叔父の爆弾発言
長屋に構えられた一軒の家に苦しそうな呻き声が響いていた。
庇から入る日の光が横たわる病人の土気色の顔を照らしていた。
その傍らで一人の陰陽師が神妙な顔をしながら病人を見ている。
陰陽師といってもまだ年若い。
萌黄に蘇芳の狩衣を着ているこの陰陽師は名を賀茂暁という。
小柄で華奢な体つきで一見すると女性にも見える。ただその顔に似合わず狩衣を着て、男だと言えばそう見える。
「そうですね。少し穢れに当てられたようですね」
「治していただけるのでしょうか?」
「この程度の穢れであれば祓います」
治安の悪い平安京では至る所に穢れがある。
その中でその穢れに当てられて病になる人も多かった。そういった庶民の穢れを払うのが民間で活動する陰陽師である。
そういった依頼によって暁は、病に伏した人の穢れを祓いに来ていた。
病人の額に手を当て、意識を集中させる。
呼吸を整えると、黒い靄のようなものが見えた。これが穢れの元凶。暁は低く呟く。
「その言葉、穢れを祓うもの。急々如律令」
光の矢が黒い靄を切り裂き、霧散させていく。
「よし……これで穢れは祓われました」
そう暁が言うと同時に、病人が目を覚ます。もう……大丈夫だろう。
依頼人が暁に礼を言い、対価として米を少々もらうと、暁は帰路に着いた。
暁はまだ年は十六歳ではあるが、陰陽師としての腕はそれなりで、口伝である程度依頼はひっ切りなしに来ている。
今日は三件の依頼をこなしたため、もう空は茜色に染まっていた。
「ただいま~」
暁が疲れた声で屋敷に入ると同時に、何もないところから、ふっと人が現れる。
白い髪に赤い目をした長身の男。抜けるような白い肌で一瞬儚くも映るその人物は人間ではない。そう……彼は暁の式神の一人。名を玉兎という。
式神は術師の意のままに使われる。もちろん術師の力量によってはカエルだったり、鷹だったり、主に動物が多い。
が、暁の式神はこの通り人の形をしている。
人の形をとる式神はかなり神力があり、術者自体に相当な力量がないとできないのだが、これは暁の力量で従えている式神というよりは暁の叔父の力によるものである。
そしてなぜかこの神力があるはずの式神――玉兎はこの家の食事担当をしている。
「食事の用意はできているぞ」
「ありがとう、玉兎。今日の食事は……その……」
ためらいがちに暁が玉兎に尋ねようとすると、それを見越したように玉兎は淡々と返事をした。
「大丈夫だ。今日は米だ」
「よかった!」
「それと大根の漬物と焼き魚だ」
「うわ! 豪華!」
「これも暁が陰陽師として働いているからだ」
玉兎が食事を並べている間に自室に戻り手洗いを済ませていると、ほっと一息ついた。
そのタイミングでこれまた音もなく人が現れた。
金の髪に玉兎と同じように、赤い瞳。だが玉兎とは反対に隆々とした体格に浅黒い肌をしており、彼の金の髪と相まって不思議な魅力の男性だった。
「よ、暁。帰ったか?」
「あ、金烏。ただいま」
彼の名前は金烏。玉兎と同様に暁の式神である。
金烏はというと家の雑務全般、特に力仕事をメインに対応している。
「今日は築地が少し崩れていたから修復しておいたぞ」
「ありがとう」
「あと、そろそろ屋根が傷み始めているから、明日あたり修繕しないとな」
「はぁ……ということはお金がかかるね」
「まぁ、材料費だけは何とか捻出してもらわないと」
そういって金烏は苦笑する。ため息をつく暁の頭をガシガシ撫でると金烏は力強く言った。
「ま、ダメなら山で材料を調達してくるぜ」
「ごめんね。本当二人には迷惑かけるね」
「いやそれを言ったら光義が悪いだろう。お前はよくやっているぜ」
そんな会話をしていると、屋敷の奥から一人の男が現れる。
長い髪をゆるく結び、ゆったりと肩に流している姿は、そのまま男のゆるい性格を表しているようだった。
彼は式神ではなく歴とした人間。暁の叔父にあたるとともに、養い親でもある賀茂光義だ。
「あ、暁。お帰り」
「叔父上。今日の出仕は終わったのですか?」
「うん。今日はちょっと君に大事な相談があって早退してきたんだ」
光義はこう見えて宮中の陰陽寮で働いている。
そして、のほほんとしてマイペースなのだが、信じられないことに陰陽寮のトップである陰陽頭に就いている。
暁は未だにわかには信じられないでいる。
それは、正直暁たちは貧乏生活をしているからだ。
陰陽頭であるならばそれなりに禄《給料》も貰っているのだが、この養い親は見ず知らずの困っている人に給料のほとんどを渡してしまうことが多い。
さらに貴重な書物を買うと言って残ったお金も家には入れてくれないことが多い。
だから家計は火の車。そのため暁はなんとか庶民からの依頼での陰陽師の仕事を受けて家計を支えている。
その叔父が暁に折り入って話があるという。
正直……嫌な予感しかないが、とりあえず暁は話を聞いてみることにした。
「相談? ……なんでしょうか?」
「実は……陰陽寮で働かない?」
「……は?」
光義の言葉から優に五秒ほど経って、暁は聞き返していた。この叔父は、何を言っているのだろうか?
「だーかーらー、陰陽寮で働かない?」
「……叔父上。養子になって男の恰好をして、一応跡取りにはなっているのですが。忘れていますか? 私は『女』なんですよ!」
そう……暁の正体。それは男の格好をして過ごしているが、暁は女である。
跡取りのいなかった光義に引き取られたとき、男として生活して欲しいと言われてこのような性別を偽った生活をしている。
現に女の陰陽師はいないため、男の格好は暁にとっても都合が良かった。
もちろん光義の様子からそれだけの理由ではないような気もするが、そこは敢えて聞いていないし、四歳で引き取られてからずっと男として育てられていたのでなんの違和感もない。
だが、今回の光義の無茶ぶりはさすがに暁も看過できない。
「分かってるよー。狩衣がすっかり板についているけど、可愛い僕の姪っ子だよ」
「じゃあ、なんで私が陰陽寮で働くことになるんですか? 出仕は男性しかできないでしょう⁉」
「ちょっと人手が足りなくてね。なに、陰陽師として働けって言っているわけじゃあないよ。雑用係としてなんだけど」
「でも! 私が女だってばれたらどうするんですか?」
「大丈夫。僕の姪っ子はそんなへましないよ。じゃ、明日から頼んだよ!」
「あ、ちょちょっと! 叔父上!」
そう用件だけを言うと、あとはもう自分には関係ないというように軽やかな足取りで光義は自室に籠ってしまった。
廊下から「ふふふーん!」と鼻歌を歌っているところを見ると珍しい書物が手に入り、それを堪能する予定なのだろう。
一方、待ってと言って伸ばした腕が虚しく宙に浮く。
そんな暁の様子を見て、式神二人も呆れ顔である。
「おいおいおい……大丈夫なのか?」
「困ったことになったな……」
「金烏ー、玉兎ー。居たならなんで止めてくれないの?」
「だってよー、光義に何言っても聞かないだろ?」
ポリポリと頭を掻いてちょっと他人事のように金烏が言うと、玉兎も仕方ないといった声色で続いて言った。
「それに私と金烏は元は光義の式神だからな……」
「それは……そうなんだけど……」
「まぁ、頑張れ……」
金烏に肩を叩かれた暁は半分泣きたい気持ちだった。
マイペース過ぎる叔父に対し、意見や反論や注意や文句を言っても暖簾に腕押し。
スルーされるのが目に見えている。
いつもながらに、何を考えているか分からない叔父を恨めしく思うとともに、その晩暁はやけ食いとばかりに貴重なお米のご飯をお替りした。