共鳴の不協和音とノイズ処理のルール
1. バディのルール:和音の冷静な論理
校舎裏でのバディ結成から一夜明け、律と和音は放課後、人通りの少ない旧図書館で落ち合った。図書館の書架に囲まれた一角は、紙の匂いと古びた静けさで、ノイズが比較的穏やかだった。
「律くん。まず、私たちの活動における三つのルールを決めましょう」
和音は、昨日の夜と同じ、完璧に整った笑顔で律に言った。彼女のノイズは、今日も澄んだピアノの調べだ。しかし、律の耳には、そのピアノの旋律の裏で、微細な弦の擦れる音が、不安なシグナルとして響いていた。
「ルール?そんな大層なものが必要なのか?」律はヘッドホンを首にかけ、眉をひそめた。
「必要よ。ノイズは目に見えないウィルスのようなもの。闇雲に戦えば、私たち自身が壊れるわ」
和音は、ペンとメモ帳を取り出し、論理的に書き記し始めた。
• ルール一: ノイズの**『発生源』**を特定するまで、決して表立って行動しないこと。
• 理由: 具現化前のノイズは、人の感情に影響を与えるだけ。騒いでパニックを起こせば、かえってノイズを増幅させる。
• ルール二: 律くんは**『調律』、私は『切断』**に専念すること。役割分担の厳守。
• 律: ノイズの波形を聴き取り、それが誰から発せられているか、何を求めているかを解析する。これが調律。
• 和音: 律の解析に基づいて、具現化の危機にあるノイズを物理的に破壊する。これが切断。
• ルール三: 互いのプライベートには干渉しないこと。特に、律くんは私のノイズの音色について、決して言及しないこと。
律は最後のルールでぴくりと反応した。
「最後のルールは、俺が昨夜言ったことへの返答か」
「ええ」和音は涼しい顔で頷いた。「私は常に笑顔である必要がある。これが、私自身のノイズを制御するための**『境界線』**よ。それを踏み越えるのは、今の私たちには不要なリスクだわ」
律は、和音の持つノイズが、彼女の「完璧な笑顔」という防壁によってかろうじて保たれていることを知っている。それを乱せば、彼女の能力が暴走するかもしれない。律は不満を飲み込み、言った。
「分かった。プライベートには踏み込まない。だが、もし君のノイズが危険なレベルまで強まったら、俺は警告する。それが**『調律師』**としての責務だ」
和音は、少しだけ目を細めた後、また笑顔に戻り、ペンを置いた。「…ええ。その時は、律くんの**『警告の音』**を信じるわ」
2. ノイズの解析:SNSという深海
二人はすぐに最初の任務に直面した。それは、学校ではなく、街全体を覆う巨大なノイズだった。
週末の繁華街。律と和音は待ち合わせ場所で人波に揉まれていた。律のヘッドホンの音量を最大にしても、外部から押し寄せるノイズは制御不能なレベルだ。
「うっ…クソッ、頭が割れそうだ…」
律の耳には、街を歩く人々一人ひとりの「小さな不満」や「満たされない欲求」が、複雑に絡み合ったノイズの嵐となって聴こえていた。特に強烈なのは、スマートフォンを操作する人々から発せられるノイズだ。
「和音、この音の主、特定できるか?まるで…海底で鳴るソナー音みたいだ」
和音は周囲を鋭く見つめていた。彼女の視界には、スマートフォンに夢中な人々の頭上に、青白く細い糸のようなノイズが絡み合っているのが見えていた。
「ノイズの波形が一定じゃないわ。特定の誰かではなく、皆が同じ方向を向いている。共通の**『感情の方向性』**を持っているのよ」
「感情の方向性…?」
「見て。皆がスマホを見ているわ。今、この街で最も多くの人の関心を惹いている場所、それがノイズの震源地よ」
律はハッとした。和音の言う通り、街を行く若者たちのノイズは、一様に**「焦燥感」と「劣等感」**という同じメロディを奏でていた。
二人は、その音源を突き止め、ネット上で炎上中の匿名アカウントが主催する、**『承認欲求を満たすための過激なイベント』**がこの街で行われることを突き止めた。
3. 共鳴の実験:律の能力の限界
イベント会場となった寂れた商業ビルに到着すると、ノイズは巨大なサイレンのように鳴り響いていた。ビル全体が、参加者たちの**「誰かに認められたい」**という強いノイズに包まれている。
「律くん、ノイズが具現化するわ!あのビル全体が、今にも**『自己顕示欲の塊』**になりそうだ」
和音の視界では、ビルの壁から黒い泥のようなノイズが滲み出し始めていた。
「待て、和音。破壊するな」律は叫んだ。「このノイズは、**『孤独な魂の叫び』**だ。ただ切り裂いたら、彼らの魂まで傷つける!」
「でも、放置すれば彼らはノイズに食い尽くされるのよ!」和音は焦燥感を滲ませる。彼女のピアノの音が、激しく乱れた。
律は、和音の静止を振り切り、ヘッドホンを外した。全身に、数千人の悲鳴が叩きつけられる。痛みで視界が歪む。
「クソッ…!!」
律は、そのノイズの海の中で、一つの周波数を探し始めた。ノイズを**『音楽』として聴く律は、その音には必ず感情の『波形』**があることを知っている。
• 絶望は低い周波数。
• 怒りは鋭い波形。
• そして、この自己顕示欲は、ひたすら高い音域で共鳴を求めている。
律は、そのノイズの波形に、自分の**「静寂への渇望」**という波形を重ね合わせた。
「…共鳴、開始!」
律は、自身のノイズを周囲のノイズに送り込む。ノイズは彼の**「静寂」に触れ、激しく反発した。しかし、律は無理やり周波数を合わせる。それは、ノイズを破壊するのではなく、その音量を極限まで下げ、『静かなメロディ』**に変えようとする試みだった。
4. 切断の理由:歪んだ優しさ
律の無理な共鳴は、ノイズを一時的に静まらせた。ビルを包んでいた黒い泥は、まるで酸素を失った魚のように、弱々しく収縮した。
だが、代償は大きかった。律の鼻から血が流れ、耳は激しく痛み、膝から崩れ落ちる。
「…成功だ。彼らのノイズは、**『寂しい』**という、本来の音に戻った」律は、ぜいぜいと息をしながら言った。
しかし、和音はすぐに律に駆け寄らず、鋭い目で律を見つめていた。
「律くん。二度と、こんな危険な行為はしないで。ルール違反よ」彼女の声には、怒りが含まれていた。
「だが、これで皆は救われた。ノイズは消えただろう?」
「いいえ。ノイズは消えていないわ」和音は、そう言って、律の目の前で、収縮して小さくなった黒い塊に、躊躇なく青白い刃を突き立てた。
グシャッという、静かでしかし悍ましい音。
和音は、切り裂かれたノイズの残骸が消えていくのを確認し、律に手を差し伸べた。
「律くん。覚えておいて。ノイズは**『音量を下げても、消えるわけではない』**のよ。あなたが静かにしても、その波形は世界のどこかに残る。私が物理的に切り裂いて、世界の認識からノイズを抹消しなければ、またすぐに復活するわ」
和音は、律の血で汚れた頬をハンカチで拭きながら、冷たい笑顔で続けた。
「私のやり方こそが、真の救済よ。一時の静寂よりも、完全な根絶。それが、私たちの**『優しさ』**だわ」
律は、彼女の優しい手つきと、その言葉の裏にある冷酷さに、深い不協和音を聴き取った。和音は、ノイズを救済ではなく、世界の汚点として見ている。そして、彼女の心の中にある「ピアノの音」も、切断を繰り返すたびに、少しずつ自己破壊的な激しいノイズへと変貌しつつあることを、律は確信した。
彼は、この完璧な笑顔を持つ少女を救うことが、自分の真の「調律師」としての使命ではないか、と思い始めた。




