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cruel angel

 日本競馬に革命を起こした種牡馬、サンデーサイレンス。米国で二冠を制して年度代表馬に輝いた名馬である。彼ほどの名馬が日本にやってきたのは、ある馬が原因であった。


 人々はその馬をアメリカの伝説的競走馬、セクレタリアトの再来と呼んだ。イージーゴアである。米国の名血をすべて凝縮した超良血、燃えるような大きな栗毛の馬体は確かに【ビッグレッド2世】と称されたセクレタリアトを連想させた。だが、【ビッグレッド】マンノウォーからセクレタリアトまで53年の年月を要したように、イージーゴアに【ビッグレッド3世】を受け継がせるには16年では早すぎたのであった。


 イージーゴアはサンデーサイレンスと同期であった。そして、イージーゴアは三冠のうち二冠をサンデーサイレンスにかっさらわれた。サンデーサイレンスは米国の英雄候補を撃破したすごい馬であり、父として名馬を数多く輩出したのもうなづける。だが、それだけの馬であれば、日本で種牡馬になることはないはずである。では彼はなぜ、日本に来たのだろうか……。

 そこに彼の血が持つバックボーンが関係していた。サンデーサイレンスは良血とは言えない雑草なのだ。イージーゴアが米国の名血を凝縮した良血エリートであるのに対してである。競馬はブラッドスポーツ、優秀な子を産むには優秀な血統が必要という考え方は常識である。確かに雑草がエリートを破るストーリーは華やかだが、それは現役時代の話。種牡馬になったらエリートの方が有利と考えられるそれが競馬の悲しい宿命である。


 サンデーサイレンスは種牡馬として大きく出遅れた。イージーゴアが巨額のシンジケートが組まれたのに対し、サンデーサイレンスには種付け依頼が全く来なかった。だが、サンデーサイレンスは決して屈しなかった。都落ち同然の日本輸出にめげず、日本で名馬を輩出し続けた。いつしか彼の血は世界にも轟くようになっていくようになった。

 一方、イージーゴアは夭逝したこともあり、種牡馬としては大成できなかった。数少ない産駒からも活躍馬は出ており、能力の片鱗は示していた。

 だが、彼の残した産駒から一頭の大きな栗毛馬が生まれた。その馬の名前をクーオウエンジェルという……!


クーオウエンジェルの母はパーソナルエンスン、13戦13勝、ミス・パーフェクトの異名を持つ名牝、彼は全姉にG1競走4勝のマイフラッグを持つ超良血であった。1歳時のセールで日本人馬主の湯川浩介に購入されたが、彼をあきらめきれなかった調教師ロベルト・フランケルの説得によって、アメリカで走らせることになった。やがて、当時の日本のヒットアニメの主題歌に由来する馬名、クーオウエンジェルと名付けられた。

 フランケルはアメリカ屈指の名伯楽でありながら、三冠競走には縁がなかった。この馬であれば、クラシックをとれる……!彼は確信していた。

 フランケルの本拠地、西海岸でデビューしたクーオウエンジェルはデビュー戦こそ僅差の2着に敗れるも次の未勝利戦で12馬身差の圧勝を見せ、能力の非凡さを印象付けた。だが、3戦目で再び2着に敗れると左前脚に軽度の繋靭帯炎がみつかり、年内休養を余儀なくされたものの、年が明けて復帰した後はアローワンス(日本でいう平場)を1馬身3/4、重賞初挑戦のサンフェリペステークスを3馬身半差、G1初挑戦のサンタアニタダービーを7馬身差と、着差を倍にしていく勝ちっぷりを見せた。そして、フランケル氏の悲願達成のため、三冠競走が行われる東海岸へと乗り込んできた。


 だが、イージーゴアにサンデーサイレンスが立ちはだかったように、彼にもライバルが立ちはだかった。ソウルリフレインである。彼の祖父アリダーもまた、アファームドという馬に三冠をすべてかっさらわれており、三冠競走にライバルが立ちはだかるのは血の宿命であった。

 ソウルリフレインもここまで6戦4勝、BCジュベナイルとウッドメモリアルステークスを取りこぼしたが、クーオウエンジェルとともに2強と目される存在であった。

 2強対決と目された三冠競走だが、クーオウエンジェルにアクシデントが発生する。右肩ハ行でケンタッキーダービーを出走取り消し、プリークネスステークスにも間に合わず、ソウルリフレインはライバル不在の中で2冠を達成した。クーオウエンジェルはベルモントステークスには間に合ったものの、ソウルリフレインに3/4馬身届かず2着、結果としてソウルリフレインの三冠を許してしまい、フランケル氏の宿願は叶わなかった。

 だが、そのうっぷんを晴らすかのように秋初戦のトラヴァースステークスで9馬身差、古馬初対戦のジョッキークラブゴールドカップで10馬身差の勝利を挙げており、ソウルリフレインが回避を表明した競馬の最高峰、BCクラシックに勝てば、年度代表馬の座が見えてくるかもしれない。だが、再度の不運が襲った。前年に痛めた繋靭帯を再度痛めてしまい、引退することになってしまったのだ。


 引退後は馬主の意向から日本で種牡馬入りを果たす。彼は、サンデーサイレンス全盛期の中、安い種付け料が評価され、交配数こそ集めたが質の差は言わずもかな、である。それでも初年度産駒が2歳戦で健闘していた2002年に転機が訪れる。絶対的な勢力を誇ったサンデーサイレンスと血統的に役割の被っていたエルコンドルパサーが、相次いで死亡、その代打としてやってきたウォーエンブレムがずっこけたことで彼に最大のチャンスが訪れた。これまで、質の高いとは言えない繁殖牝馬で好成績を残した彼に良血の繁殖牝馬の種付け依頼が来るようになった。そして、2007年、その彼の産駒が好成績を納め、リーディングサイアーを獲得したのだった。


 そして2013年、彼は1頭の牝馬との間に黄金のたてがみをもった牡の幼駒を産み落としたのだった。

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