kiss 2
最近、隣の家の子が、足繁く図書館に通っている。確かまだ中学生だったと思うが、すれ違った顔はずいぶん大人びていて、少しどきりとした。
何かあったんだろうか、僕が対して興味もないくせに身を乗り出してもう一度彼女の顔を見ようとすると、携帯電話が鳴り響き、驚いて落としそうになった。
電話ではなくメールだった。開いてみると、自分の可愛い恋人からだった。思わず口元が緩むが、メールを開いた瞬間、自身の表情が凍りつくかと思った。
『できちゃったみたい』
衝撃的な文章は。
『ごめん、多分、君の子じゃないんだ』
更に衝撃的な文章で続き、その後は何も書いていなかった。
僕と彼女は高校生の時に出会った。可愛くて明るくて楽しくて、どうして僕なんかと付き合ってくれているのか不思議でたまらなかった。本当に好きになってくれているのか不安で、聞きすぎたあまり、喧嘩することも珍しくなかった。
デートもたくさん行ったし、同じくらいキスもセックスもした。しかし付き合って五年もなると、さすがにあまりしなくなってきた。それでも不仲になることはなく、むしろデートの時間が長くなり、絆が深くなっているのが分かった。
いつか小さな家に住んで、僕そっくりの子を産んでくれることを、僕は、少女のように夢見ていた。
まさか彼女は乱暴されたのか、震えるように電話してみると、彼女は落ち着いていて、僕の方が緊張していたくらいだった。
彼女から指定された喫茶店に行くと、奥で軽く彼女が手を挙げてくれた。先週遊園地に行ったはずなのに、数年ぶりに会ったような錯覚がある。彼女の目元は真っ赤に腫れていて、頬も少し赤かった。
殴られたの、と僕が聞くと、彼女は苦笑した。
「父にね。古臭い人でさ、できちゃった結婚した芸能人のニュース見ただけで、朝食残すような人だったから」
そう話した次の声は、もう震えていた。
「ごめんなさい。好きな人ができてしまったの」
彼女は泣きながら、深く頭を下げてきた。僕はただ、静かに落胆していった。彼女ではなく、自身にだ。彼女が乱暴されることと、僕がふられることは、傷つき方の具合が同じ位なのだと、気づいてしまったからだ。
彼女はぽつり、ぽつり、と話してくれた。
僕のことは好いてくれていたが、正直一年ほど前から兄弟のような感覚になってしまっていたらしく、恋愛感情のようなものはなかった。そんな中、出会ったらしい彼は、同じ会社で、妻子ある人だった。惹かれまいと耐えるうちにどんどん好きになってしまい、とても言えたものではなかったが、驚いたことに、声をかけてくれたのは彼からだと言う。
「奥さんにも、君にも、悪いと思ったの。思ったけど…もう、止められなかった。子供ができた時も、産む気なんてなかった…でもね…」
彼女の涙が溢れるあまり言葉が次げなくなり、僕は変わりに答えた。
「産んでくれって言われたんだね」
彼女はしゃくりあげながら頷いた。いくらか救われたような気がした。彼女が選んだ人が、子供なんて下ろせと怒鳴るような男でなくてよかった。
「奥さんたちはどうするって?」
「別れて、私と結婚するって言ってる…でもね…」
彼女は顔を上げない。上げないが、見ようと、見てくれようと思っている先にいるのは、僕だろうと、それくらいは自惚れられた。僕の言葉は、もう決まっていた。
「そうか。じゃあ、頑張れよ。応援してるから」
僕が精一杯格好つけると、彼女は泣きながら、何度もありがとうとごめんなさいを繰り返していた。
喫茶店を出た瞬間、僕は子供のように泣き叫んだ。僕は、下ろせとも、別れてやらないとも、言えない臆病者なだけだ。それでも彼が好きなの、と言われるのが恐かっただけだ。
泣いて、泣いて泣いて泣いて、やがて涙が枯れた頃、僕はすっと顔を上げた。頭の中は妙に落ち着いていた。
死んでやろうかな
彼女は後悔するかな
子供を下ろすかな
男と結婚しないかな
例え結婚したとしても一生悔やみながら暮らすんだろうなー
「おにーちゃん、危ないっ」
弾かれた。
駅のホームから飛び降りようとしていた僕の服を掴むのは、小さな女の子だった。どう考えても他人の空似だろうが、目元が彼女に似てる気がした。そして小さな彼女を、絵に描いたようなアットホームな家族が引き取りに来た。
いつか。
いつか彼女もああなるのだろう。そしてその隣にいるのは、絶対に僕ではない。幸せになってもらわなくては困る。僕なんかを、さっさと忘れてくれないと困る。
また僕が泣き叫ぶと、また、さっきの男の子がやってきてくれた。
心配そうに親御さんまで来てくれて、さすがに恥ずかしくて、泣き止んだ。大丈夫ですよ、と照れ笑いする僕の腕は、どこで引っかけたのか血が滲んでいた。
拭おうとすると、女の子がそっと、その場所にキスをした。僕がこの野郎、と言うと、女の子はいつまで笑っていた。




