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第七話

 イザベルの部屋の前に着くと、ノックもせずに扉を開けた。

 執事のジョーンズも止めることなく、僕の後に続く。


 彼女のために整えた部屋を、ジョーンズの持つランプの明かりが柔らかく照らす。

 静寂の中で聞こえたのは、穏やかな寝息ではなかった。


 屋敷を出る前に見た、少し青白んだ顔色。

 同じベッドの上で眠った時に感じた体温の低さ。


「ナタリーと侍女を起こして来い」


 ジョーンズに女中頭のナタリーとイザベルの侍女を連れてくるよう命じて、部屋の中に足を踏み入れる。

 暗闇だろうと家具の配置は頭の中に完璧に入っているので躓くことはないが、命じたことに従う前にジョーンズが部屋のランプに火を入れたのか、オレンジの光がぼんやりと天蓋の引かれたベッドを照らし出していた。


 引かれた天蓋に手を掛けると、躊躇いなく開けた。

 イザベルに起きている気配はなかったが、苦しそうなうめき声がいっそうはっきりと耳に入る。


「イザベル」


 名を呼びながら、薄闇の中でその頬に触れた。

 雨で冷えた指先に感じた温もりは、永遠にその目を閉ざした人とは違うのだと教えてくれる。


 名前に反応したのか、頬に触れる冷たい指に反応したのか、イザベルはうっすらと瞼を上げた。

 苦しげなうめきが、口から大きく息を吐き出して痛みを逃がすような意識的なものに変わる。


 安心させるようにその頭を撫でると潤んだ目でシャツの裾をぎゅっと握ってきたので、その小さく華奢な背に手を回して優しくポンポンと叩いてやる。

 

「どこが苦しい? 教えなさい、イザベル」


 夢うつつだったのか、苦しさで意識が朦朧としていたのか、イザベルは縋りついた相手が僕であることに気付いていなかったらしい。

 問いかける声を掛けてようやく気付いたのか、びくりと体を揺らして慌てて離れようとする。

 けれど、僕がイザベルを離すはずがない。


 まだまだ小さな体を抱く腕に力を込めて、イザベルの弱々しい抵抗を封じる。


「言ってごらん。僕が君を守るから」


 部屋に広がる静寂とは裏腹に、屋敷の中では人が動く気配がある。

 逡巡を終えたのか、イザベルがようやく口を開いた。


「お腹が、痛いの。痛くて、苦しいの」


 体を強張らせて、イザベルは涙混じりに訴える。


「わかった。僕が居るからもう大丈夫だよ」


 僕の予想が正しければ、イザベルの症状はあれ(・・)だろう。

 教えるにはまだ早いと思っていたのが裏目に出たようだ。

 さぞかし不安に駆られているだろう。


「その痛みは、きっとイザベルが大人になるために必要な痛みなんだ。でも、一人で我慢してはいけない」

 

 僕が側にいることを分かってもらうために、言葉を掛けながら背を優しくさする。


「不安な時は、いつだろうと僕を呼びなさい。何があろうと君の元へ駆けつけるから。僕には、イザベルより大切な人なんていないんだ」


 ふっ、とイザベルの体から力が抜ける。

 かすかに笑っているような気配がした。


 イザベルの口からなにか囁きが漏れた気がするが、それは空気を震わせて僕の耳に届く前に薄闇の中へかき消えた。


 パタパタと急くような足音がして、部屋の前で止まる。

 ノックもそこそこに部屋にやって来たジョーンズとナタリーに薬湯の準備を命じた。

 指示した薬湯で、イザベルの身に起きていることを理解したジョーンズとナタリーは即座に動き始める。

 ジョーンズが部屋を辞し、その直後にやって来た侍女はナタリーに部屋に明かりを灯すよう指示されて動き始める。


 侍女が部屋のランプに火をつけていき、ナタリーは僕の腕の中にいるイザベルに優しく声を掛ける。

 その声に反応して素直に顔を上げるイザベルを見て、ほんの少しだけナタリーに嫉妬する。

 僕の乳母でもあったナタリーを、イザベルも信頼しているらしい。


「ご気分はいかがですか?」

「お腹が痛くて、吐き気がするの。でも、さっきより、落ち着いてきた」


 部屋が明るくなると、オレンジの光とは対照的に青褪めた顔が痛々しい。

 ナタリーがイザベルの顔に手を当てると、眉をひそめた。


「体温が低いようです。血の気が引いていらっしゃいますし、貧血ですわね」

 

 ナタリーがイザベルの体調を確認している間、侍女がイザベルのベッドに近づき僕にはわからない角度でそっと掛布をめくりシーツを確認する。

 イザベルは痛みに気を取られてそのことに気づいていないようだが、侍女はそのまま掛布を元に戻してナタリーと目線を合わせると、小さく頷いた。


「汗をかいていらっしゃいますし、お召替えをいたしましょう」


 ナタリーの言葉で、僕はおおよそのことを理解した。

 その時、執事が再び部屋へやって来た。

 手にしている盆の上には、かすかに湯気を立てる薬湯を載せている。


「イザベル様に薬湯をお持ちしました。それと、湯の用意が整っております」 


 前半はイザベルに後半は僕に向けられた言葉だが、


「イザベルは着替える前に湯で温まる方が良いだろう。イザベルに薬湯を飲ませたら連れていく。男を近づけないようにしろ」


 僕の指示に執事は静かに一礼すると、盆を置いて部屋を出ていった。

 ナタリーが手伝いながら、イザベルにゆっくりと薬湯を含ませていく。

 薬湯のお陰か、飲みきったころにはイザベルの顔に赤みがさしてくる。


「イザベル様、お立ちになれますか?」

「いや、いい。僕が運ぼう」


 無理をさせるより、その方が早いし安心だ。

 夜着に残っているであろうあと(・・)が見えないように、僕が着ていたジャケットを脱いでイザベルに掛ける。僕のサイズなので、イザベルの体はすっぽりと隠された。

 

「自分で、歩けます」


 誰にも頼らない強情さは誰に似たのか。

 あの人のことを思い出してみるが、誰かを頼ろうとしないところは同じでもここまでまっすぐに強情な部分を見せることはなかった。

 それどころか、


「僕に身を任せて」


 そう告げて抵抗される前に抱き上げて歩き出せば、イザベルは一瞬体を緊張させたあと、そっと体から力を抜く。

 きゅっ、と僕の服を握りしめて胸に顔を押し当て、僕から見えないように隠す様さえ愛おしい。


 イザベルのように弱さを曝け出して身をゆだねるという無意識の信頼を、あの人は最後まで僕に見せてはくれなかった。


 それでも、


「イザベル。僕は、誰よりも君を愛しているよ」


 あの人が僕に託してくれた宝物。


 最後まで僕に見せてくれなかった信頼の証が、腕の中にある。




※使用人

執事は家のことを取り仕切り、主人の世話や客人の対応、手紙の仕分けなど業務は多岐にわたる。主人に意見を伝えたり、男性使用人をまとめたりもする。

従者は主人に付き従い世話をする。貴族の子息が他家に行儀見習いに行くと、従者となることが多い。

女中頭は女性使用人のまとめ役で、女主人が居ればその相談役にもなる。

侍女は主人の身の回りの世話をする。身元のはっきりしたものが雇われやすい。

メイドは雑用が主。茶器の用意や片付け、洗濯や掃除などを行う。

(子爵家は使用人が多くないので、こだわらずに仕事をする者が大半)

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