ノイズが奏でる愛のメロディと再会した過去
1. 病院という静寂:和音の献身
律は、あの廃墟での決死の共鳴によって、両耳の鼓膜を損傷し、一時的に聴力を失うという重傷を負い、病院の個室に入院していた。彼が求めるはずの**「静寂」**は、思わぬ形で訪れた。ノイズの轟音から解放された代わりに、世界から全ての音が消えた。
律の病室は、日差しが差し込む静かで明るい場所だった。そして、律の枕元には、いつも和音が座っていた。
和音は、あの日の完璧な笑顔を完全に捨てていた。彼女は律の看病に献身的に当たり、学校が終わるとすぐに駆けつける。律が筆談で何かを尋ねると、彼女は律の手を握り、ゆっくりと、はっきりとした口調で話す。律は耳が聞こえなくても、彼女の感情のノイズだけは、なぜか**『皮膚を通して』**感じ取ることができた。
和音のノイズは、**『不安』と『後悔』**という重く低い音を奏でていたが、その中心には、以前のような冷たいピアノの音ではなく、**律への『強い愛情と責任感』**が混ざった、温かく複雑な旋律が響いていた。
「律くん、お見舞いよ」
律は、病室に入ってきた和音に向かって、震える手で紙に書いた。
「ノイズ…君のノイズは…今、どんな音だ?」
和音は、その文字を読んだ後、悲しそうに微笑んだ。
「あなたの耳には届かないでしょう?…今の私のノイズは、**あなたを失いかけた『恐怖』**の音よ。そして、**あなたに恋をしてしまった『戸惑い』**の音。あなたといると、私の中に押し込めていた感情が全部暴れだす。でも、もう抑えられないわ」
彼女は、律の手をそっと自分の頬に当てた。その瞬間、律の皮膚に、和音のノイズが直接流れ込んできた。それは、言葉よりも遥かに雄弁な、愛と葛藤の**『共鳴』だった。律は、ノイズのない世界で、初めて真の静寂**ではなく、真の愛の音を感じていた。
「バディ解消は…なしよ。私は、あなたなしじゃ、もう生きられないから」和音はそう呟き、律の額にそっとキスをした。
2. 予期せぬ来訪者:過去との再会
二人の間に、恋愛という新たなノイズが芽生え始めた入院四日目の昼下がり。病室の扉がノックされ、和音の顔が一瞬でこわばった。
入ってきたのは、律と和音の担任である佐倉教師と、一人の見知らぬ女性だった。その女性は、清楚なワンピースを着ていたが、表情は疲れ切っており、和音を見ると、驚きに目を見開いた。
「白瀬…和音?本当にあなたなの?」
その女性から発せられるノイズは、**『過去への後悔』と『深い絶望』**という、重く沈み込んだ和音だった。律には、そのノイズが、和音の持つ「錆びついたメトロノームの音」に酷似していることが分かった。
和音は、佐倉教師の陰に隠れるようにして、静かに呟いた。
「…お母さん」
律は驚いた。この女性は、和音の母親、白瀬優子だった。
優子は、律の怪我を見舞いつつも、焦点は娘の和音に定まっていた。「和音、あなた、なぜこんなに危ないことばかりしているの?ピアノをやめてから、あなたは…」
「やめて!」和音は強い拒絶のノイズを放った。
優子のノイズが、激しい**『自己否定』**へと変わる。「私が悪いのね。私があなたを追い詰めた。あの日、あなたが舞台に上がれなかったのは、全部私のせいよ!」
律は、耳が聞こえなくても、そのノイズの激突を肌で感じ、頭が軋むような衝撃を受けた。
優子のノイズが、律の皮膚に触れた瞬間、律はヴィジョンを見た。それは、和音が幼い頃、ピアノの発表会で泣き崩れる姿と、優子がその傍らで狂ったように泣き叫ぶ姿だった。優子のノイズは、和音を追い詰めた過去のノイズそのものだった。
佐倉教師が、気まずそうに優子を病室から連れ出した後、和音は震えながら律を見つめた。
「見たのね…私の過去のノイズを。私の母は、私を『神童』として押し上げたかった。そして、私が挫折したことで、彼女自身も壊れた。私の『切断』の力は、あの日、母の悲鳴のノイズを完全に切り裂くために、生まれたのよ」
和音は涙を流しながら律に抱きついた。「律くん、お願い。私のノイズの過去に、共鳴しないで。あなたまで壊れてしまう」
3. ディストーションの新たな動き:高校への侵食
その夜、病室で律が眠りについた頃。街ではディストーション組織が動き出していた。
タクトは、別のメンバーである**『ミキサー(混合者)』と呼ばれる女性と共に、律と和音が通う私立桜坂高校に潜入していた。彼らは、タクトが律の単独行動に使った『共鳴装置』**をさらに進化させていた。
「タクト、本当に高校生を狙うの?ノイズが薄すぎるわ」ミキサーは、不満そうなノイズを発する。
「いいや。高校生というものは、**『将来への不安』と『他者への羨望』という、最高のノイズの『原石』**だ。そして、今回のターゲットは、律の数少ない友人たちだ」
彼らは、律のクラスメイトである、運動神経抜群だが、進路に悩む男子生徒と、成績優秀だが、家庭が複雑な女子生徒を標的に定めた。
タクトは、高校の体育倉庫に設置した改良型共鳴装置を起動させた。装置は、高校生たちの潜在的な**『不安』と『劣等感』のノイズを吸収し始め、それを『焦燥感』という単一の強い波形**に変換して、高校全体に再放射した。
翌朝、高校全体に異様な静けさが広がった。生徒たちは、普段よりも落ち着きがなく、誰もが誰かを意識し、**「自分だけが遅れている」**という見えないプレッシャーを感じていた。
律のクラスの友人たちも、皆、顔に張り詰めたノイズを貼り付けていた。
4. 律の決意:ノイズなき共鳴
入院五日目。律は、和音に筆談で伝えた。
「明日、退院する。もう、ここにいられない」
和音は、驚きと心配のノイズを放った。「まだ耳が治っていないのに!学校は今、危険よ。ディストーションが何か仕掛けているわ」
律は、和音の手を強く握り、紙に書いた。
「聞こえなくても構わない。俺の『調律』**は、耳でするんじゃない。君のノイズで、する」
律は、和音の母親のノイズと、和音のノイズが共鳴し合う痛みを知った。そして、和音の**『愛のノイズ』**を知った。
彼の能力は、単なる聴覚ではない。
相手のノイズに共鳴し、その本質を理解し、調和させること。
律は、和音に向かって微笑んだ。彼の耳はまだ聞こえない。だが、彼は、和音の心臓の鼓動と、唇の動き、そして皮膚から伝わる愛のノイズを、正確に感じ取ることができた。
「和音。俺たちのバディは、もう『切断』と『調律』じゃない。**『愛』と『共鳴』**だ。俺が、君の全てのノイズを、最高の愛のメロディに変えてやる」
和音は涙を流しながら、強く頷いた。律は、ノイズのない静寂の世界から、ノイズに満ちた愛の世界へと、戻ることを決意した。




