんなに分けてくれたんだね」
「レモン店はうちほどお客様がいらっしゃいませんでしたよ」
レモン店からの商品を冷蔵ケースや後ろのストッカーにしまう。お客さんは夕方になる頃には行列ができるほど来店してくださって、私たちは集中して接客した。
そうして閉店時刻の十九時になった。ちょうどお客さんが途切れたので、シャッターを閉めて閉店作業をする。ヨリコさんと、タクヤくんと、ユラちゃんがケーキの片付けや掃除をしている間に、私は副店長の黒岩さんと発注作業や売り上げ計算をした。『母の日』目標額の三十五万円を大きく上回り──売り上げは五十万円という快挙だった。
「よくやったね、浅岡店長」
「いえ、みんなが頑張ってくれたおかげです。特にタクヤくんのアイデアがよかったと思います」
「そうだな。カーネーションで前もってアピールしたのも功を奏したし、ポップもお客様の目を引いたな」
黒岩さんと私の会話に、ヨリコさんとユラちゃんも加わる。
「こんな忙しい『母の日』は初めてだったよ。タクヤくんの発想がよかったね」
「そうですよね。さすがは上杉先輩です」
みんなに口々に賞賛され、タクヤくんは恥ずかしいのか、お店から出ていってしまった。外の照明器具を片付けているらしい。発注や日報は黒岩さんがやってくれると言ってくれたので、私も外へ出て手伝いに行った。照明器具は五個あるので、いくらタクヤくんが男の子だといっても全部片付けるのは重労働である。
「手伝いにきたよ。お疲れ様、タクヤくん」
「……俺一人で大丈夫ですのに、お節介な店長ですね」
二人で倉庫に照明器具をしまい、倉庫脇にある自動販売機で私はジュースを買った。五人全員分買ったが、二本だけ取り出し、そのうち一本のスポーツドリンクをタクヤくんに渡した。私はサイダーのキャップを開ける。
「タクヤくんのおかげで、五十万円も売り上げたよ。ありがとう」
タクヤくんは仕方なさそうにスポーツドリンクを受け取り、蓋を開けた。立ったまま私と乾杯をする。
「五十万円の売り上げ、おめでとうございます。俺が役に立ったかどうかはわかりませんが、それでもそう言ってもらえると嬉しいですね」
私がサイダーを一口飲んだとき、タクヤくんの周りをピンクの花びらが舞った。好感度上昇の証に私も嬉しくなる。
「ねえ、タクヤくん」
「なんですか、浅岡店長」
私は夜空を見上げた。星々が瞬いていて幻想的な光景である。ゲームの中の世界とは思えないくらいの美しい星空に、欲張りな私は更に美しい風景を見たくなってしまう。
「いつか、海に連れて行ってくれないかな、タクヤくん」
タクヤくんは黙り込んだ。しばらく経っても何も言わないので、機嫌を損ねたかと、私は不安になってしまった。しかし、聞き取れないほどの小声で、彼は答えてくれた。
「……浅岡店長の気が変わらなければ、か、考えておきます」
頬を桜色に染めた彼のその答えに私は笑み崩れる。「考えておきます」は恐らく、もっと好感度が上がってからだろう。このゲームでの楽しみが増えた。
飲み終わって二人でお店に戻る。みんなにもジュースを手渡すと喜んでくれた。ヨリコさんが意味ありげに口の端を吊り上げる。
「カオルちゃん、こっちきて」
私とヨリコさんは休憩スペースに入った。彼女は右手を肩まで上げる。既に見慣れた男性たちの顔が映しだされた。
『黒岩エイジ 好感度0
上杉タクヤ 好感度30
中峰コウキ 好感度0
萩尾トオル 好感度0』
「順調だね、カオルちゃん。この調子で頑張ってね。今日はお疲れ様。もう帰って大丈夫だよ」
ヨリコさんの言葉とともに私は白い光に包まれ──現実世界の「浅岡薫」に戻っていた。




