第2話
第1話のつづきです。
どうぞよろしくお願いします。
駅の前にあるバスターミナルでバスを待つ人の姿をぼんやりと見つめる。
ユキは今頃どのあたりにいるんだろう…?
『じゃあ、私は帰るね。またね。』と言ってユキは一人で帰って行った。
私とこの子を残して。
結局、駅のそばのカフェに来た―とりあえず。
「奈央さんは何にします?」
メニューを見ながら、諒君は私に尋ねる。
メニューも見ずに、私は
「コーヒーで。」
とだけ言った。
すると彼はいたずらっぽく笑顔で
「渋いねぇ。でも残念!ここはただのコーヒーは無いよ。」
テーブルに置きっぱなしのメニューを広げる。
コーヒーの欄がある。無駄にたくさんの銘柄。豆の種類に淹れ方…めんどくさい。
オレンジジュースにでもしよう。
「もしかして、選ぶのめんどくさい?」
ばれてしまったようだ。彼はやけに心配そうに尋ねる。表情にでてるのかも知れない―。
でも、いい。もう次に会うことはないのだから。
どう思われてもいい。
むしろ嫌われたっていいのだから。
「めんどくさい…。」
我ながら素っ気無い言い方。気分悪くするだろうな。
なんて事どうでもいいのだけど―。
「そっかー。んー、じゃあ僕と同じやつでいい?あ、めんどくさがってるから拒否権なしだね。」
「あ…うん。」
私が返事をするより前に『すみませーん。』と彼はウェイトレスを呼んでいた。
耳慣れないオーダー。コーヒーの銘柄だろうか?
私はコーヒーならホットかアイス。
紅茶もストレート、ミルクティくらいでしか注文しない。
まして産地や銘柄なんて全然興味が無い。
大体味の違いなんてさっぱり分からない。
…でも、彼は何を頼んだんだろう?
もう一度メニューを開くと―
「あ、頼みたいもの思いついた?―今、頼んじゃったけど。」
私の動作に反応して彼は訊いてきた。
メニューを見ても恥ずかしいことにどんな名前だったかすら思い出せない。
メニューを見つめたままの私に彼は『注文変更しようか?』と言い出した。
変更なんて必要ない。ただ、さっき注文したのは…
「さっき何を頼んだの?」
何だかとても恥ずかしかった。
さっき頼んだものが理解出来てないことよりも、
こんなことを訊いてしまった自分に。
なんでそんな事を気にするんだろう?
飲み物が来て、それを飲む。それで十分なのに、私には。
「さっきのはハーブティーで…ここの店はブレンドしてくれるから。
効能とか選べるんだけど―ほら。」
と、言ってメニューを見せて説明してくれた。
そこにはたくさんのハーブの名前と効能が書いてあった。
ストレス、目の疲れ、美容効果…
私が言うのもなんだけど、男の子はこんなのに興味あるものなのかな?
普通、無さそうだけど。
彼はユキの彼氏の友達の後輩。らしい。
先輩に言われては断れなかったんだろう。かわいそうに。
土曜の午後にこんな私と―ハーブティーを飲む。
飲み終わったら、早く開放してあげよう。
ハーブティーが来るまで彼は私に話しかけていた。
私は『そう。』とか『うん。』とか、そんな返事しかしなかった。
彼は困ったような顔をしていたけど。
…仕方ないよ。仕方ない。
―ごめんなさい。
ハーブティーは思ったよりも優しい香りだった。
もっと芳香剤みたいなきつい匂いがすると思っていた。
『初めての人でも飲みやすいやつ』と彼は言っていた。
確かに、飲みやすかった。
効能は…
「おしゃべりになるお茶。」
と、彼は笑って言った。
冗談だとすぐ分かったけど、何だか悲しくなった。
上手く説明できないけど。
喋らない私に、きっかけを与えようとしている。
理由は分からないけど。
彼の行為は無駄なものになってしまうのが分かっている。
私は『おしゃべり』には、なれない。
「嘘。効能はリラックス。―これ結構、おいしいなぁ。」
彼はカップの中を見つめて言った。
赤味がかった透き通ったハーブティー。
心地よい香りが、ずっと広がっている。
表のバスターミナルにはもう何台のバスが来たんだろう。
この場所で誰かとハーブティーを飲むなんて、昨日は思いもしなかった。
不思議だった。
どうして彼と、何故ハーブティーを、一緒に飲んでるんだろう。
また誰かとこんな風にハーブティーなんかを飲むことがあるのだろうか。
―きっと、無い。
「僕ってよく喋るなぁって思う?」
「…うん。」
『ははは、正直だね。』と彼は言ったけど
私が彼を必要以上におしゃべりにさせているのだ。
「弟にも、よくしゃべるなー。ウルサイ。って言われる。」
弟がいたんだ。
そう言われると―お兄さんタイプっぽい、面倒見が良さそう。
何せ私の相手をしてるのだから。
「―何か、喋ってないと…何て言うんだろ?自分が消えそうなんだよね。」
消えそう?―
彼を見る限りそんな気持ちを持っているなんて微塵も感じない。
自分が消える。
喋らないだけで消えるなら、私なんてとっくに消滅してる。
外ではポツポツと雨が降り始めた。
「あ、雨だ。―傘持ってる?」
「うん。」
朝の天気予報でも言っていたし、家を出るときにはもう曇っていた。
折り畳み傘は持っていた。彼は―
「傘持ってる?」
と、私が訊くと
「持ってない。」
と、答えた。少しも困った風には見えない。
ここから駅までは地下道でつながってるから駅までは傘は必要ない、けど。
―私には、関係無いけど。
「家は駅から近いの?」
私はこんなことを訊いてた。関係ないのに。
『駅からは、歩いて10分くらい』と言う。
私の家は、駅からすぐ。走ったらすぐ着く。
予報では雨は夜になるほど強くなると言ってた。
私は『もう、帰ろう。』と言って伝票を持って立ち上がった。
彼はちょっとビックリした顔をした。
私が機嫌を悪くしたとでも思ったかも知れない。
そんなことはどうでも良かった。
私は雨のことばかりが気になっていた。
どうしてか分からないけど。
会計の時に『別々に』と言った私に、彼はこのくらい払うよ。と言ったけど
私は何だか嫌だった。
だから別々に支払った。
地下道を歩いて駅に向かう。
急いでる私に彼は何だか気を使っているようだった。
いや、はじめから彼は私に気を使っていたのだけど。
もっと複雑な表情をしていた。
私は彼に伝えたかったけど、言葉が出なかった。
歯がゆくて、悲しかった。
消えてしまいそう―そう、思った。
彼の言う『消えそう』という感情はこんな気持ちなんだろうか。
違うかも知れない。
それすら私には訊けない。
訊けない理由も、訊きたい理由も、自分の事なのに分からなかった。
駅に着くと彼と私は逆方面だったので改札で別れた。
『それじゃあ、さようなら』と笑顔で彼は手を振って―向こうへ歩き出す。
私も『さようなら』と言って、歩き出す彼に傘を渡した。
何も考えずに。なんとなく。
『もう一本あるから…。』と言って。
すぐに早歩きで私は電車に向かった。
その後ろで彼の声が聞こえた。
『ありがとう。じゃあ、また。』
次に会うことは、無い―と思う。
それでも彼は『また』と言った。
ただその言葉だけがひどく頭に残っていた。
―つづく