迷う、決める
や、やっと……
それからひと月の深夜。リズはアレックスと共に王城の出入り口……ではなく、騎士たちが非常時に出入りする場合に使っている裏口に来ていた。
「……妾に見せても良いのか?」
「お前には侵入する利点がない」
「誰かに教えるとは思わぬのか?」
「知り合いの少ないお前が誰に教えるってんだよ……信頼しているんだ。そこはそれで納得しておけ」
信頼。その言葉にリズは口元を緩ませる。何百年も生きてきて、リズが信頼した人は師。そしてアレックスとオーギュスだ。その相手に、信頼をしていると言葉で伝えられれば嬉しくないはずがない。
「見回りはいる。だからお前には顔を隠したままで頼む」
「うむ」
元騎士のアレックスは巡回のルートも知っている。王城内は深夜であっても騎士が警備を怠ることはなく、交代しながら見回りをしているらしい。荒事など久しくない国であっても、半ば形骸化している任務であっても、それをしていること自体にリズは驚いた。
「ただまぁ……任務に忠実な連中ばかりじゃないのは確かだ。手を抜いたところで何も起きないと高を括っている連中には良い薬になるかもしれないな」
「まさかとは思うが、そのために利用しようなどいうのではあるまいな?」
「さてな」
この警備の状況で、王子が誘拐される。騎士たちが責任を負わされるのは間違いないだろう。アレックスの言葉の節々に、苛立ちのような不快感のようなものが滲み出ている。
「静かに」
「……」
とそこへ、欠伸をしながら歩く騎士が一人。特に注意を払うでもなく、ただ歩いているだけ。腰に剣を差しているが、油断と隙しかなかった。リズは剣を扱うわけではないが、人の気配には敏感だ。特にここ数年で人の中で行動することが増え、その嗅覚はより鋭くなっている自覚がある。騎士という職を得ているのであれば、それ以上に気配には気を配る必要があるだろう。何せ、いつ何が起こるかわからない。悪意であろうと善意であろうと、近くに知らない人の気配があれば警戒するのが普通だ。
「怠慢、じゃな」
「言葉もない」
「……この国は本当に平和じゃが、その時代が長くなるにつれ、人々は警戒心を持たず、与えられるものを当たり前と享受し続けておる。それが終わらぬように祈るばかりじゃな」
「そうだな」
ほんの少しだけ情のようなものはあるが、それだけだ。この先、この国がどうなるかはリズのあずかり知らぬところ。
そうして巡回をしている騎士に気を付けつつ、リズたちは王城の最上階にある部屋の前でオーギュスと落ち合った。
「リズ、久しぶりだな」
「お主も随分と老け込んだものじゃ。壮健そう、には見えぬな」
「……色々と気苦労も多くてね」
アレックスと違い、オーギュスと顔を合わせるのは十五年ぶりだ。苦労を重ねてきた。その大部分はリズの頼みの所為であるだろう。
「オーギュス」
「気にするな。私は己の役目として、その時に必要だと思う行動をしてきただけ。リズが気にすることはない。それよりも、中へ」
ここで会話をしていて誰かに気づかれるわけにはいかない。オーギュスに促されるようにして、リズは室内へと入った。中に入ると大きめのソファーに一人の青年が座っている。深夜で月明りだけが照らしている室内で、何故かその青年だけがリズには輝いているように映る。
「イ、オリス……か」
リズが初めに会った姿。それと同じようではあるが、あの時はもうボロボロだった。辛うじて生きている、生かされているという程度。だが今ここにいるイオリスは違う。まだ生きている姿だった。
動揺し足を止めたリズに対し、名を呼ばれた青年は立ち上がるとリズの前まで歩いてきた。ややイオリスの方が高い身長。淡い緑色の髪の奥にある瞳は、この暗さでは判別できないが、藍色の瞳なのだろう。リズが会いたいと願ったその姿だ。
「貴女が、リズさんだね。初めまして、というのは変かもしれないけど」
「っ……」
困ったように笑うイオリスの姿が、死に際にあった記憶の中のイオリスと重なる。
『会えて、よかった……』
はっきりとした言葉ではなかったけれど、リズの中に最も強く残っている姿だ。未来の自分が経験しただけで、ここにいるリズが直接見たわけではないのに、今はもう己の記憶と溶け合ってしまったのか、あれが事実だと認識してしまっている。だからなのだろうか。沸き上がるような感情に、リズはただ耐えることしか出来なかった。
そんなリズに対し、イオリスは手を差し出したかと思うと、リズの顔、その目元に指を滑らせる。
「っ⁉」
「……ごめん」
顔を上げれば、申し訳なさげに眉尻を下げていた。どうして謝るのかがわからなかった。けれど、どうやら目元を拭ってくれたらしい。つまりそれはリズが涙を流したということだ。
「そうか……妾にもまだそんな感情があったのじゃの」
「リズさん……」
「謝る必要はない。妾はやりたいことをしておるのみ。お主の所為ではない」
ようやく出会えた。感極まってしまった様になってしまったが、今はそのようなことをしている時間もない。イオリスから少し距離を取り、改めてその顔を真っすぐに見つめる。
膨大な魔力を取り込むイオリスの性質。それにより身体が破壊されかかっている。だがまだ間に合う。その確信も得られた。
「イオリス、妾がここに来た目的は聞いておるか?」
「……あぁ、聞いたよ」
「このままであれば、あと一年……それを過ぎればお主は死ぬ。可能性ではなく、確実にじゃ」
「……」
背中から息を飲む音が聞こえた。オーギュスたちだろう。ここまで残酷に死を告げなくてはならない。親しい相手になればなるほど、躊躇いを覚えるという。だがリズにとっては、それが確定した未来である以上、躊躇う必要はない。躊躇ったところで、変わることはないのだから。
「確実に、か。それはそれで俺は良いって思ったりもするけど」
「……本当にお主は変わらぬな。いつだって己の死を軽く考える」
「そういうつもりはないよ。ただ……生まれた時からそうなるってわかっていたと言われれば、どうしてとは思うけど。それが事実なのは変わらないんだから、そうだと受け入れている。それだけだ」
生まれた時からわかっていた。それは少し違う。生まれる前からリズは知っていた。それでもどうにもできない。魔女にもできないことがある。生まれ持った人間の死期を変えることはできない。これが事故や病気であれば、どうにかなったかもしれない。だがその場合、リズは己を犠牲にし、転移させてまでイオリスを救おうとは思わなかったはずだ。
それでも共感できることはある。
「妾も思ったことはある。何故、どうして……このようなこと、望んだわけではないのにとな」
「……」
「じゃが、ここにいる妾は他の誰でもない妾だけのもの。誰に何を言われようと、その命の使い方を決めるのは妾じゃ。既にあるものを後悔したところで、何の意味もない」
かつての師の言葉が頭を過る。
『だからね、リズ。私は好きに生きるだけだよ。この生も死も、誰のものでもなく私だけのもの。その道を生きるのは私自身だ。魔女となったことだってそう。誰に強制されたわけでもない。私がそう望んだから。君と同じようにね』
後悔しても何も変わらない。変えられるのは未来だけ。なら今選んだ道を後悔しないように生きる。その道のりの中で、たまたまリズを拾った。今思い出せる師の姿は、いつだって楽しそうにしていた。空虚の中生きていたリズとは正反対に。師のように生きることはリズには無理だった。そんなリズが見つけた後悔したくない出来事。未来を変えたいと望んだもの。それがたまたまイオリスだった。それだけの話だ。
「お主が後悔なくもう満足に生きた、というのであればそれもよかろう」
「そのためにリズさんは、時を超えてきたのに?」
「……こうして、生きているお主に会えた。死の際ではなく、こうしてお主を立って見上げることができただけでも十分じゃ」
ほぼ寝たきりだった。ベッドで身体を起こすことだって辛そうにしていた。その姿ばかりを見ていたのだ。だから後悔はしていない。
「俺は……」
拳を握りしめ、イオリスは俯いてしまう。リズも、アレックスもオーギュスも、選んでほしい道は同じ。だがそれを強制することはできない。最後にするのがどのような選択肢であろうとも、それを尊重すると決めている。
時間が経過していく。それほど長居をしてもいられない。それでも答えを出すのはイオリスだ。もしここでそれを望まないのであれば、リズは元居た地へと戻るだけ。もう二度と会うことはない。いつしか彼らと会ったことも思い出と変わる日が来ると。
「リズ、巡回の交代の時間がくる」
「……そうか」
刻限か。その意志がなければ連れていくことはできない。答えが出ず、迷いがあるのであれば無理だということだろう。リズは一歩前に出てイオリスの腕に触れた。魔力が暴れ始めているのがわかる。選択をしなければならないという中、イオリスはその表情を苦痛にゆがめていた。
「っ」
「イオリス……」
崩れ落ちる身体をリズが支える。胸を強く掴みながらその苦しみに耐えていた。荒い呼吸、額に滲む汗。この先何度もその苦しみを味わう。言ってはいけないと思いつつ、リズは誘う言葉を口にしていた。
「妾と共に来るか……」
「お、れはっ……」
「お主の死を望む者はどこにもおらぬ……願っているのは皆同じ、お主が生きていることじゃ」
「……っ」
リズのそれよりも大きな背中に腕を回す。かつてリズもそうしてもらった。師に救ってもらった時に。イオリスの心は揺れている。王族としての責任と、個人が抱く望みの狭間で。その在り方がどこまでもイオリスらしい。イオリスには後押しが必要だ。待つだけでは、きっとイオリスがそれを選択することはない。リズは覚悟を決めた。
「イオリス」
「……俺、には……」
「お主の望みを言うのじゃ。生きたいか、イオリス?」
色々なことは除外し、生きたいのかそうではないのか。選択は二つに一つ。単純な選択肢だ。
「だがっ」
「子どものくせに難しいことを考えるでない。誰にでもその権利がある。お主にも、妾にも。それだけじゃ」
「イオリス様、生きてください。どうか……それをあきらめないでください」
ついにオーギュスがその言葉を放ってしまう。イオリスの身体が震える。肩口にあったイオリスの顔が上がり、リズも抱きしめていた腕を離す。至近距離で顔が見えた。その瞬間、リズは己の額をイオリスの額へと合わせる。
「……後悔はせぬか?」
その口端に見える赤い血。その次にはイオリスは身体を大きく揺らして血を吐き出した。
「ごほっごほっ……」
「ならばゆくぞ」
頷きながら袖口で口元を乱雑に拭いたイオリスと、もう一度額を合わせる。本当ならばここを出てからやりたかった。だがこの状態のまま連れ出すのは厳しい。リズは目を閉じ、魔力を集中させた。
「……我、汝に授ける。その器、意志を継し者、根底にありし魂と共に、時の流れを繋ぎ、顕現せよ……」
リズとイオリスを中心とし、淡く白い光が二人を包み込んでいく。イオリスの中の魔力がその色を変えていくのを見ながら、リズはもう一度その身体を強く抱きしめた。




