第一話
8話でさくっと終わる短期連載作品です。完結まで毎日投稿いたします。
時代設定も大雑把、舞台すら決まっていない架空の国のとある時代のとある物語。
よろしければ、お付き合いくださいませ。
アーサー・ジョセフ・アーチボルト・ケインズ子爵は、社交界で浮名を流す当代一の色男として知られている。
社交界の花と呼ばれた母親譲りの美しく華やかな顔立ち、機知に富む会話、きさくな人柄に、手練手管を知り尽くした恋の駆け引きは小説や舞台のモデルともなり、毎日のように新聞の社交欄をにぎわせる。
貴族の中でも王家に次ぐ敬意を捧げられる名門公爵家の第三子に生まれ、父である公爵が持っていた子爵位とそれに付随する領地を割譲されて悠々自適に独り身を謳歌する有閑貴族の一人である。
言ってしまえば典型的な貴族の放蕩息子だが、子爵の周りには色恋という刺激が欲しい有閑マダム達が我先にと、ひっきりなしに咲き誇る。
けれど、
「やあ、マイ・レディ。ご機嫌いかがかな? 黄色のドレスに黒髪が映えて良く似合っているよ」
突然私のいるサンルームにやって来て、ご機嫌な様子で話しかけてくる子爵が私は苦手だった。
お酒で少し顔を赤らめた陽気な酔っぱらい子爵の色香など私には通じない。通じてたまるものか。
「お早いおかえりですね、子爵」
パーティでお酒が振る舞われるのは通常夜会だけ。今はもう昼日中だ。
澄まし顔で皮肉たっぷりに返事をすると、子爵は困ったような気障ったらしい笑みを浮かべて、私に近寄ってくると、
「最近は構ってあげられなかったから、拗ねているのかい? そんなところも可愛いけれど、どうか僕に花のような微笑みを……」
私の耳元でそう囁いた子爵から逃れるように子爵の体を押すものの、子爵の体はびくともしない。
それどころか顎に子爵の片手を添えられ、さりげなく頬にキスまでされた。
キッと睨めば、子爵はようやく私から離れてなぜか私の座る二人掛けのソファに腰を下ろした。
途端にムッと漂う匂いは、今まで楽しんでいた十時のティータイムの余韻を一瞬で消し去ってしまった。
私は不快感をそのまま顔に出して、
「子爵、香水臭いです。あとお化粧。追加でお酒臭くもある」
「おやおや、レディならばもっと上品で可憐な言い方を覚えなければ」
「私、貴族の令嬢じゃないです」
「君は僕のレディだよ」
アルコールのせいか、どこぞの女と寝てきたせいか、この独身男は大仰で饒舌である。それは基本、いつものことだ。
(レディじゃないし)
口にして同じやりとりを繰り返すのも面倒なので、心の中でそう返す。
「帰ってきたならお風呂に入って寝てはいかがですか?」
「添い寝してくれるの? レディ」
何も言わず冷たい目で見返すが、子爵はこたえた様子もなく笑っている。
なんだか無性に腹が立ってきた。
すると、
「アーサー様。お湯のご用意が整っております」
救いのごとく、いつのまにか部屋に居た気配のない執事が子爵に声をかける。
「君と離れるのは身引き裂かれるほど辛いが、これ以上レディに嫌われないためにも外界の残り香を落としてこよう」
「アーサー様。せっかくのお湯が冷めてしまいますので、どうかお早く」
執事はそうして顔色一つ変えず、冷徹に子爵を連れて行った。
子爵という嵐が過ぎ去ったことでようやく一息を吐いた。
心を落ち着けるためにぬるくなった紅茶に手を伸ばす。砂糖とミルクたっぷりのミルクティーはストレート派の子爵に不評だが気になどしない。
(また朝帰り)
いつも通りのことだ。気にすることでもなんでもない。
けれどそのことが、ささくれのような小さな痛みを与えていることを認めたくはなかった。