響け、終わりのないメロディ
1. 虚無の静寂:残された者たち
グランド・シンフォニー・ホールの中心、崩壊したマエストロの装置の残骸の中で、律は静かに横たわっていた。その顔は白磁のように青白く、呼吸は今にも途絶えそうなほどに細い。
和音は、律の冷たくなった手を両手で包み込み、必死に呼びかけていた。
「律くん……!目を開けて。お願い、独りにしないで……!」
和音のノイズは、かつてないほどの**『絶望』と『深い悲しみ』**で千切れそうに震えていた。しかし、律の耳……いや、彼の魂に届くべきノイズは、もはや「フラットな無音」に近づいていた。極限調律によって、彼の精神は世界中のノイズと同化し、散り散りになってしまったのだ。
響は、震える手で自身の端末を操作しながら、周囲の残響を解析していた。
「……律さんのノイズが、世界中に拡散しています。このままでは、彼の意識は二度と一つの形に戻りません。……僕の『変奏』でも、これほどの規模を繋ぎ止めることは……!」
響のノイズは、**『無力感』**に押し潰されようとしていた。
2. 世界の残響:感謝のレゾナンス
その時だった。ホールの外、そして東京の街全体から、不思議なノイズが湧き上がってきた。
それは、特定の誰かの声ではない。律が命を懸けて守った、名もなき何百万、何千万という人々の心から溢れ出した**『安堵』と『感謝』**のノイズだった。
「……聴こえる。律くん、みんなの音が聴こえるよ」
和音は顔を上げた。街中に溢れる小さな喜びの音が、まるで光の粒のように集まり、ホールの瓦礫を抜けて律のもとへと集まってくる。
響の目が輝きを取り戻した。
「これなら……!和音さん、僕たちが『核』になるんです。世界中に散った律さんの欠片を、この感謝の音に乗せて呼び戻す。和音さんは、彼の『愛』の波形を切り出して純化させてください。僕はそれを増幅して、律さんの魂に再接続します!」
「わかったわ。私の……私の全てを懸けて、律くんを連れ戻す!」
3. 奇跡の調律:愛と絆の旋律
和音は、壊れたピアノの鍵盤の前に座った。弦は切れ、音は狂っている。しかし、彼女が指を触れた瞬間、そこからは物理的な音を超えた**『魂の旋律』**が響いた。
和音は自身の「切断師」の能力を、破壊のためではなく、**「純粋な想いを抽出する」**ために使った。彼女のノイズは、律への深い愛情だけを研ぎ澄まし、鋭く、そしてどこまでも優しく世界へ響き渡った。
「律くん……聴いて。これが、私たちの音よ!」
響がその旋律を「変奏」し、世界中の感謝のノイズと同期させる。二人の絆が作り出した巨大な**『共鳴の灯台』**が、虚無の海を漂う律の意識を照らし出した。
(あたたかい……)
律の精神の深淵に、和音のピアノの音が届いた。それは、かつて彼が最も恐れていたノイズではなく、彼が最も守りたかった、不完全で、しかし愛おしい「生きている音」だった。
律の指先が、微かに動いた。
4. 新たな夜明け:調律師の帰還
数分後、あるいは数時間後。ホールの天井から差し込む朝日が律の瞼を打った。
「……和音……? 響……?」
律がゆっくりと目を開けた。その瞬間、和音は声を上げて泣き出し、律の胸に顔を埋めた。響も、溢れる涙を隠すことなく、安堵の溜息を漏らした。
「……おかえりなさい、律さん」
「ああ……ただいま。耳が……少し、うるさいな」
律は苦笑した。彼の耳には、今まで以上に鮮明に、世界の「生きている雑音」が聴こえていた。それはもう、彼を苦しめる轟音ではなく、彼を支える生命の賛歌だった。
三人は、朝日の中でボロボロの体を支え合いながら、瓦礫の山を降りていった。
マエストロの野望は潰えた。しかし、彼らが知ったのは、世界にはまだ、ディストーション(歪み)を生む闇が潜んでいるということ、そして、それ以上に多くの「守るべき音」があるということだった。
「律くん、これからどうする?」和音が尋ねる。
律は、新しく生まれ変わったような朝の街を見渡し、力強く答えた。
「調律を続けよう。世界が、もっと自分たちの音を好きになれるように」




