kiss 5
我ながら大して可愛くはないが、昔から、男を落とすのには自信があった。男が喜ぶ言葉、喜ぶ表情、喜ぶ服、喜ぶセックス、全て自信があった。今別れても次がいる、見つけてみせる、こんな調子だから、恋人と長く続いた試しがなかった。より素敵な彼氏を見つけることに快楽を得ていたのだ。
だから、何度か肉体関係に及んだ男から元彼女とよりを戻したいからもう連絡しないでほしい、と言われた時も、そんなに驚きはしなかった。
次次、携帯電話で男友達のリストを検索していると、水滴が落ちてきた。天気予報の嘘つき-
「あれ?」
泣いているのは私だった。そういえば、付き合うならともかく、求婚までしてきたのは、彼が始めてだった。
そう言えば実家にも挨拶に来た。親に嫌々別れたことを報告すると、何と爆笑していた。いつもは腹正しいほどの呑気さが、今日だけはありがたい。自棄酒を両手いっぱいに抱えて仕事から帰っていると、家の前で彼が土下座していた。
「…何してんの」
「許してほしい…やっぱり結婚してほしい」
「はぁ!?」
いつまでも部屋の前で土下座されていても困る為、仕方なく部屋の中に招きいれた。彼は少し泣いていたようだった。女の涙はずるいとよく聞くが、男の涙はもっとずるいと思う。普段泣かないだろう涙を見せられたら、同情してしまう。
しかし、その同情でさえもったいないことになる。彼は結局彼女に振られたという。何でも彼女には特別な性癖があったとか何とか、もうこのあたりは怒りがこみ上げすぎて、よく覚えていない。
「頼むから、一緒に実家に帰ってほしい。おふくろの介護が必要なんだ」
「自分でしろよ」
「女同士の方がいいだろう、妹は遠くに嫁に行ったし、息子とはいえ、異性に介護されるのは嫌だろう」
大体読めてきた。この男は、介護したくないのだ。介護してくれる女手がほしいだけで、好きでもない女を実家に連れて帰ろうとしているんだ。今更、この男は潔癖症寄りなことを思い出した。
「頼むよ、もう君しかいないんだ」
頼めそうな女手が、だろうが。
「あそこ腐って死んじゃえ馬鹿!」
私は彼を玄関から蹴り出すと、鍵を二重に閉めた。
好きでもなかった、彼の彼女というブランドが欲しかった、今時両親の介護を二つ返事で承諾してくれる女を演じて、尊敬されたかった。それだけなのに。
なのに私ときたら、元彼の心を射止めた彼女が気になって仕方がなかった。私よりブスだったら蹴ってやる、私は小学生のような感情で、彼女を探しに出た。
鍵の隠し場所を変えてない彼が悪い。携帯を置きっぱなしの彼が悪い。ロックをかけていない彼が悪い。
私は易々と彼女の連絡先を手に入れ。かなり迷ったが、彼に多額のお金を貸したが連絡が取れない、という電話を入れた。彼女はあっさり会うことを承諾してくれた。さすがに良心が痛んだ。もう怒りは彼に対してしかない、その怒りも一分一秒でも早く忘れたい。
ただ彼女の顔がみたい一心だった。本当に興味本位だったのだ。
待ち合わせの喫茶店に着くと、軽く絶望した。あんなに美人だとは思わなかった。女優さんみたいだ、いろんな人が指差し、店員も気にしないようにしようとし過ぎて、そわそわして、逆に不自然だ。
私はがくりと肩を落とし、急用が出来たから、と断りの連絡を入れようとした。
携帯を開いた瞬間、また絶望した。彼女の連絡先を控えるのを忘れていた。
私は向かいの喫茶店に入り、彼女が帰るのを待っていた。さすがに30分も待たせば帰るだろうと思ったが、一時間経っても彼女は帰ろうとせず、こちらのほうが辛抱出来なくなった。私は喫茶店を飛び出し、向かいの喫茶店へと行った。
彼女は遅れたことを責めもせず、私の顔を見るなり、札束を差し出してきた。私は水が咽るかと思った。
「足りませんか」
「いいえ、あの、あなたに頂くことは出来ませんし…失礼ですが、彼の恋人さん、ですか」
「数年前にそのような関係でしたけども、今は別れております。最近会う機会がありましたけど、結局、付き合っておりません」
年はそれほど上でもないだろうが、しっかりした性格に、すごい美人で、声も、話し方も素敵だった。こんな人にどんな性癖があるのかちょっと想像してしまうと、彼女はにこりと笑った。
「どうしてもお困りのようなら、また連絡下さい。彼には迷惑をかけましたから、私が払いますわ」
綺麗すぎて、いつまでも見ていたくて、私がいつまでも視線だけ見送った。彼女からもらった名刺は、嘘のお詫びの連絡を入れると、彼の思い出と一緒にまとめて捨てた。ゴミ捨ての帰り、偶然彼を見た。彼は同僚らしき男と並んで歩いていて、ふと私に気づいたのか、笑顔が凍りついた。私はそっと不気味に笑い返してやると、そのまま去っていった。
そうか、彼女なら仕方ないな。
私は泣いていた。失恋したなんて、思いたくなかったから、こすれるくらい、涙をぬぐった。
小さな仕返しの効果は絶大だった、彼からの謝り倒した長い長い留守番電話のおかげで、携帯の充電が切れてしまった。そこまで依存しているわけでもないが、何気なく近場の携帯ショップに立ち寄り、充電させてもらっている。すると、隣に近づいてきた男性と目が合った。学生かと思うほどの、幼さが残る、社会人らしき男だった。
「あの、よかったらー」
半ば自棄でついていった男は、年下だし、お金もないし、彼の方がずっと格好よかった気がする。けど、趣味が悪いのか、私が世界で一番可愛いと言ってくれるし、こうも不恰好だと浮気の心配もない。私は何だか、産まれて始めて『彼氏』 が出来たような気がしていた。
ずいぶん怒鳴っていた両親も、最近では、諦めて、二人で実家で帰ってきたら、と笑っている。それもいいかな、と思い、私は彼のぶさ可愛い寝顔に、そっと唇を落とした。




