私の世界の音
ものが壊れる音が聞こえる。
お母さんの泣く音が聞こえる。
お父さんの怒鳴りつける音が聞こえる。
なぜ音が止まらないの?
2つの音が私に囁く。
「「全部お前のせいだ」」
「おい、起きろよ!」
その音で、私は寝ていて夢を見ていたことが分かった。
ずいぶん懐かしい夢を見た。あれは小学校六年の頃だったはずだ。
もう私も十六歳になったというのに。
「もう授業終わったぞ」
音を発しているのは隣の席の松田くんだった。
「よく寝てたな。いつもそんなに寝てて飽きないのか?」
松田くんは何が楽しいのかにこにこと笑っている。
「おーい、今日も返事なしか。まあ、いいや」
私は席を立つ。話なんてしない。最後に音を発したのは受験のときだ。
本当はその受験の時も発したくなかったけど仕方がない。
高校だって私が行きたくて言っているわけではない。
親の世間体の問題だ。
周りはがやがやとうるさい。それぞれが勝手に音を発しているだけだ。
私にとって【声】は【音】となった。なんの意味ももたないただうるさいだけのもの。
【音】は周りのことなんてなにも考えない。自分が出したいときに勝手に出して人の迷惑なんて考えることなんかしない。
松田くんにクラスメイトが近づいて音を発する。
「松田、お前よく相沢なんかに関われるな。俺なら絶対無視するぜ」
「そんなこと言うなよ。」
「だって向こうが無視するんだぞ。性格最悪だよな」
ほら、ね。
私が聞こえるなんてことを考えずに音を発している。
別に気になんかしない。それはただの【音】だから。
私はその空間から立ち去った。まだ授業があるが別にいい。教師だって私が音を発しないから関わろうともしない。
そのまま屋上へと歩いていった。
「お前が生まれてこなければこんなことには!」
「あなたが生まれていなければ私は!」
――――ごめんなさい。
私が生まれて来なければ………
目が覚めるともうそこは夜の世界になっていた。
最近頻繁にこの夢を見るようになってしまった。
これは昔の自分だ。まだ【音】を【声】と考えていたとき。
両親のいらいらがすべて私に向けられていて世界中の音が私を傷つけていた。
周りのすべての音が敵だった。
私は自分を隠してくれる闇が好きだ。音が聞こえてこないのがとても心地よいと思う。
闇は私を拒んだりしない。いつでも受け入れてくれる。
闇の中にいれば誰にも見つからない。いや、見つからないはずだった。
「なんだ、相沢まだいたんだな」
誰かが私の闇に入ってくるまでは。
私に対して音を発する人なんて決まっている。松田くんだ。
「こんな時間までなにしてるんだ?」
飽きもせずに彼は私へと音を発する。けれど私はそれに答えない。
「こんな中、一人でいると危ないぞ。早く帰れよ」
闇のせいで彼の顔が見えない。いつも笑顔だったけれど、今はどんな表情をしているのか分からない。
「また返事なし、か……」
その音はいつもよりも冷たい響きをもっていた。
「相沢は夜は好きか?」
松田くんはしゃべり続ける。
「俺は苦手だな。それまでにぎやかだったものがみんな消えていく。暗闇の中に飲まれていくんだ」
彼は昼間の彼ではなくなっていた。
急に彼が怖い存在になっていく。
「なんで相沢はしゃべらないんだ?」
私はなにも音を発しないで彼の横を通り抜けようとした。逃げようとしたのだ。
すると彼は私の手を強く掴んだ。
掴まれて、振り向いたその先には、
悲しそうな彼の顔があった。
「なあ、なんでしゃべらないんだ……?」
彼の手を払って、私はその場から逃げ出した。
校門を出てやっと呼吸が整ってきた。けれど心の中はかみ合わないパズルのピースみたいにぐじゃぐじゃだ。
今の私はおかしい。
こんなのは私じゃない。
人の音なんてもう気にならないんじゃなかったの?
彼がいつもと違うってなにも関わらない私になにが分かるの?
学校を出ると街灯の光が見えてきた。
前はそんな闇を壊してしまう光が腹立たしかったのに、今日はなんだか街灯のちかちかとした光が私を安心させてくれた。
そして帰りたくもない家へと向かって歩き出した。
家へとはいると、珍しく母がいた。
「おかえりなさい莉緒。私はもう出かけるから」
嫌味のように母は私を莉緒と呼ぶ。この名前は私がこの世で初めて母に恨まれて付けられたものだ。
にくい名前。父親の浮気相手の名前。母の人生を壊した女の名前。
そんな名前で私を呼び、そして私を嫌う。
母はとっくに父と別れてしまった。それなのに母は父を恨む。そして母は私にこの世に対する全ての恨みをぶつけてくる。
しかし、そんなこと私にはどうだっていい。だって、母の恨む【音】なんて私にとってはただの雑音だ。
車のクラクションの音。人が歩く音。そんなものと全く同じものだ。
母のことを無視して自分の部屋に行き、そのまま私は眠ってしまった。
――――これは夢だ。
「初めまして、相沢さん。俺は松田光輝っていうんだ。よろしくな!」
――――ばかみたい、私に対して音を発するなんて。
「相沢さん返事してくれないの?」
――――音なんて私は発さない。
「じゃあ、いいよ。俺1人ではなしてるから」
――――勝手にしてればいいじゃない。
「へえ、相沢さん下の名前は莉緒なんだ。かわいいね」
………………
朝目が覚めると胸がもやもやした感じになっていた。
昨日見た夢は、初めて松田くんと隣になったときだ。
昨日の夜から松田くんのことが頭から一向にはなれない。あの時の初めて見た表情が浮かんでくる。
そんなことを考えていてもしょうがないのでさっさと学校に行くことにした。
隣の席にいつものように松田くんが座っていた。けれど雰囲気がいつもと違う。なんとなくあせってしまった。
席に着く。松田くんはいつも私が来たら必ず私に対して音を発していた。どんなに私が音を発しなくても。
しかし、松田くんは音を発しない。こんなことはおかしい。今まで一回もそんなことはなかった。
なぜ?
なんで音を発しないの?
いつもは音を発してくれるのに。
ごちゃごちゃだった心がさらに複雑に絡まっていく。
どうしたらこの心はほどけるの?
そんな心でも一つ分かったことがあった。
私は矛盾している、と。
それから気づいたら私は屋上に立っていた。遠くから授業の始まりのチャイムが聞こえてくる。
上を見ると心の中と違い空は雲一つ無い透き通るような青だった。
自分の心の中と違って透き通っているきれいな青い空が嫌い。
ばかげたことで笑っているみんなが嫌い。
生まれた私を恨んで憎んでいる両親が嫌い。
いつも能天気に私に対して音を発している松田くんが嫌い。
嫌いなことなんてどうでもいい。私は気になんてしない。
けれど、
私は透き通っている空が気に入っている。
馬鹿なことで笑っているみんなの中へ入りたい。
両親の一言一言で傷ついている私がいる。
こんな私に毎日かまっている松田くんに対して音を発してみたい。
『おはよう』
そんな一言でもいいから。
矛盾ばかりの私。どうでもいいなんて思っているのは嘘だ。
私がただ臆病なだけだと、昔から分かっていたことだった。
松田くんはそんな私に根気音を発してくれた。いつの間にか、彼の存在は私の中でとても大きなものへとなっていった。けれど私はこの気持ちに名前が付けられない。いや、それは正しくない。私はその名前を付けることを恐れている。
松田くんにその音を発したら彼はもう私を見ないような気がして。
床に寝っ転がってみる。空はあいかわらず透き通っていた。
「もう授業始まってるよ」
急に目の前が彼の顔でいっぱいになった。
あまりに急で予測なんて出来るはずもなく、思わず
「きゃぁ!!」
と音を発してしまった。驚いて起きあがってしまう。
「なんだ、出そうと思えば声でるじゃん」
彼がそういって笑った。
勇気を出せ、私。
【音】を【声】にして、彼にせめて今言える精一杯の言葉を。
「今までずっと話しかけてくれてありがとう」
これが私の精一杯。彼への気持ちなんて言えるわけがない。
私は臆病者だ。でも、この言葉が私をこれから動かしてくれると良いと思う。
彼は少し驚いた顔をした。
「どういたしまして、っていっても俺には下心があったわけだし」
照れくさそうな表情で頭をかいている。
「毎日話しかけていたのは相沢さんがいつも悲しそうにしていてなぜだか興味があったから。そして、寂しそうな所とか見ていたら相沢さんのことが好きになって力になりたいと思ったから」
彼の顔が真っ赤になっている。それでも私から目をそらさない。その目に私はすいこまれそうになった。
「それと、この前腕を掴んじゃってごめん。あの日とうとう自分の感情が爆発しちゃって、
意地でも話してみたくなって。それだけ言いたかったんだ。それじゃあ」
松田くんはそのまま屋上から去ってしまった。
【声】がこんなにも嬉しくなるものだと思わなかった。
チャイムが聞こえる。その音でまだ授業中にもかかわらず松田くんがきたことに気づき、同時にずっとずっと前から【音】には意味があったことにも気づいた。
心の中が少しだけはれた気がした。
まだまだ両親のことや学校での立ち振る舞いをどうしようかなどと心はごちゃごちゃしている。
けれど、その中の紐は一本ほどけた。
休み時間になって私がしなければならないことは、松田くんが頑張って伝えたことに対して少し前まで気持ちにふたをして伝える気の無かった【声】を彼に伝えに行こうと思う。
『松田くんのことが好き』
その言葉を。
かなり短い短編になってしまいました。
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