王城からの退去
白い光が収束する。リズは改めて腕の中にいるイオリスを見た。そこには、白い髪に変わったイオリスの姿。その瞳は閉じられているが、恐らく赤くなっているはずだ。
「お、おいリズ……殿下の姿が」
「この色は魔女の色。どうやらイオリスの意志はそれを受け入れたようじゃ……とはいえ、暫く目覚めることはないじゃろう」
身体が変わる。その変化によって起きる負担は、想像以上に大きい。いつ目覚めるかはリズにさえわからない。本当ならば誰もいない、安全な場所でやりたかった。とはいえ既に起きたことに対して後悔することはない。これで、イオリスは生きていける。死を迎えるのは、もっと先。リズが死を迎えて消えゆくよりも先だ。
「それでこの後はどうするつもりだ?」
「ここを出ていくだけじゃ。この姿ならば、誰も第二王子だとは思わぬであろう?」
念のため外套を羽織らせるが、パッと見てそれをすぐに王子だと認識するものはいない。意外に外見の色というのは、人を判断する材料として最も強く残るもの。髪色が変われば、意外と気づかれないものだ。
「アレク」
「何だ?」
「せめて殿下が目覚めるまでは、リズ共々匿ってもらえないか? 私も、この目で目覚めるのを見なければ心配だ」
「……構わねぇよ」
オーギュスに応えたアレックスはリズの下へと近づくと、その場で腰を折り膝を突きながらリズに抱えられているイオリスの身体に触れた。流石のリズもこの状態のイオリスを抱き上げることは無理だ。素直にアレックスにその身体を渡す。
「俺の屋敷にいくぞ」
「良いのか?」
「……妻は旅行中でいないし、ガキどももとっく俺から離れた。気を遣う相手はいない」
アレックスの屋敷に家族と言える者たちはいない。今は皆が家を出ている。だから問題ないという。少しの間だけだ。
「オーギュス」
「私はしばらく時間を稼ぐ。いずれここに殿下がいないことは知られてしまうけれど、今は」
「……感謝する」
「それを言うのは私の方だ。リズ、どうか殿下を……イオリス様を頼む」
「うむ」
オーギュスと別れ、アレックスと共にリズは巡回する騎士たちの目を掻い潜り、なんとかアレックスの屋敷へと到着するのだった。
空は徐々に闇から明るさを取り戻していく。そんな様子をリズは窓から眺めていた。ふと後ろを振り返れば、大きめのベッドの上にイオリスが目を閉じたまま横になっている。静まり返った屋敷内にいるのはリズたちを除けば数人程度。人の出入りは最低限にしているとのことだ。
貴族がどういうものか、リズにはよくわかっていない。アレックスからの説明によると、この屋敷も引退した時に下賜されたものであり、元々住んでいた屋敷から引っ越したという。元の屋敷は子どもたち家族が住んでいて、家長の役目も既に明け渡していると。使用人もいるようだが、昔馴染みばかりであり些細なことは気にしない連中、かつ王城勤めと冒険者ギルドとを兼任していたことから、彼らも隠し事には慣れている。だからこの屋敷にリズやイオリスがいても問題はないということらしい。尤もここから外に出た場合は、その限りではないが。
「リズ、お前もそろそろ寝ろ」
「……妾はどこでも眠れる。気を回さずともよい。それよりも今は傍にいる方が良いじゃろうしな」
ベッドの脇に置かれている椅子へと腰を下ろす。ちょうど目の前にイオリスの顔が見えた。ただ眠っているだけ。身体がその変化に馴染むことで目を覚ます。己の時はどれくらい時間がかかっていたか。そのようなことは覚えていない。覚えていたとしても、それがイオリスにも通じるかどうかはわからない。リズとて己以外の魔女は師しか知らないのだから。
「遅くても一週間」
「リズ?」
「それまでには目覚める、とは思うが……確実なことはわからぬ」
「……そうか。とりあえずお前も休め……疲れてるだろうしな」
それだけを言い残して、アレックスは部屋を出ていった。
疲れていると言われればそうなのかもしれない。精神的疲労がある。体力は人間と大して変わらないので、休むことに異論はなかった。ただ今はもう少しだけここにいたい、そう思ってしまう。
「別の未来……この先はもう妾の知らぬ先か」
記憶を継いで二十年が経った。ここまで一年、ひと月、一日を意識して過ごしたのは初めての経験だった。リズが生き、重ねてきた年数の中ではほんのわずかな期間でしかないのに、この二十年は長く、そして鮮やかに感じた。師と共に生きていた頃のように。この二十年、確かにリズは生きていた。
そこまで考えてリズは思わず自嘲気味に笑う。ベッドの上に置かれた手を取り、両手で包み込むようにして握った。
「お主がやりたいことが見つかるまで、妾がその時を迎えるまで、お主と共に在る。それが妾にできる事じゃろう」
イオリスの体質から鑑みて、恐らくその寿命はリズのそれより遥かに多いだろう。いずれリズも彼をおいて逝ってしまう。とはいっても、まだ数百年は先の話だ。そのためにリズは未来の自分に記憶を託したのだから。
「今はゆっくりと休むがよい」




