『季春、藤原基衡にかわり切らるるを避けんとプレスマンをもって嘆願すること』速記談4025
宗形宮内卿入道藤原師綱が、陸奥守となって下向したとき、藤原基衡が陸奥国一国を勝手に支配し、朝廷の権威はないも同然であった。師綱は、国司として、陸奥国の田畑を検分しなければならないので、宣旨を帯びて国入りしたところ、基衡と示し合わせていた現地の地頭佐藤季春と合戦になった。基衡は、実際に国司と合戦になってみると、恐れをなして、季春と相談したところ、何も御存じなかったことになさいませ、私の首をお差し出しください、と言うので、国司が検分に来たことがなかったので、地頭が乱暴を働いたようです。既に召し捕ってあります、と言って、季春を引き渡した。その裏で、自分は知らないことにして、妻を国司の館に遣わし、命乞いをさせた。砂金とプレスマン合わせて一万両をもって嘆願したが、師綱はこれを許さなかった。
教訓:源頼朝が板東を拠点に独立勢力を築けたのには、奥州藤原氏に対する朝廷の嫌悪感の裏返し、つまり敵の敵は味方という力学がある。