思い出してみて
お月様。お星様。それと、私。
森の上で浮かんだまま、私は一人、空を見上げる。
「……やっぱり、わからないわ」
私はわからなかった。
こうして空を見上げてみれば何かわかるかもねと言われて、どれくらい時間が経ったのかな。わからない時間が、どれくらい、過ぎたのかな。
「…………私のしたいこと、か」
夜のお空を眺めて、夕焼け空を思い出す。今から、数時間前の話。
私は、一人の人間に出会った。
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森を歩いていて、人間を見つけた。どこからやってきたのか、何をしていたかはわからない。ただ、いつものように尋ねた。
――――あなたは、食べてもいい人類?
目の前の男は、目を丸くした。ただ、それもほんの少しの間だけ。そいつは、私に尋ね返した。
『それが、君がしたいことなのかい?』
それを聞かれたとき、私は何も答えられなかった。そんなことを聞いてくる人間が珍しかったのもあるけれど、それ以上に、自分がしたいことを尋ねられたことがなんだか気になった。私が人間を食べるのは、お腹がすいていたからだ。他に理由があるとしたら、それは私が妖怪って言うことだろう。妖怪は、人間を驚かせ、襲い、パクリといっちゃう。人間に見てもらって、怖がってもらって、それが妖怪で、だから、私は食べてもいいと聞いた。たぶん、そうだと思う。だから、したいことかといわれればそれは違うと思う。けれど、本当にそうかはわからないから、こう返した。
――――そーなのかー?
尋ねて、尋ねられて、また尋ねて。こんなので会話が進まないのは当然だけれど、私にはこう返すくらいしかできなかった。だって、考えたことがないことを問われても、どう答えていいかわからないし。
私が訪ねると、あいつがまた尋ねた。
『したいことがわからないのか。それとも、していることがしたいことなのかがわからないのか。どちらか、あるいは別の何かなのか。私にはわからない。でも、探してみれば見つかるかもしれないね』
感情のない笑顔だった。笑っているけれど、そこに優しさとか、励ましとか、嬉しさとか、悲しさとか、そういう感情は何もなかった。まるで、笑顔の仮面を被ったみたい。それが不気味に見えなかったのはたぶん、笑顔を浮かべる動作が自然だったから。まるで、何年もこんなときに笑顔で話しかけてきたみたいな、反射のようなもの。ふと、人間の姿をよく見てみる。見慣れない服装だった。いや、見たことはある。だけど、この世界の人間では見たことがない。この格好を見ると、それはだいたい外来人。
なんとなくだけど、私は気づいた。たぶん、これが巫女の言っていた、食べてもいい人間。夜にしか活動しない、夜にわざわざ森に、幻想郷の森に誘われてしまうような人間。
なんだ。はじめに尋ねずにパクリと食べてしまえばよかった。そうすれば、こんな奴の妙な言葉で頭をぐるぐる回さなくてすんだのに。
私がしたいこと。
私がしていること。
妖怪がしていること。
本能がしていること。
本能と欲求は一緒なのかな。理性と本能は違うのはなんとなくわかるんだけれど。
したいことって、本能から生まれたのかな。それとも、理性かな。
私は、お腹も心も満たしたい……なのかな。
それとも、私を満たしたい……なのかな。
したいって、なんだろう。考えても、わからない。だから、聞いてみることにした。一連の流れを繰り返す。相手の問に答えることなく、私は再び尋ねる。
――――したいって、何? 見つけられるの?
聞いたら、こたえてくれそうな気がした。あいつは、笑顔のまま私の疑問に少しは道を示してくれて、後は私の好きなようにできる。そう、思った。
あいつは笑顔のまま、私に言った。
『わからない。でも、知りたいなら動くべきだ。知ろうとしない限り、君が知ることはない。そうだね……空を見上げてみよう。そうやって、今日を振り返ってみるんだ。そうすれば、足がかりくらいなら、いつか気づけると思う』
予想通り、提案が返ってきた。私はとりあえず、今日の夜にこれを実行することを決めた。そうとなれば、腹ごしらえをしなくてはならない。考えると、お腹がすく。食べてもいい人類なら、食べてしまいたい。
――――ありがとう。じゃあ、もういい?
私が尋ねると、彼は小さく頷いた。そして、一言だけ喋った。
『結局、誰かに何かを教えたかったのかな、僕は。こんな、最後のときも』
そのときの顔だけは感情が見えた。嬉しさと、ちょっぴりの悲しさが。
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「むー。なんだか飽きてきたわ」
気づけば、お星様とお月様の位置が変わったような気がする。もう、どれくらい時間が経ったかな。私のお腹の中にはいちゃった人間の言うとおり、こうして夕方のことを思い出してみている。知りたいなら、思い出してみろというから思い出しているのに、足がかりどころか、つかむものは空虚ばかり。つまり、何もわからない。
「あーあ。私、何してるんだろう。ねえ、お月様は知ってる? お星様は知っている? 夜空は知っている? 私がしたいこと。知りたいのに、わからないよ」
聞いてみても、教えてくれない。それとも、私が遠くにいて聞こえないだけなのかな。近づかなくちゃいけないのかな。もしそうなら、近づきたいかも。
ああー。いじわるだ。お月様も、お星様も、夜空も、そこそこ美味しかったあいつも。答えは誰も教えてくれない。
きっとわからないまま、月が欠けていくのを眺めるんだ。
そうやって、気づかないままでいるんだ。知りたいって、思っている自分に。