his stable
フューダルロードは湯川とも親交がある栗東の調教師、落合雄太の元に預けられることになった。彼は厩舎に来たフューダルロードを見た印象を、担当となるベテラン厩務員、本田裕介に話す。
「あの時も見ていたが綺麗な馬だ。馬体はそこまで大きくはないが、いい体つきをしているし、ゆくゆくは大きいところをとれるかもな」
落合厩舎はG1を1度だけ制しているが、ここ数年は重賞に時々顔を出す程度のいわゆる中堅厩舎である。しかし、仕上げの早さと巧さには定評があり、2・3歳戦や休み明けでは好成績を残していた。
「それでは、よろしくお願いします」
本田がフューダルロードの引き綱を牧場関係者から受け取り、フューダルロードの競走馬としての生活が始まる。
本田の引き綱に連れられているフューダルロードに対して1頭の黒鹿毛馬がいななき、威嚇してくる。フューダルロードは、その馬からの喧嘩を買い取るように激しく威嚇を返す。
「お、あの金髪、カープに威嚇されて、され返してるぞ」
「相当な気性の持ち主だぞ。本田さんも大変だな」
若い厩務員たちはその様子を見て口々に言う。先程、フューダルロードに威嚇してきた大きな黒鹿毛馬、カープコーズウェイは先月1600万下を勝ってオープン入り、現在の落合厩舎の馬では一番格の高い馬となっていた。元々大きな馬体で気性が荒い彼は厩舎内で実質的なボス格になっていた。
自らがボスだと新入りに伝えるカープコーズウェイに対し、フューダルロードはそれを拒絶する。自分が偉いと主張するように……。二頭は火花を散らしあった。
「気性が激しいと聞いていたが、あっさりと寝たか」
その日の夜、フューダルロードは自らの馬房で眠りについた。威嚇しあったことで疲れたのだろう、すやすやと眠っている。これから待ち受ける彼の競走生活に思いを馳せながら、馬房で彼を見守る本田はその場を離れた
「この馬、相当バネの利いた歩き方してますね」
馬具の装着さえも手を焼かされられた牧場時代と違い、ある程度は我慢が利くようになっていたフューダルロード。馬具を装着された彼にまたがる一人の若い男は、彼はこの厩舎で調教助手をしている河田博、まだ20代の若手だが、相馬眼には落合からも信頼をおかれるほどものがあった。
「しかし、あの時光坂ファームで見てた馬が本当にここに来るとは、なんか感慨深いね」
近年では調教師の地位が低下しつつあるという指摘がある。馬主の発言力が以前より強くなったことが主な要因だが、外厩施設の充実によって必ずしも厩舎に馬をおき続ける必要がなくなったというのがあるのかもしれない。
特に80年代のシンボリ牧場は外厩施設を真っ先に取り入れ、未だ最強と謳われる皇帝、シンボリルドルフをはじめとする多くの名馬を育てあげ、騎手に対しても積極的に介入していった。これは現代では当たり前の光景である。
だが、時代を先取りしすぎたシンボリスタイルは調教師の反感を買い、最終的にシンボリ牧場と美浦の調教師には修復不可能な亀裂が入ってしまい、オーナーの死と共にシンボリ牧場は衰退していったのだった。
調教師も有力馬の確保に必死だ。有力馬主との交流がないと有力馬を預かれないという事態は調教師の地位低下を指摘されても無理はない。
落合も湯川も中堅の域を出ない。それゆえに落合は湯川へと所有を促せたのだろう。現在ではセレクトセールにて億単位での落札が連発されており、フューダルロードのような庭先取引は主流とは言えなくなっているが、落合は粘り強い交渉で湯川からフューダルロードを預かることに成功したのだ。
「最後の1ハロンだけ追ってくれ」
落合からの指示を受けたフューダルロードは河田を背に坂路コースへと出る。河田に促された彼は坂路をかけ上がる。600mを過ぎたところで河田が気合をいれる。彼は体を低くして加速、そのままラスト1ハロンを駆け抜けた。
河田にしびれるような感覚が走った。この馬はダービーを勝てるかもしれない……! と。
「いい手応えだったな」
「はい、この馬はかなりやれそうです。」
調教を終えて、落合と調教の感触を確かめあう河田、落合もこの馬の可能性を強く意識していた。馬房へと帰る彼に一人の女性が声をかけてくる。
「その馬、なかなかいい2歳ね。主戦は?」