信じる者
「お前はここで待ってろ!」
そう言い残してアレックスは部屋を飛び出していった。おそらく王城に向かうのだろう。オーギュスでも呼んでくるつもりなのかもしれない。
「さて、どうしたものか」
魔女という単語から想像する存在としてかけ離れたリズを、アレックスは驚きはしたものの忌避することはなかった。それ以上に、イオリスにまつわる事実の方が衝撃だったと言った方がいい。王族に関するものだ。いずれそうなる、と告げただけではある。だがリズとて、アレックスとの五年以上の付き合い中で信頼のようなものを築いてきたつもりだ。疑念はありつつも、完全に否定することもできない程度には。
「オーギュスがどう出るか次第じゃの。いずれにしても、再度ここを訪れる以上は無視することもできぬ」
この後の行動、既に支障は出ている。リズはもう一度同じことを繰り返すつもりはない。今世が最後にしたい。そのためにどう行動するべきか。
「ライズ」
考え込んでいるうちにいくらか時間が過ぎていたらしい。リズの前にはオーギュス、そしてアレックスの姿があった。
「オーギュスか、久しいの」
「……それが本当のお前なんだな……」
「うむ。妾はリズ、以後そう呼ぶがいい」
「わかった」
リズの正面に座った二人。こうして改めて二人をみると、今気づくことが多い。元々リズは他人と深く関わらないようにと最低限の付き合いに留めてきた。その中で名前を知り、顔を知る者はいる。だが、己の姿を記憶に残しにくくするために、敢えて正面で人を見ることを避けてきた。名前を知っているのは、イオリスを除けばこの二人のみ。
アレックスは明るい栗色の短髪、外見年齢でいえばリズよりも年上なのだろう。貴族とはいえ、街中に馴染むためなのか、その服装はどちらかといえば平民たちのそれに近しい。本業に戻った時は、また違う姿を見せてくれるのだろうけれども。
逆にオーギュスはいかにも貴族風といった格好だ。肩のところで整えられた真っすぐな金髪に、緑色の瞳をもつ青年。年の頃はアレックスと同じくらいに見える。貴族然としたオーギュスと、平民に扮したアレックスが隣り合っていると、その歪さがおかしかった。
「おい、何か気にかかるってんなら聞いてやるが?」
「そういうわけではないのじゃが……お主ら二人は真逆だと思ってな」
「アレク、今はそういう話をしている時じゃないだろ。第二王子殿下のことだ」
「う……まぁ、そうだな」
二人の親し気なやり取り。初めてみる光景。否、リズは片方ずつとした会っていなかったのでそれも当然だ。以前ならば、こうしたやり取りを見せられても、意識の外に追いやっていたかもしれない。深く人間と関わりたくなかったあの時は。
「それで、リズ。殿下の名前はどこで聞いた?」
「やはり第二王子はイオリスというのじゃな」
「まだ外に公表した内容ではない。王都を出たお前が、あの時しか第二王子に触れていないお前が知るはずがないんだ」
リズの言葉に応じることなく、その理由を問い質してくるオーギュス。王族の名前は、ある程度年齢を過ぎるまで公表されないことになっているらしい。だから第二王子どころか、第一王子でさえも名前を知るものはいない。王城内で、彼らに近しい者たち以外は。
「オーギュスは近しい者ということか」
「私は第二王子殿下、第一王女殿下の専属薬師をしている」
「……そうか、お主がイオリスの」
「やけに親し気に呼ぶことといい、何を知っているんだ?」
親し気に。第三者から見ると、リズと親しいように映っているらしい。それはそれで不思議なものだ。なぜなら、ここにいるリズはイオリスと一度しか会っていない。リズの中にあるイオリスとの関わりは、すべて未来のリズが得たものだから。
「妾が何を知っていようと、主らには信じられぬ」
アレックスとオーギュス。もしかすると彼らならば、リズが見てきたことを信じてくれるかもしれない。そんな期待を抱きながら、それでも彼らは人間だ。魔女とは相いれない、普通ならば関わることもなかったはずの存在。人に畏れられることには慣れているリズだったが、この二人に恐怖の視線を注がれるのは避けたい。それもまたリズの本心だった。そのための予防線。これ以上入ってくるならば、その覚悟をと。
「お前が魔女だからか?」
「そうじゃ」
「だが魔女とて万能ではないのだろう? だからお前はここに来た。第二王子殿下のために。そうじゃないのか?」
「……」
オーギュスは前のめりになってリズへと問いかける。確かに魔女は万能ではない。魔力を多く持つ元人間に過ぎない。その魔力だけでできることは多々あれど、想い通りにならないこととて多い。
「魔力が多すぎることで、身体が持たない。その結果、王子殿下には未来がない。遠くない未来で、命を落とす。お前はそう言ったんだよな?」
「そうじゃな」
言葉は違えど、要するにそういうことだ。あと十六年余り。何もせずにいれば、間違いなくその未来は訪れる。人として死を迎えてしまう。
「それを防ぐ手立てがあるのなら教えてもらいたい」
「……」
「そのために、お前も来たんだろ? ここに」
リズは答えずにただじっとオーギュスを見据えた。防ぐ手立て。それはまた違う。リズはイオリスを救うことはできるかもしれない。けれど、人として救うことはできない。王族として生きることはできなくなるだろう。そういう意味では、リズが行おうとしていることはイオリスを真実救うためではない。単なるリズの自己満足に過ぎないのだ。
「リズ、俺たちを信じ切れないのはわかる。だが俺もオーギュスもお前を見てきた。偽っていた部分はあるかもしれんが、それでもお前は俺たちを、王都の人たちを救ってくれていた。その全てが王子殿下のためというのであれば、そこまでの想いがあるのなら……何を言われようと、俺たちはお前を信じる」
「……」
「頼む、リズ。私たちに教えてくれ……」
「それがお主らが求める結果ではなくともか?」
誰かにとっての救いが、別の誰かの救いになるとは限らない。知らぬ相手を傷つけることとてある。それでも、最悪な結果であっても知ることを望むのか。再度二人に問いかけると、オーギュスもアレックスも深く頷いた。
「……妾も馬鹿な情を抱いたものじゃな。これまで避けてきたものを」
「リズ」
「魔女は異質であり、世界の異物じゃ。人と違う時間を生き、魔力が尽きた時には灰となって消える。魔女となった時点で、それは人間とは異なる存在となる」
人間ではなくなり、人間と共に過ごすことはできなくなる。誰もが受け入れてくれる存在でない限り、同じ土地に留まることもできない。だからリズはフードで顔を隠し、本来の姿を偽って王都で過ごしてきた。この時、リズは髪色を元に戻した。二人の息を飲む音が聞こえる。
「そ、れは」
「これが妾の本来の姿じゃ。老婆、というのはあながち間違っておらぬじゃろ?」
白い髪、赤い瞳。遠目でみれば老婆に見えることもなくもない。人間は老いを迎えると、その髪色から色素が抜け落ち薄くなる。最後には白くなると言われている。そこまで生きた人間はそうそう多くないけれど、それが人間たちの中に埋め込まれた知識だ。
「妾が怖いか?」
「……そうだな。そうしていると、確かに違う雰囲気を感じる。だが……お前がリズであることに変わりはない」
「そうか。妾を畏れぬ人間は稀におるが、まさかこのようなところで会うとは思わなんだな」
「私たちを馬鹿にするな。外見だけで、相手を判断するほど落ちぶれてはいない」
「そういう人間も、この国にはおるがな」
「何?」
いずれ、もっと先の未来で。第一王子が王太子となった国で、人々は王族が何をしようとも期待も落胆もしていなかった。あるがままに、流されるままに変わることのない世界を享受していた。王族の誰が死のうとも、誰が王になろうとも自分たちの生活が変わることはないからと。
「リズ?」
「まぁよい。じゃがこれから話すことは、できるならイオリスにはまだ知ってほしくないことじゃ。他言無用と心得よ」
「わかっている」
「俺も口は堅いつもりだ」
本気で誰かに伝えるとリズも思っているわけではなかった。それだけ信頼をしている。この二人については。もしかしたら、この二人がイオリスを守ってくれるかもしれない。リズの誘いを断ったとしても。
「妾は今から十七年後、その未来で何が起きたかを知っておる。未来を生きていた妾の記憶があると言った方がよいかの」
「……そ、んなことが」
「言っておくが、魔女であっても容易にできることではないぞ。そうして今の妾に託した未来の妾は、その後灰となり消えたからの」
あの未来のリズは消え去った。どれだけの情を注いでいたのか。その想いを継いだリズは知っている。同じようにさせたくはない。あんな悲しい死に方を、もうさせたくない。同じ境遇にいた者として。
「妾が初めてイオリスに会ったのは、あやつが十七歳。その時には、もう手遅れじゃった。出会って一月後、あやつは妾の前で死んでいったからの」
「っ⁉」
「な……」
「たった一人で、ここを出てイオリスは死に場所を探していた。最期は王族としてではなく、一人の人間としての死を選んだのじゃ。皆に看取られる死ではなくな」
どうしてその死を選んだのか。リズにはわからない。あの時のイオリスは、本当に死を迎える寸前。記憶の混濁などはなかったが、己の意志を伝える力が残されていなかった。調子のよい時は会話をしたが、己のことを話すようなこともなかった。
「当時、イオリスには婚約者という者がいたらしいが、それも弟王子に変わったと聞いておる。元より、弟王子が横恋慕していたということを言っておった者がいたのじゃが……まぁそれは関係ないかの」
この先はただの想像だ。実際のところはわからないし、リズにとってはどうでもよいこと。
「妾は一度、同じ世界の中で時間を巻き戻した。じゃが、その結果は変わらぬまま。イオリスの死を二度目にする前に、妾はこの世界の己にすべてを託した。それが今の妾じゃ」




