空白の残響と境界の少女
1. 葬られた真実、静かなる再始動
マエストロの消滅と共に、グランド・シンフォニー・ホールで起きた「世界の消去計画」は、表向きには「大規模な電磁波障害と局地的な地震」として処理された。しかし、その裏で律、和音、響の三人は、政府の非公式組織や、マエストロの残党から身を隠しながら、新宿の片隅にある地下シェルターを拠点に活動を続けていた。
律の聴覚は、あの決戦を経てさらなる変貌を遂げていた。
「……聴こえる。でも、前とは違う」
律は、ヘッドホンを外し、街の喧騒に耳を澄ませる。以前のノイズが「激しい嵐」だったとしたら、今のノイズは**『深い霧』**のようだった。個人の感情が直接響くのではなく、何か巨大なネットワークを介してフィルタリングされたような、無機質で冷たい残響。
「律くん、あまり無理しないで」
和音が温かいコーヒーを持って現れる。彼女のノイズは、今や律にとっての「基準音」となり、荒れがちな彼の精神を繋ぎ止める錨となっていた。
「わかってる。でも、響の解析結果が気になるんだ」
響がモニターの並ぶデスクから顔を上げる。彼のノイズは、かつての孤独な多重奏ではなく、二人への信頼という太い低音が支える、安定したリズムを刻んでいた。
「律さん、見てください。マエストロがいなくなった後、SNSやデジタル通信のトラフィックに**『不自然な空白』が生じています。誰かが、人々の感情がノイズ化する前に、『回収』**している形跡があるんです」
2. 都市の異変:感情のハッキング
三人は、響が特定した「空白」が最も頻発している秋葉原の電気街へと向かった。
そこは情報のノイズが最も激しい場所のはずだが、現場に足を踏み入れた律は、鳥肌が立つのを感じた。
「……静かすぎる」
物理的な音は鳴っている。しかし、そこにあるはずの**『人々の意志の音』**が、すっぽりと抜け落ちているのだ。行き交う人々はスマートフォンの画面を凝視し、まるで魂を抜き取られたかのような規則的なリズムで歩いている。
和音が視覚化したノイズの世界では、さらに異様な光景が広がっていた。
「律くん、見て!人々の頭上から、細い**『銀色の糸』が空に向かって伸びているわ。これはノイズじゃない……もっと緻密な、『情報化された感情』**の奔流よ!」
和音が刃を構えようとしたその時、その銀色の糸が一点に収束する場所から、一人の少女がゆっくりと姿を現した。
3. 境界の少女:シオンの「上書き」
少女は、白く発光する大きなヘッドホンを首にかけ、スカイブルーのライダースジャケットを羽織っていた。彼女からは一切のノイズが発せられていない。それどころか、彼女の周囲数メートルは、**『音が書き換えられる空間』**と化していた。
「……見つけた。あなたが『調律師』の律だね」
少女の声は、律の耳の中で直接再生されるような、完璧なデジタル音だった。
「君は誰だ? この人たちの感情に何をしている」
律が問いかけると、少女は寂しげに、しかし残酷な微笑を浮かべた。
「私はシオン。マエストロが遺した『楽譜』を正しく書き換える者。感情なんて不確かなものは、全部**『データ』**にして保存してあげればいい。そうすれば、誰も傷つかないし、失われないでしょう?」
シオンが指を鳴らすと、周囲の人々の歩みが止まり、一斉に律たちを振り向いた。彼らの瞳には感情の光がなく、代わりにデジタルなグリッチ(バグ)が走っている。
「和音、響! 来るぞ!」
4. 未知の脅威:変奏すら効かない世界
響が即座にシオンの波形を「変奏」しようと試みる。
「くっ……! はじかれる!? 僕の変奏が、彼女の周囲では『ただのノイズ』として無効化されるんだ!」
「私の領域では、古いノイズの法則は通用しないよ。全ての音は、私が定義する通りに上書きされる」
シオンが手をかざすと、和音が放った切断の刃が、空中で**『デジタルな花びら』**へと変換され、霧散してしまった。物理的な切断すら、彼女の「定義」の前では無効化される。
「そんな……私の攻撃が効かないなんて……」
絶体絶命の窮地。律はシオンの「無音」の奥底を聴こうと、極限まで意識を集中させた。そこで聴こえたのは、マエストロの絶望とはまた違う、**『終わりのない、完璧な寂しさ』**の旋律だった。
「……シオン。君は、自分の音も消してしまったのか?」
律の言葉に、シオンの表情が一瞬だけ激しく揺らいだ。彼女のヘッドホンから、ノイズではない、**『電子の悲鳴』**のような不協和音が漏れ出す。
「黙って! あなたに、私の『静寂』が汚されてたまるもんか!」
激しい衝撃波が秋葉原の街を駆け抜け、境界を巡る新たな闘いが幕を開けた。




