命運を握る第3の人物
場所は変わって、人間界。
ジーナとプログノスの婚約の儀が執り行われる少し前。
人間達が治めるバルジュ・ルベア国(以後はルベア国)に、3人目の能力者が、そうとは知らずに呑気過ぎる位に暮らしていた。
その人物の名は、フォルクス=エスタシオ=ロネオス(通称はフォルクの為、以後はフォルク)。このルベア国の第1王子である。王妃である母を去年に病で亡くし、現在は父王と、幼い弟・シオンとの3人家族だ。容姿は、ライトブラウンの癖であちこちに跳ねたショートカットに、深い湖の様なブルーの大きな瞳。年齢は16歳。身長は170cmで、非常に愛らしい容姿をしている。格闘は苦手だが、頭脳は明晰。魔法に憧れ、魔法薬の研究に没頭している。他にも、趣味でムエタイやカポエラを通信教育で習っており、天然で呑気な割には、身のこなしは軽かったりする。
「あ~あ、本当にいい天気だなぁ」
趣味の魔法薬の研究の合間に、フォルクは王宮の庭に散歩に出て来ていた。空は青く澄み渡り、白い雲がのんびりと流れている。暖かな日差しが降り注ぎ、柔らかな風がフォルクの頬を優しく撫でて行く。
フォルクの住まう人間界は、魔法などは一切存在しない為、魔族達が瀕している深刻な問題とは全くの無縁だ。
だが、それでもどこか2つの世界は通じているのか、人間界にも最近異変が生じ始めている。それは、ある日突然、一つの町が地盤沈下により消滅をしたり、川の水が異常な増水後氾濫を起こし、収獲間際だった畑の作物が流されてしまうなどの、結構深刻な事態にまで発展しつつある。
普段は呑気なフォルクだが、これでも一国の王子。出席をした朝議で聞かさせる報告に、少なからず心を痛めてはいる。
それに・・・。
フォルクには、口には出して上手く説明出来そうにないが、この一連の異常事態には、何か大きなまがごとが潜んでいる様な気がしてならないのだ。
自分の中でのみ、日々強くなって行く警告音・・・。
何かが起こる。
そんな不安を払う為と、有事の際には国を救える様にと、フォルクはフォルクなりに、魔法薬の研究に勤しんでいるのだ。
「僕にも、何かが出来たらいいんだけど・・・」
空を流れる雲を見上げ、フォルクはつぶやく。
そんなフォルクを、狙う怪しい影が一つ。
その人物は、深い溜息を吐き出した後で、覚悟を決めた様に、フォルクに向いボーガンを構え、その矢を放つ。
どうやら、潜んでいた人物は、フォルクの命を狙う暗殺者だったらしい。
放たれた矢は、逸れる事無く真っ直ぐにフォルクの心臓目がけて飛んで行く。
「よいしょ!」
その瞬間、何の前触れもなく、フォルクは大きく体をひねり、呑気にストレッチを始める。
放たれた矢は、フォルクの体のすれすれを掠め、そのまま庭の奥へと虚しく空をかいて消えて行く。
「・・・ちっ!」
潜んでいた人物は、小さな声で舌打ちをし、今度は手にしていた短刀を続け様に投げる。
「よっとっとっ・・・」
その短刀達を、今度は見事なばくてんで、フォルクは難なく交わしてしまう。
その後も、フォルクに目がけて、姿を潜めた暗殺者は攻撃を繰り出すが、その全ては交わされてしまい、フォルクは相変わらずぴんぴんしている。
言って置くが、命を狙われているフォルクには、全くその自覚がなく、攻撃も故意にかわしているのではない。むしろ、フォルクにしてみれば、ストレッチをしていたら、攻撃が勝手に逸れて行ったと言った方が正しいだろう。
「・・・」
フォルクに全く攻撃が当たらない為、暗殺者は手にしていた手留弾のピンを引き抜き、そのまま投げつける。
ゴトリ・・・。
フォルクの足元に手留弾が転がり、暗殺者は今度こそ仕留めたと笑う。
「あっ!」
その瞬間、少し離れた木の上に何かを見つけたフォルクは、人間とは到底思えない脚力で、一瞬にしてその場所まで跳躍をする。
ドガアアアンッ!
凄さまじい爆音が響き、爆風と砂ぼこりが周囲の視界を遮る。
殺ったか?
その一瞬を逃していた暗殺者は、フォルクを仕留めたと思いこみ、僅かに身を乗り出す。
しかし、その表情は、どこか後悔とやるせなさに支配されていた。
「やったぁ!前から探してた茸だ。これがあれば、また新しい魔法薬が作れるよ♪」
木の枝の上に飛び乗っていたフォルクは、見つけ出したお宝を手に、うっとりとしている。研究馬鹿のフォルクは、興味のある物を見つけ出すと、周りの事は全てどうでも良くなってしまう。その為、今、自分の背後で起った爆発騒ぎにも、全く気がついていない。
フォルクが今後ろを振り返れば、周囲は結構な惨劇になっている。さっきまでフォルクがいた場所は爆弾で吹き飛び、それ以外にも、周囲の地面や木には、色々な凶器が深々と突き刺さっている。
だが、当のフォルクは、手に入れたお宝に夢中で、周囲の状況などどうでもいい様だ。
ここまで来ると、天然なのか計算なのか分からない。
「あっちにもあるかな?探してみよう」
周囲の木々を見渡し、フォルクは身軽な猿の様に、枝から枝へと飛び移って行く。そうして、その姿は、暗殺者の目からは確認出来なくなる。
「・・・・だから、何でだ?」
異常に身軽なフォルクを見送り、暗殺者はがっくりと地面に膝を着く。
今日だけでなく、この人物は、今まで幾度となく、フォルクを亡き者にしようとしてきた。
しかし、結果は何時も同じ・・・。
フォルクには何を仕掛けようとも、彼は自然に振る舞い、その全てを完璧に回避してしまう。そして、自分が狙われている事には、全く気がついていない。しかも、武術はあまり得意ではない癖に、身軽さは猿以上だ。時には、命綱なしで、城の城壁を登る事さえやってのける。
「・・・私が、何とかしないと・・・」
心のどこかでは、フォルクが無事な事に安堵をしながらも、暗殺者は焦っていた。
どうやらこの人物は、自分の意志でフォルクを亡き者にしたいようではないらしい。
しかし、思いつめた瞳を見ると、そうしなければならない事情が、暗殺者にはあるようだ。
「取りあえず、元通りにしておくか」
ひとしきり破壊された庭を見渡した後で、暗殺者は後片付けに取り掛かり始める。
自分で壊しておきながら、自分で片付けをする。
ここまで来れば、この暗殺者の事も良く分からなくなる。
妙に几帳面な暗殺者と、何処までも天然ボケのフォルク。
ここにも、ジーナとフィアの様な、妙な2人組がいた。
「大量、大量!」
ひとしきり、庭の木を飛び回ってきた後で、お宝達を手に、フォルクは自分の部屋へと戻って来る。そこは、色々な研究機材が所狭しと並べられ、壁際の書棚には、人間界の本だけでなく、魔族の世界の本まで並べられていた。王子の部屋というよりは、むしろ研究室と表現した方が正しそうだ。
「入りますよ」
短いノックの後で、一人の青年がフォルクの部屋へと入って来る。
彼の名は、天宮 縁。ルベア国から南東にある、丹仙国の出身で、現在はフォルクの侍従長として仕えている。家族は、両親と、病弱な双子の弟の斑の4人家族。彼以外の家族は、国に残っている為、単身でルベア国に渡って来ている。その容姿は、黒に近いこげ茶の肩まで髪を自然に後ろに流し、こげ茶の何処か寂しげな瞳をしている。年齢は25歳、身長は180cmで華奢な位の細身。優しげな風貌をしており、人目を引く美形だが、その見かけとは違い、天牙龍円流という、丹仙国独特の剣・丹仙刀(片刃の細見の剣。日本刀に類似している)を操る剣の達人だ。そして、性格は超がつく程のドSで、発言には一切の容赦がない。
「何ですか、その姿は。まるで、山から降りてきた野猿の様ですね」
フォルクの姿を見るなり、縁は開口一発、容赦なく主に冷たく言い放つ。
ちょっとした運動を済ましてきたフォルクの全身は、服のあちこちが汚れ、頭には木の葉が何枚もからまっていた。それに、フォルクは全く気づいてはいなかったが、先程の爆風に巻き込まれていた為、全身は砂ぼこりで薄汚れている。
「あはははっ。本当に、山から降りてきた猿みたいだ。縁って、上手い事言うよね」
鏡の中の自分の薄汚れた姿を見つめ、フォルクはおかしそうに声を立てて笑う。
大抵の者達は、縁の毒舌の前に怒りを露わにするか、逆にへこまされてしまうのだが、フォルクには全く通用していない。
「・・・はぁ。ともかく、今直ぐ着替えて下さい。風呂も直ぐに用意をさせますので。私は、猿とは話をしたくはありませんから」
溜息を吐き出し、縁はフォルクに着替えをする様に促す。
「わかった。人間に戻って来るから、サンドイッチを作ってよ。ちょっと運動をしたら、お腹がすいちゃった」
今度も縁の皮肉をさらりと受け流し、フォルクはキラキラとした目で縁を見上げる。
「わかりました。今日は何がいいですか?」
「えっとね・・・。じゃあ、カリッと焼いたベーコンと、レタスとトマトが挟まったやつがいい。ケチャップとマヨネーズは多めにしてね。それと、フライドポテトとコーラもつけて欲しいな」
半ば呆れている縁に、フォルクスは無邪気に自分の要求を告げる。
「わかりました」
「やったぁ!じゃあ、お風呂に行って来る」
頷いた縁に笑いかけた後で、フォルクは入浴場へとスキップをしながら向って行く。
「・・・全く。大物なのか馬鹿なのか、さっぱり見当がつきませんね」
そんな主の後ろ姿を見送った後で、縁は大袈裟過ぎる位に肩をすくめ、そのままフォルクのサンドイッチを作る為に、厨房へと足を向けて行く。
王宮の大きな浴場で素早く入浴を済ませ、フォルクは自室の研究室へと戻る。まだ縁が来ていなかった為、先程採って来ていたお宝の分別へと取り掛かる。
「お待たせしました」
しばらくそうしていると、フォルクの注文の品を盆に乗せた縁が、何時の間にか背後に立っていた。
「わあ、おいしそう。ねえ、もう食べてもいい?」
今は綺麗になった自分の全身を縁に示し、フォルクは無邪気に笑う。
「いいですよ。どうやら、人間に戻った様ですから」
フォルクの全身を観察した後で、縁は主の前にサンドイッチとコーラを置く。
「やったあ!頂きます」
お宝から、今度はサンドイッチへと興味の対象を移し、フォルクは美味しそうにかぶりつく。
「フォルク様、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
自分に話しかけて来た縁には視線を全く向けず、フォルクは問い返す。
「どうして、魔法に興味をもたれるんですか?それに、魔族の本までこんなに集められて」
フォルクの本棚に一杯に詰められた魔界の本と、ごちゃごちゃとした彼の研究室を見渡し、縁が尋ねる。
「・・・う~ん。そう言われると、どうしてだろう?何でかな、懐かしい様な気がするんだよね。魔法の事を考えていたり、魔法薬を研究していると、自分の中のもやもやしたものが落ち着いていくんだ。変だよね、僕は人間で、魔界なんて見た事も触れりゃ事もないのに。それに、見た事もない筈の文字なのに、僕には魔族の文字が読めちゃうんだ」
縁の問いかけに、フォルクは、自分が魔法に憧れる理由を真剣に考えてみる。
人間の自分には、魔法など一生無縁のものだろう。現に、フォルクの住む人間界は、文明が発達し、色々な便利な道具が日々誕生して行っている。それは、魔法以上のものかも知れない。
しかし、物心ついた頃より、フォルクの中には、常に不安が植えつけられている。
ここは、自分の本当の世界ではない。
早く、帰らなければ。
自分の帰りを待っている。
それは、一体誰が?
そういう焦りの様な想いと、考えても答えの出ない問いかけが、一見能天気にしか見えないフォルクの中から、この16年間消えた事は1日たりともなかった。いや、もしかしたら苦悩を紛らわす為に、馬鹿にも見える様な脳天気を演じているのかも知れない。
現に、今、この瞬間でさえ、胸の中でざわめき続ける想い。
いや、今日はその想いが、何時もよりも更に強い。
「・・・!」
考え事をしていたフォルクの体が、一瞬激しく痙攣する。
フォルクの中で、何者かが彼に呼び掛けて来る。
危機が迫って来ている。戻って来い・・・と。
「フォルク様?」
何時もとは違うフォルクの様子を訝しり、縁はその顔を覗きこむ。
「・・・行かなくちゃ」
座っていた椅子から立ち上がり、フォルクはぼんやりとつぶやく。その顔からは、全く感情が欠落している。
「・・・呼んでる。僕の半身が、僕に助けを求めている」
相変わらず何も映していない虚ろな瞳で、フォルクは何もない空中に手をかざす。
途端に、部屋の中に激しい気流が巻き起こり、元より物が散乱したフォルクの部屋は、タイフーンの直撃を受けた様な騒ぎに陥る。
「・・・!」
巻き起こる風の中で、うっすらと目を開いた縁が見たのは、ライトブラウンのショートカットが、真紅の長髪へと変化して行くフォルクの姿だった。それに伴い、何時もは呑気そうに大きく開かれていた瞳が、鋭い光を帯びて行く。
「・・・駄目です!『そっち』に行っては!」
フォルクの容姿の変化には全く驚かず、縁は別の何かから彼を引きとめる様に、その腕を捕まえる。
その瞳は真剣で、フォルクの知らない何かを、縁が知っている事は確かだった。
「大丈夫、心配はいらない」
何時もとは違う落ち着いた声音で、フォルクは縁に話しかける。
「では、私も連れて行って下さい」
「縁は、何をそんなに怯えているの?何時もの『僕』は気がつかなかったけど、今の『僕』なら君の心の悲鳴が聞こえる」
「・・・それは」
じっと静かな瞳でフォルクに見つめられ、縁は言い淀む。
「・・・時間がない。跳ぶよ・・・」
縁からの返答を聞く前に、何かを感じとっていたフォルクは、急ぎ何処かへと通じる路を開き、その中へと飛び込んで行く。
縁は、その腕を離さない様に掴み、一緒について行く。
フォルクと縁の姿が消えた後で、部屋は静寂を取り戻す。
この瞬間、人間界から2人の存在は消え去っていた。




