近づく時間(とき)
イオリスが十歳になる前に、双子の王女とは離された。そこからは半年に一度、三か月に一度と徐々にリズが王都を訪れる間隔は短くなる。
そしてイオリスが十五歳になった時、リズは最早当たり前のようにアレックスを訪ねていた。
「アレックス、おるか?」
「……ノックくらいしろ」
「おらずとも入るのだから不要じゃろう」
「ったく」
初めて出会ってから二十年近く。年を重ねた貫禄というものを身に着けたアレックスは、騎士団は正式に引退して冒険者ギルドの長という立場に変わった。これでも既婚者であり、子どももいるらしい。昔はリズと大差ない外見差であり、兄妹にも見えていた関係だが、今はすっかり娘と父親のように見えてしまう。裏口から出入りしているため、あまり多くの目にさらされることがないリズだけれども、ひと月に一度訪れるリズのことを訝しんでいる連中はいるらしい。何を言われたところで、リズにとって眼中にない連中だが、アレックスの邪魔になるようであれば何かしら手を考えるべきか。
何度かそう呟いたところ、アレックスにあきれ顔で止められてしまった。
「オーギュスが近々城を離れる」
「……もうそのような年齢か」
「あいつは俺と大して変わらんからな。ただ……そうなると、第二王子殿下の専属薬師が不在になるんだが」
「何故じゃ? 他にも薬師はおるじゃろ?」
王族の専属となるのだ。名誉ある地位のはず。それなのに、不在になるとはどういうことなのか。リズの疑問にアレックスはほんの少し寂しさを滲ませて「仕方ねぇんだ」と言葉を漏らした。
仕方ない。それでは困る。事情を知るオーギュスがいるから、イオリスの傍に彼がいるからリズは見守ってこれたのだから。
「殿下自身の希望だ。オーギュスは状況を知っているが、それ以外の連中には頑なに隠し通している。近しい騎士や侍女は体調が良くないことは気づいていても、口を噤んでいるらしいしな」
「……そうそう隠し通せるものではないはずじゃが」
苦痛に個人差があるとしても、身体が内側から壊されていく感覚。血反吐を吐き、それでも何とか息を吸おうと抗うことさえも、苦痛でならなかった。リズは己の胸の上の服を強く握りしめる。
あれを見つからないように、何でもない風を装うことなど無理だ。少なくともリズにはできなかった。それを人前に出ることが多いだろうイオリスは半ば強制されているのだろう。隠し通したいという意志を尊重し、気づかないフリをしている人たちに、イオリスはどれだけ気が付いているのだろうか。気づいていても知らないフリをしているのかもしれない。どうしてそこまでするのか、リズにはよくわからない。イオリスが何を想い、行動しているのかなど。
「リズ……」
「いや、だからこそあやつは、身近な人間以外には何も言わずに旅立とうとしたのであろうな」
誰も頼れない状況で苦痛を耐えることと、頼れる誰かがいるのに隠し通しながら苦痛に耐えること。どちらがより苦痛だろうか。それはきっと比べることなどできない。
「第二王子殿下は十五歳、もうすぐ十六歳を迎える。オーギュスの希望としては、王太子殿下の補佐から離れ、療養させたいところではあるんだが……当人が納得してくれないんでな。困っているところらしい」
「己の状況について、イオリスは知っておるのじゃろ?」
「あぁ。前回、倒れられた時にオーギュスから説明してある。尤も、驚くことはなかったらしいがな」
リズから伝えられた情報、それは自分がいずれ死んでしまうことも含めてイオリスは知っている。驚くことがないというのは、それだけ身体が壊れていることを実感しているからだろう。
「リズ、お前はどうする?」
「できる事ならば、妾が連れ去りたいところじゃが」
「……引退したとはいえ、騎士だった俺の前で堂々と王族の誘拐を示唆するなよ」
「手引きはしてくれるのじゃろ?」
ニンマリと笑みを向ければ、アレックスは頭を抱えるようにして項垂れた。
「ったく大騒ぎになるってんだよ」
「別に妾には関係あらぬからのう。それに……」
「それに?」
「……知られたくないというのがイオリスの意志ならば、早いうちに去るというのも選択肢の一つであろう」
できるだけ隠し通したい。それがイオリスの意志ならば、ここを去るのがいい。リズが出した結論はそれだ。連れ去るのがリズであれば、その責めを負うのはリズのみ。この地で死を迎えたいというのであれば、後に解放すればよいだけの話。お尋ね者になったところで、その時にはリズは二度とここには戻らないのだから問題はない。
「十六になるというのであれば、そこが限界じゃ。十七になってしまえば手遅れになりかねぬ」
「……王子殿下を魔女にするって?」
「あやつが受け入れさえすればな」
「ここまで来たのに、無理にでもするつもりはねぇってのか? 何故だ? そのためにお前は時空を跳んでまで来たんだろ?」
無理やりそうすれば怒るくせに、その上でそう投げかけてくるのは卑怯だ。だが、そこにあるのはアレックスがリズを案じてくれている証でもある。未来の命を使ってまで来たのだ。それならば意地でも選ばせたいと思うのが当然だと。
「アレックス、それはできぬ」
「だからなんで」
「意志が伴わなければ、魔力の変化を受け入れることができぬからじゃ。でなければ、そのまま死を迎えるのと同義」
抗えば苦しみはより増す。生きるために、それを選ぶことができないならば、受け入れることができないのならば、そこで果てる方がいい。ほんの少しでも、生きたいと望む意志がなければ、そのまま魔力によって滅びゆくだけだ。
「妾は救いたい。そう思い、願いのままにここに記憶を授けた。ここにいる妾とは別の意志であっても、今はもうそれは妾も同然じゃからな。できれば……苦しむことなく、この世界を見てほしいものじゃが」
「……そう、だな。あの場所しか知らないまま、ただ奪われるだけなのはもどかしい」
「うむ」
王城からほとんど外に出ていない。知識として知っていることはあれど、その目に映したことはない世界。それはリズも同じだ。師を亡くし、一人になってからはずっと森の奥で、代わり映えのしない日々を過ごしてきた。こうして、人間と関わるようになったのもイオリスのお陰だ。悪くないと思えたのも。
だからこそ、余計に死なせたくない。その願いは募るばかりだった。
「オーギュスと突き合わせをしてやる」
「ん?」
「手引きをしてやるって言ってるんだ。お前の」
「……良いのか? 元とはいえ王城の騎士であろう?」
「だからだよ。王族として生まれた以上、その責任は果たしてもらいたいというのはある。その義務も責任も放棄してというのは、俺の独断で色々というわけにはいかない」
その通りだろう。どれだけ平和ボケしているとしても、一国家の中で役割を持つ者だ。おいそれと逃げ出すことなどできるわけもない。
「それでも……もっと生きていてもらいたいと、俺も思っている。お前がいう限界が近いってんなら、それを選んでもいいんじゃないかってな」
「アレックス」
「……お前の言うこと、半分は疑っていたんだがな」
無視できる内容ではなかった。けれど、それが来ると信じていたわけでもなかった。それなのに、その未来が来ることを確信してしまった。今のイオリスの状況を見れば、信じたくなくともそれが事実だと認識できると。
「頼む。あの方を、どうか助けてやってほしい。別の道を選ぶことになっても構わねぇ。生きてさえいてくれるなら……」
「……説得は苦手じゃが、妾もそのつもりじゃ」




