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第六話 子供と大人、好きと嫌い

 この日は、峯山にとって大きな分岐点であった。

 自分の感情を全てさらけ出したこと。勇気を出して、一歩踏み出したこと。

 その選択はまさに、大いなる前進と呼べるものであった。

 過去のトラウマを乗り越え、未来に向かって歩み始めた日。この時、峯山は浮かれていた。


「おいおい、こんなところにいたのか」


 人生の分岐点。過去のトラウマが立ちふさがるまでは。 


「とう、さん……」


 峯山の瞳が激しく揺れる。心臓が軋みを上げ、動悸が激しく鳴り響く。

 どうして。なんで。此処にいるはずないのに。

 疑問は頭の中に浮かんでは消え、思考は歪みを増してく。

 ハァハァと動悸が荒くなり、呼吸さえ上手くできない。

 過去のトラウマが鮮明に思い出される。

 怒号が響き渡る部屋。浴びせられる罵声と暴力。

 心臓の鼓動と反するように背筋はどんどんと冷たくなり、手足の感覚もおぼろげだ。

 峯山は心のどこかで願っていたのだ。

 このまま思い出すことなく、忘れていくことを。


「随分と探したが、ようやく会えたな」

「とうさん、なんで」


 じりじりと後ろに下がっていく峯山を追い詰めるように。一歩、また一歩と距離を詰める男。

 落ち着いた言葉遣いをしているが、自分には分かる。

 この男がどうしようもなく、理性を欠いているという事が。


「お前らが俺の元から去って随分と経った。その間の俺は随分と酷いもんだったよ」


 日が沈みかけた夕焼けの空の下。充血した真っ赤な目が怪しげに鈍く輝く。


「家族から強制的に隔離され、近所からは冷たい目で見られる。挙句の果てには危険人物扱いで監視される日々。こんな理不尽なことがあるか……!?」


 徐々に荒くなる語気。

 平静を取り繕う事を忘れ、本来の性分が露わになっていた。

 自分に非が無いと思い込み、被害者であると信じ込む。狂気的なまでの自己保身の塊。

 あの頃と変わらない、酷く醜い獣のような姿。


 その姿が、焦げ付いた記憶の片隅を蘇らせる。

 最悪の日々を、地獄のような光景を。


「あ、あ……」


 峯山は言葉を発することを忘れ、ただ呆然と立っていた。

 過去のトラウマが蘇り、あの時の恐怖を彷彿とさせる。

 自分が初めて暴力を振るわれた、あの不条理の化身。それと同じ光景が目の前に広がっている。


「大体、あの黒井って男含め全員気に食わねえ。俺はただ、悪いところを正そうとしただけだ! そうだよ、あれは()()だったんだ! それを知らない奴らが偉そうに、俺らの家族の在り方に首突っ込んで来るんじゃねえよォ!」


 人じゃないナニカがじりじり迫ってくる。

 峯山は恐怖を振り払うように、固まった身体を無理やりに動かし反対側へと走り出す。

 今来た道を戻れば、ハレルヤに戻れるはず。

 そこで大人に助けを求めれば大丈夫。

 黒井さんに里見さん。そして、桜田。

 きっと彼らが何とかしてくれる。だってそうだろ。せっかく毎日が楽しくなってきたのに。大人の事を、少しずつ好きになれそうだったのに。

 こんなの、あまりにも残酷すぎる。


「だ……、誰か、たすけ……ッ!」


 恐怖で震えた声を絞り出しながら、それでも誰かに助けを求める。

 あの時のように。

 当時の周りの大人は助けてくれなかったけれど、今ならきっと、誰かが助けてくれる。

 だから、お願い、誰か……。


「おい、何処へ行くんだ?」


 大人というものは理不尽で、子供の身でそれに抗う事は難しい。

 峯山の全身全霊の走りは、大人にとって少し頑張れば追いつける程度の物にすぎない。

 腕を掴まれ、そのままグイッと引っ張られる。あまりの力強さに倒れ込んでしまった峯山が顔を上げると、そこには自分を見下ろす“大人”の姿があった。


「父さんはな、お前のことが好きなんだよ」


 言葉とは裏腹に、嗜虐的な笑みを浮かばせた父親は見下した視線で言葉を放つ。


「だからこそ、分からせてあげないと。大人に歯向かったらどうなるのか、な」


 嗚呼、ようやくわかった気がする。峯山は一人、静かに納得していた。

 どうして大人が苦手だったのか。

 それは、自分達子供のことを『下』として認識しているからだ。大人は子供よりも圧倒的に力を持っている。だから無意識的に、何かあれば押さえつけられると思っている。

 子供が好きという言葉は、大半の場合良い意味でつかわれているだろう。現に、子供好きな人は良い印象を持たれることが多い。

 しかし、中には悪意を持って好意を向ける場合もある。それがもはや好意なのか、判別することは難しいだろう。

 何故ならそういった人物にとって子供というのは、自分の意見を押し通しやすい弱者に見えているのだから。

 自分より格下の、反抗できない小さな存在。だから好きなのだ。

 これがごく少数の事例であることは分かっている。それでも、可能性はゼロではない。今もどこかで苦しんでいる子供がいるかもしれない。

 悔しい。

 自分の力で何も出来ないことが。この子供という身が。ただ涙を流して耐える事しか出来ない、こんな状況が。


「さて、お仕置きの時間だぞォ」


 ゆっくりと伸ばされる腕を見つめながら、峯山は静かに願う。

 子供のことが好きじゃなくてもいい。いっそのこと嫌いでもいい。

 それでも、子供というちっぽけな存在を、命がけで守ってくれる。そんな大人がいるのなら。


「たす、けて…………」




















「――――任せとけ」


 キキ―ッ、ガシャンッという音と共に、聴き馴染みのある声が頭上から聞こえてくる。

 峯山がまぶたを開けると、そこには男が伸ばした腕を掴んで止める、桜田の姿があった。

 激しい音が鳴った方角へ視線を向けると、勢いよく駆けてきたのか、自転車の車輪がカラカラと音を鳴らして倒れている。

 桜田の額には、うっすらと汗がにじむ。


「……誰だ、お前は」


 父親の怪訝な表情。剣呑とした雰囲気を醸し出しながら、突然現れた人物に尋ねる。


「申し遅れました。俺は――」


 桜田は睨みつけるような視線を意に介さず、堂々とした態度で告げる。


「その子の、大きな友達です」

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