王国での生活
慣れ親しんだ森から離れ、サーンス王国にやってきたリズ。初めて見たはずの光景だが、受け継いだ記憶があるため、予想以上に早く王都の生活に馴染むことができた。
多くの人々と関わることも、何十年ぶり……下手したら百年単位ぶりだろうというくらい久しぶりだが、会話一つをとっても違和感なく過ごせる。そうして一年の月日が経った今は聖王歴1171年だ。
「ライズちゃん、これあまりもんだけど持っていきなさいよ」
「ありがとうございます、女将さん」
「いいんだよ。いつも薬を卸してもらって、おつりが来るくらいなんだから」
「あはは、またいつでもご依頼くださいね」
魔女として森の奥で暮らしてきた日々。その主な収入源は薬を作る事だった。魔力の使用には制限をかけ、人間に害がないように、それでいて効果を上げるためにと色々と工夫してきた。サーンス王国の王都でも薬師が必要とされる場面は多い。日常的な怪我から、風邪や腹痛などの軽度な病気は薬を服用して治すのが基本だった。重度ともなれば医師にかかる必要が出てくるけれど、よほどの重篤でない限り王都で暮らす一般人が医師の世話になることはない。ゆえに、リズの薬は重宝されているのだ。
サーンス王国の王都でリズは偽名を名乗ることにした。黒髪黒目の快活な少女を演じ、来る日まで本当の名を使うことはしない。その理由は、リズの身体が成長しないことにある。
魔女は魔力が完全に無くなることで死を迎える。灰となって消える。多くの魔女が何百年も生きてきたことを考えると、リズ自身もその寿命を終えるのはまだまだ先だ。五年後にはイオリスが生まれる。その前にライズとして信頼を得る。その上で弟子としてリズの名を使う。少しずつ妙齢の女性に見えるように、声色なども変えていく必要もあるかもしれない。
「人の営みに紛れるというのは、随分と労を必要とするようじゃな」
リズが根城にしているのは、王都の端に位置する平屋が多く並ぶ区画だ。そこにある古びた平屋を借りている。室内にはテーブルと簡素なベッド。調理場もあるが、薬を製造するための器具が置かれているので、料理をする場というよりは薬を作る場のようだった。もちろんリズも料理はする。それ以上に薬を作る回数が圧倒的に多いだけで。
一番明るく振舞うことに慣れてはきたものの、己を偽るということは酷く疲れる。今のリズの外見年齢からすれば、違和感もないだろう。だがその中身は百年以上も生きている魔女だ。何も知らない、無知で世界が明るいものだと、優しいものだと思うような夢を描く時代はとうの昔に過ぎている。
『ライズちゃんは時々悟ったようなことをいうなぁ』
『どこでそんな知識覚えてきたんだい?』
違和感というほどではないにしても、不思議だなと思わせてしまうことはたびたび起きていた。育ててくれた師が優秀な人だったという言い訳をして逃れてはいる。それをそのまま信じ、疑うことをしない王都の人々を見ていると、彼らは騙されやすいのではと思わず心配になってしまうほどだ。
「まぁ利用しているのは妾の方じゃがの」
王都の中にいれば、それなりに王城の噂話は耳にする。どうやら国王に第一子となる王子が生まれたらしい。おそらくはイオリスの兄である未来の王太子だ。顔は見たことはないし、どういった人柄なのかも知らない。
「……第一王子か、噂では相当な放蕩王子だったと言っておったな」
彼がイオリスが一人の死を選んだ原因だったかはわからない。だがリズは気になっていたのだ。どうしてイオリスは一人を望んだのだろうか。王城で、皆に看取られることを望まなかったのは、何か理由があるのではないかと。生きていてほしいというのはリズの自己満足。けれどイオリスの傍にいる者たちとて、そう思ったものがいたはずだ。ならば、それを知るために何度か王城に足を運んでおくべきだろうか。
「できる手は打っておくべきか。二度、同じことはできぬ」
何度も繰り返すことはしたくない。魔女とて万能ではないのだ。残しておけるならば魔力は出来るだけ残しておきたいもの。死を避けたいというよりは、魔女としてできることが減るのが怖いと言った方がいいだろう。それに今のリズならば思うことがあった。単純に会ってみたいのだ。未来のリズがそこまで想っていたイオリスという人間に。
リズは粗末なテーブルの上に置かれた一枚の紙を手に取った。
『サーンス王国認定薬師試験 推薦状』
そろそろ王城での薬師として、認定試験を受けてはどうか。冒険者のトップが直々にリズを推薦してくれるというので受け取ったものだ。王城に常駐するのも良いとは思ったが、今のリズはここにいる人々が嫌いではない。加えて、姿を偽っているという事情もあるし、いずれはリズとして別の姿にもなるつもりでいる。常に王城でいるということは、それだけのリスクを背負うのと同義だ。リズの目的は、あくまでイオリスを救うこと。その妨げになるのであれば、避けた方がいい。
この認定試験に合格すれば、王城の出入りが可能となる。依頼を受けるかどうかはリズの裁量に定められている。受けたくないものは受けない。といっても実際には受けなければならないことが増えるのが実情だろうが。
「ものは試し、じゃな」




