ジーナ VS ヴァゼンシグド
一方、こちらは目くらましの空間に閉じ込められた、ジーナとヴァゼンシグド。
「さっきは、ドレスの裾にでもまくれてかわせたか?だが、まぐれは2度は訪れない。貴様を護ってくれる皇子様は、ここにはいないぞ。魔法を失敗した、お前の従者を恨むのだな」
未だ、ジーナがか弱いと思っているヴァゼンシグドは、フィアがかけた魔法は失敗だと決めつけ、自分に背中を向けているジーナに冷たく言い放つ。
「・・・これで、気がねをする必要もない。誰の目も気にならない。あんたを叩きのめしてもいいって事よね」
淑女の仮面(猫)を脱ぎ棄て、本来の自分に戻り、ジーナが楽しげにヴァゼンシグドを振り返る。その口元には、楽しげな笑みが浮かべられていた。
「・・・?」
ジーナの豹変ぶりに、ヴァゼンシグドは不思議そうに首を傾げる。
「何よ?その間抜けな顔は!私が、まぐれであんたの攻撃をかわした訳ないでしょ?プログノス様みたいに上手くは魔法は使えないけど、私には拳がある。かかってきなさいよ!ヴァゼンシグドだっけ?あんたも、どっちかって言うと、こっちのタイプなんでしょ?」
ヴァゼンシグドに拳を突き出し、ジーナは不敵に微笑む。
「ふははははははっ。事前の調べでは、漆黒の淑女と聞いていたから、何も出来ない大人しい娘だと思っていたぞ。成程、それが貴様の本性という訳か」
今のジーナが、本当の彼女の姿だと理解をし、ヴァゼンシグドはおかしそうに笑う。
「その名前、次に口にしたら殺す。コルセットやパニエと一緒で、私は大嫌いなのよ。あんたの事も嫌いだけど」
ヴァゼンシグドの口から、自分の嫌う通り名を聞き、ジーナは嫌そうに顔をしかめ、そのまま殴りかかって行く。
「おっと!中々に良い筋をしている。娘、名は何という?」
ジーナの鋭い突きをかわし、その背後に素早く回り込んだ後で、ヴァゼンシグドはジーナの耳元で囁く。
「マティス国の第1皇女、クラベジーナよ!」
素早くヴァゼンシグドから距離をとり、ジーナは自分の名を名乗る。
「マティス国と言えば、ローグルの血縁者か。成程、その血の気の多さも口の悪さも、あいつに良く似ている」
ジーナを見つめ、おかしそうに笑った後で、ヴァゼンシグドは連打を繰り出して来る。
ジーナは、両腕に魔力を集中し、ヴァゼンシグドの突きを全てなぎ払う。そうでもしないと、肌に触れられるだけで、相手の魔力で体が弾き飛ばされてしまいそうになる。
「・・・あんた、一体何者なの?ドラグーンのローグル様や、アルグド様の事をよく知ってるみたいな口ぶりだし。それに、私達に、一体何の恨みがあるというの?」
今度は、ヴァゼンシグドに渾身の一撃を叩き込みながら、ジーナは相手の真意を問いかける。
正直、マティス国とデルタ国の統合を破棄され、一方的に命を狙われ、ジーナは頭に来ていた。
「あいつ等との事は、貴様に答える必要はない。だが、貴様達を殺せば、この世界は再びの混乱へと陥る。俺はこの目で見たいのだ。恐怖と絶望に支配された、救いのない世界を。光に溢れたこの薄気味悪い世界を、純粋な殺戮と闇の世界へと塗変えてやるのだ。貴様等には、直接の恨みはないが、産みの親には大きな借りがあってな。恨むのなら、自分の中に流れる、その呪われた血脈を恨む事だ!」
ジーナの渾身の突きを、わざと自分の腹に受け、至近距離からジーナの顔を覗き込み、ヴァゼンシグドはニヤニヤと笑っている。
「薄気味悪いのは、あんたの方よ。悪趣味なその思想、聞いてるだけで虫唾が走る!」
ヴァゼンシグドに見据えられ、ジーナの背に寒気が走る。
手ごたえは確かにあった。
現に、自分の攻撃は、ヴァゼンシグドに見事にヒットしている。
しかし、目の前のヴァゼンシグドは、ジーナの攻撃を正面から受けても、平気な顔で笑っている。体には、傷一つついてはいない。
一体、どういう事なのだろうか?
「どうして、傷がつかないのか不思議に思っているのか?」
ジーナの目をじっと見つめ、ヴァゼンシグドがその心の内を読む。
「・・・」
その言葉には答えず、ジーナはヴァゼンシグドから離れ、近くの床の上を、彼女にしてはごくごく控えめな力で軽く小突く。
ドガッ!大理石で造られた床に敷き詰められた石は、哀れにも粉々に砕け、半径1mは軽くえぐられる。
「・・・やっぱり、私の力が弱い訳じゃない」
自分の拳の威力を確認し、ジーナは目の前のヴァゼンシグドを睨む。
では何故、ヴァゼンシグドには、自分の攻撃は通用しないのか?
「心配をしなくても、貴様の拳は、中々に大したものだ。普通ならば一撃を受けただけで、内臓破裂は免れないだろう。いや、全身がバラバラにされているか?だが、俺は少し特殊なのだ。それにしても、不思議だな。そんな細い体の何処に、その破壊力が宿っているのか?」
ジーナの華奢な全身を見つめ、ヴァゼンシグドは不思議そうに首を傾げる。
「この細い腰など、力を少し込めるだけで、簡単に砕けてしまいそうに見えるが・・・」
目の前のヴァゼンシグドが姿をくらまし、驚いていたジーナの背後から、低い声が響いて来る。
「・・・!」
その声に驚き、ジーナが振り返ると同時に、ヴァゼンシグドは両腕を伸ばし、ジーナの細いウエスト部分を掴み、そのまま軽々と空中に持ち上げる。ヴァゼンシグドの大きな両手の中に、ジーナの細いウエストはすっぽりと収まり込む。
「・・・っ!」
ジーナは、何かを叫ぼうとするが、ヴァゼンシグドの両手の締め付けがきつく、呼吸を満足にする事も出来ない。逃れようにも、自分は不安定な空中に持ち上げられている為、力を込める事も出来ない。
側から見れば、父親が子供をあやす為に、高い高いをしている様にも見えるが、今のこの2人の間には、そんな和やかな雰囲気など、到底存在してはいない。
「そろそろ、めんどくさくなってきた。男の方はマムが始末をしているだろうから、貴様の事もこのままくびき殺す事にしよう」
ヴァゼンシグドは、そのまま両手に力を込め、ジーナの腰の骨をへし折ろうとする。
「・・・っ!」
ヴァゼンシグドの締め付けが更にきつくなった事により、ジーナは痛みで顔をしかめる。そして、そのまま意識も徐々に遠のいて行く。
・・・助けて!
そんなジーナの耳に、何者かの救いを求める声が響く。
それは、目の前のヴァゼンシグドの中から響いて来た様に、ジーナには感じられた。
苦し紛れというか、ドラグーンから受け継いだ能力というか、ジーナはヴァゼンシグドの喉元に埋め込まれた宝石に秘密がある様な気がして、魔力を込めた手を伸ばす。
バチッ!という音が響き、両者の間に激しい火花が散る。
その瞬間、ジーナの脳裏に浮かんで来たのは、救いを求める自分達が住まう惑星の姿と、本来ではその場所にはなくてはならない物を、ヴァゼンシグドが抜き去る光景。
それが持ち去られた事により、魔力が定まらなくなったのだと、惑星はジーナの心に直接訴えかけて来る。
「・・・おのれっ!」
ジーナを床の上に叩きつけ、ヴァゼンシグドは自分の喉元を覆う。
「・・・くっ!」
受け身のとれないまま、ジーナは床の上に体をしこたま叩きつけられ、しばらくは動く事も出来ずそのままうずくまる。
「・・・よくも・・・」
顔を怒りで引きつらせ、ヴァゼンシグドはジーナの体に目がけて、大きな足を振り下ろしてくる。
「・・・ここよ!貰ったわ!」
ヴァゼンシグドを睨み上げ、痛みを必死に堪え、ジーナは素早く地面に残っていた方の足を引っかける。
「・・・ぐうっ!」
咄嗟の事で反応が遅れ、ヴァゼンシグドは、背中から派手に転ぶ。
「はああっ!」
ヴァゼンシグドの上に馬乗りになり、ジーナは拳に最大限の攻撃力アップの魔法をかけ、ヴァゼンシグドの喉元に拳を振り下ろす。
「ぐあああああっ!」
喉の宝石を思いっきり叩かれ、初めて、ヴァゼンシグドは苦しそうな悲鳴を上げた。
ピシリ・・・。聞こえるかどうかの小さな音の後で、宝石に亀裂が入る。
「勝手にレディの体に触った罰よ!コルセットだけでもきついってのに、更に締め付けるなんてっ!」
かなり場違いではあるが、ウエストを締め付けられた事に怒りを感じているジーナは、続け様に拳をヴァゼンシグドの腹部に叩きこむ。
「がっ!」
先程までとは違い、ジーナの拳は、今度はヴァゼンシグドの体を確実にとらえていた。肉の上から骨にまで到達する低い嫌な音が、周囲に木霊する。
ジーナは、更にヴァゼンシグドに対し拳を振りおろそうとするが、嫌な感覚に襲われ、そのまま後ろに大きく飛びのく。
「・・・よくも。たかだか、脆弱な魔族の分際で・・・」
床の上から体を起こし、ヴァゼンシグドはジーナを正面から睨む。
その全身からは、どす黒いオーラが立ち昇り立ち昇り始める。
「ジーナ様!」
そこに、フィアとディールが、ジーナを追いかけ、遅れて姿を現す。
「きゃあっ!・・・何なの、あのいかつい化け物は。見た目はまあまあなのに、美学の欠片もないじゃないおよぉ!はっきり言って、ナンセンスよぅ!」
初めて、はっきりとヴァゼンシグドの姿を目にしたディールが悲鳴を上げ、気味悪そうに眉をひそめる。
「この際、叔父様の趣味はともかくとして。私も正体まではわからないけど、ヴァゼンシグドって名前らしいわ。後は、この世界を壊して、闇の中で引きこもりたいんだって。最大級の根暗の引きこもりよ。それで、今は私とプログノス様を殺そうとしてるみたい」
ジーナは、ディールの意見を半分以上スルーし、ヴァゼンシグドの事を、簡単にフィアとディールに説明する。
「確かに、陰険で暗そうなタイプですね。あの喉元の宝石。何かの封印でしょうか?」
ジーナにひびを入れられたヴァゼンシグドの宝石を指差し、フィアがディールに尋ねる。
「どれどれ・・・。ああ、そうみたいね。あの宝石で、自分の魔力をコントロールしていたのよ。私の経験によると、異なった人格と魔力を融合させる為に、ああいう事をする人種がたまにいるからね」
フィアの指差した宝石を鑑定し、ディールは自分の見解を話す。
ディールが推理をした通り、ヴァゼンシグドの喉元に埋められた宝石は、彼とある力を繋ぐ役割をすると共に、異なった2つの人格をまとめる役割を果たしていた。
ヴァゼンシグドには、2つの人格が存在する。一つ目は、破壊を好む冷酷無比な人格で、こちらは計算高くこすずるい。つまりは、今、体を使っている人格である。しかし、常にこの人格が行動し続けると、体力と魔力を激しく消耗してしまう為、ここぞという時以外は、無気力でやる気のない人格が、体の主導権を握り、魔力と体力を温存しているのだ。
それと宝石は、常に魔力で薄くて丈夫な鎧を造り出し、自分の全身を覆う役割も担っていた。その為、先程までのジーナの攻撃は、ことごとく通用しなかったのだ。だが、今はその鎧にひびが入り、肉体はダメージを受ける様になってしまっている。
「やはり、そうですか。そうなれば、あの様な宝石の力を借りずとも、異なった人格を見事に使い分けるジーナ様とディール様は、ある意味、ヴァゼンシグド以上という事になるのでしょうね」
異なった人格を完全に使い分けるジーナとディールを、感心した様に見つめ、フィアは場違いなつぶやきを漏らす。
「・・・何よ!」
ジーナは、フィアをぎろりと睨む。
「んまぁ、失礼しちゃうわね。それを言うのなら、完璧な精神力と演技力だと訂正して欲しいわ。少なくとも、あんな物の助けを借りなくてはならない、不安定な輩とは出来が違うんだから!」
ディールも頬を膨らまし、フィアに抗議をする。
「いえ、あくまでお褒めしているだけに過ぎませんので。お2人は、素晴らしい才能(猫かぶり)の持ち主ですよ」
「本当かしら?ヴァゼンシグドよりも、今のフィアの言葉の方に、とてつもない悪意を感じたわ」
涼しい顔で微笑むフィアを、ジーナは軽く睨む。
「うがあああああっ!」
自分の中の何かを抑える事が出来なくなったのか、ヴァゼンシグドは大きく身をよじり、頭を押さえこむ。
それと同時に、先程以上の強烈で禍々しい魔力が溢れ出し、フィアの造り出した目くらましの空間の中一杯に充満して行く。
それは、一種の有害な障気にも似ていて、呼吸をする度にジーナ達の体内に侵入し、その自由を奪って行くようだ。
「・・・こほこほっ。ちょっと、このままじゃやばいわよ。どうするの、って言うか、あんたは何をしたの?見たところ、凄く怒っちゃってるじゃないのよぉ!」
ヴァゼンシグドの強烈な魔力に咳込み、ディールは悲鳴を上げ、ジーナに話し掛ける。
「別に、何て事はしてないわよ。ただちょっと、あいつをぼこ殴りにして、宝石を崩し、腹に一撃をお見舞いしたに過ぎないわ。でも、あの宝石を壊せたお陰で、今までは何をしても効かなかった攻撃が、今ははっきりと通用する様になった。で、提案なんだけど、フィアが鞭と魔法であいつの自由を縛って、私と叔父様が、ヴァゼンシグドを2人でタコ殴りってのはどうかしら?」
自分が、フィア達が来る前にヴァゼンシグドにした事を、これまた簡単に話し、ジーナは2人に提案を持ちかける。
「ジーナ様らしい、実に野蛮かつ無謀極まりない策ですね。簡単に言ってはくれますが、あんな危険な相手、縛るのも命がけですよ。・・・とは言え、今は、それが1番有効そうですね。このまま、この悪趣味な魔力を吸わされ続けるつもりもありませんし、かと言って、目くらましの空間を解き、プログノス様やルクサリオに危害を加える事は出来ない。・・・やりましょう」
ジーナを批判する事は忘れずに、フィアは頷き、その無謀な策に乗る事を告げる。
それに、外では現在、プログノスとルクサリオがレニアという、例の魔法を操る少女(?)と対峙をしている為、ここからヴァゼンシグドを出す訳にはいかない。
肉体戦が得意なヴァゼンシグドと、魔法戦が得意なレニア。この2人を一緒に闘わせる事は、なんとしても避けたいところだ。
「わかったわよぅ!女は度胸!私だって、やる時はやるんだからぁ!でも、タコ殴りだなんて、野蛮な言葉は使わないでよね!いい?私のモットーは、常に優雅に美しくなんだから!」
言葉使いと態度は相変わらずおねえのままだが、そう言ったディールの全身には、凄まじい闘気が立ち昇って行く。こんなにふざけた性格をしていても、ディールはジーナの格闘の師。本気を出しさえすれば、この魔界一の格闘家なのだ。現に、本気バトルでは、まだジーナは、ディールに1度も勝てた事がない。
「はいはい。それじゃ、決まりね。フィアの鞭と魔法で縛った後で、私と叔父様で優雅にタコ殴りと行きましょうか」
ジーナは、フィアとディールを見渡し笑う。
「・・・許さんぞ!」
凶暴な人格の方に落ち着いたのか、ヴァゼンシグドは、凍てつきそうな瞳で、ジーナ達を射抜く。
尋常な精神の持ち主なら、ここで悲鳴を上げそうなものだが、ジーナの口元には、これ以上ない位の笑みが浮かべられていた。それは、ディールも同じ様で、2人共、目の前の獲物の剥き出しの闘争心に、心酔しきっているらしい。
・・・本当に、似た者同士の格闘馬鹿・・・。
ジーナとディールには、聞こえない様に腹の中で毒づき、フィアも直ぐに臨戦態勢に入る。
重苦しい程の沈黙と緊張感が、周囲を包みこんでいた。




