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 その日はいつになく天気の良い日だった。

 澄み渡った空は雲一つ無い。

 怖いくらいの天気だった。

 暫くぶりに施設を訪れると幸之助は門の前でしゃがみ込み猫と何かを喋っていた。そう言えば克依が最初に幸之助と会った時、猫がやけに幸之助を心配していた事を思い出す。

「幸之助」

「かつい兄ちゃん」

「猫とおしゃべり?」

「うん、ぼくは猫とはおしゃべりできるんだ。……ないしょだよ、猫たちもかつい兄ちゃんならいいって、ね?」

 話しかけるように幸之助が下を向くと、猫が彼の足下にじゃれつきながら頷く。

「猫とは? 他の動物とおしゃべり出来るんじゃないのか?」

「どうぶつの言葉は何となく分かるけど、猫の言葉はしっかりわかるんだよ。だから、ないしょなんだって」

 猫たちに言われたのだろうか。

 自分たちと会話が出来ることは内緒だと。

 それにどんな意味があるのか分からないが、幸之助がそういうのだから、克依もそれを信じた。

 悪戯っぽく口元に指を当てた。

「分かった。猫と、幸之助と、僕の秘密だね?」

「うん、秘密」

 幸之助も克依を真似て口元に指を当てた。

「かつい兄ちゃん、今日はずっといられるの?」

「うーん、仕事が入らなければね」

「……いっしょにいて、今日は」

「うん?」

「あぶないから、って猫が言ってる」

「危ない?」

「わからなけど」

 この時、幸之助が猫たちにもっと積極的に話を聞いていれば、克依がその言葉を真剣に取り合っていれば、克依の携帯電話に緊急事態の連絡が入ってこなければ運命はどこかで変わっていたのかも知れない。


 けれど、それは起こってしまった。


 その皮肉な運命は、その日回避したとしてもいつかまた起こっていたのだろうか。

 今となっては誰にも分からないことだ。

 克依はその時責任のある仕事をしていた。だから、緊急連絡が入った時点で帰る選択肢しかなかったのだ。

 珍しく帰らないでと泣く幸之助を宥めて克依は帰宅を急いでいた。

 幸之助の言葉は気になっていたが、だからといってどちらも捨てられなかった。幸之助と未来一緒に過ごすためにお金も欲しかったし、施設の方へはまた遊びに来られると思っていたのだ。

(……ごめん、幸之助)

 今度埋め合わせるから。

 そう思い路地を曲がった時だった。

 人が近づいてくるのを感じると同時に、突然腹部が燃え上がったような感覚に襲われる。

 無論、そこに火の手はない。

 あるのは腹部に奇妙に突き刺さった突起物。

「………?」

 何が起こったのか理解する前に足下が崩れた。

 尻餅を付いて、そこにいる人物を見る。

 女だった。

 どこかで見覚えのある女。

 誰だっただろうか。

「……えして」

「?」

「幸之助を返して!」

 言葉で気付いた。

 見た覚えのあるはずだ。

 彼女は幸之助の母親。

「市……原……さん……」

 幸之助を助けた後、彼女は警察に逮捕された。

 小早川が彼の後見人になることで、彼女から親権をとったはずだ。彼女もそれを了承し、幸之助には近づかないという処置がされていたはずだ。

 なのに何故。

「あの子がいなければ、礼人が戻って来ても、繋がりがない。幸之助を返して!」

 言っている意味が良く分からなかった。

 腹部が熱い。

 触れるとぬるりとした感触があった。

「かつい兄ちゃん!」

 幸之助の声。

 猫が幸之助の前を走ってくる。

「来るな!」

 叫んでも幸之助は止まらなかった。

 市原立花が嬉々とした表情を浮かべる。

 何故突然彼女がここに来たのだろう。

 幸之助があの施設にいることは知らされていなかったはずなのに。

「幸之助! いらっしゃい! ママ迎えに来たのよ!」

 ぴたり、と立ち止まった気配を感じた。

 暗がりにぼんやりと幸之助の姿が映る。彼の目の前で女を威嚇するように猫が牙を剥いていた。

 幸之助はただ驚いたように女を見て、そしてその足下に転がる克依を見る。

 見ないでくれと願った。

 けれど幸之助は克依を見ていた。血にまみれ街灯に照らされ青い顔をしている克依の姿を。

「………お前………! かつい兄ちゃんに何をした!」

 ぞくりと背が冷えるような声。

 子供が出す声ではない。

「よせ………止めるんだ……之助」

 女は取り繕うように言う。

「この男が悪いのよ。コウちゃんと私の仲を引き裂こうとするから……」

「うるさい、お前なんか知らない!」

 幸之助の意思か、それとも猫の意思か。

 猫が女に向かって飛びかかる。

 顔に爪を立てられて女が呻きながら猫を振り払う。地面ギリギリで回転した猫は再び体勢を立て直して女に向かって唸った。

「よくも……かつい兄ちゃんを……お前なんか、死んじゃえ!」

 周囲がとたんに騒がしくなった。

 そこら中の犬達が威嚇するように吠え出す。鳥たちもまた騒ぎ出した。町中にいる人以外の動物たちが一斉に騒ぎ出し、一帯は異様な雰囲気に包まれた。

(………駄目、だ)

 意識が朦朧とする。

 けれど、伝えなければならない。

(お願いだ、どうか、今だけ、意識を持っていかないでくれ)

 克依は立ち上がる。

 足下がふらついたが、何とか歩けないこともなかった。不思議と痛みを感じなかったが、刺された側の足が痺れてしまったように思うように動いてくれなかった。

「幸之助」

 呼びかける。

 今、自分は微笑めているだろうか。

 おんなは周りの雰囲気と克依の様子に怯えたように悲鳴を上げ、その場に尻餅をついた。気にせずに克依は幸之助の方に近づく。

「駄目だ、幸之助。恨みの言葉は、自分に返ってくるって教えただろう?」

「でも、かつい兄ちゃん」

「僕は大丈夫。ほら、痛くない、笑っているだろう?」

 言って満面の笑みを浮かべる。

 微笑めているだろうか。

 表情が歪んでいないだろうか。

「人を恨んだら駄目だよ、幸之助。僕は君が人に恨まれるのは嫌だ」

「でも……でも……!」

「幸之助は、僕が誰か恨んで、恨まれても平気?」

「平気じゃ、ない……でも」

「それと同じ。人を恨んで、人を傷つけるために力を使ったら駄目だよ。幸之助のその力は、みんなを幸せにする力なんだ」

 近づくと、幸之助の顔が涙で濡れているのに気が付く。

 泣くな。

 お前が泣くと、こっちまで泣きたくなるだろう?

「もしも、どうしても誰か恨みたくなったら、僕を恨むんだ、幸之助。僕なら、その全部、幸せで返してやれるから」

 頬に触れると、彼の涙が赤く染まる。

 この子から沢山のものをもらった。

 自分はその分返せただろうか。

 多分まだ足りない。

 一生かかっても足りないくらい彼からもらった。

(……父さん、泣くかな。………ごめん、今、幸之助のことしか考えられない)

 朦朧としている。

 今、目を閉じたら、二度と開けない気がした。

 後もう少し、もう少し伝えたいことがある。

「君が笑っていてくれるなら、僕は、空だって飛べる」

 弟とか、血縁とか、関係のないことだ。

 この子が好きだ。

 家族としても、一人の人間としても。

 優しくて人を思いやれる子。

 だから動物にも好かれる。

「かつい兄ちゃん………」

「大好きだよ、幸之助。……だから、僕は死なない。君の側にいるから」

 ごめんね、君の言葉嘘だと思っていたわけじゃないけど、大丈夫だって思わないで今日は帰らずにいれば運命変わったのかも知れないけど、こんな事になっちゃって。

 大丈夫だって、一緒にいるって、嘘付いてごめんね。

 でもね、一つだけ、後悔していないよ。



 だから、僕、今、笑っているだろう?




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