第38章『温かな記憶に過ぎる影』
過ぎ去りし情景は温かで。
されど、不安の影が差す。
彼らの心情が読み取れぬが故に——
『信じていたい』
「そうねぇ~、ハイランクのミノタウロスだから……ハラミ、という名前はどうかしら?」
優しく呼び掛けてくる声が聞こえる。
朧気な意識が、その声に応じるかのように輪郭をはっきりとさせていく。
視覚が外部からの刺激を受け取り、像を結び始める。
魔鉱石が放つ淡い光を纏った女性と目が合う。
すると彼女は目尻を下げて、柔らかな笑みを浮かべる。
こちらを覗き込むように首を傾けると、艶のある黒髪が動きに合わせてしな垂れる。
「気に入ってくれたかな?」
「ユズリハよ……流石にその名は拙くはござらんか?」
「えぇ~そうかしら?」
間延びした声で不満を露わにする女性の背後で、髪を結い上げた男性が困惑の表情を浮かべていた。
男性がどう説得しようかと言葉を探しているのを無視して、女性がこちらに意見を求めてくる。
「シロウさんはああ言ってるけど……君はどう思う?」
「えっと……」
訊ねられても、どう答えれば良いのか分からなかった。
種族を表すのとは別に、個体を識別するための名。
ヒトの言葉を話せるようになった頃から、いつの間にか持ち合わせていた知識のお陰で、名前が持つ役割がどういったものなのかは理解出来ていた。ただ、自分にそれが付けられるとは思ってもいなかったし、ハラミという名にどう思うかと聞かれても、それを判断するための基準が存在しないのだ。
「どうって……」
「………………」
答えが浮かばずしどろもどろになっていると、無言の圧力が増してくるのを感じた。
直感的に思い浮かんだ感想を、恐る恐る言葉にする。
「い、良い名前、だと……思います」
「ほらぁ! シロウさん、聞いた!?」
女性が満面の笑みを浮かべ、その輝きを見せつけるように男性へと顔を振り向ける。
男性がやれやれといった様子で溜め息を零していたが、女性は気にすることなくこちらへと手を差し伸ばしてくる。
その手をまじまじと眺めていると、
「ん!」
女性が更に突き出してくるので、恐る恐るその手を握ろうとして——
『この化け物が』
腕が弾け飛んだと思う勢いで、伸ばした手が払われた。
◆
「——ッ!!?」
強烈な光景に息を詰まらせていると、目の前光景が切り替わるのを感じた。
魔鉱石が仄かに照らす迷宮区画であることに変わりはなかったが、視線が天井を捉えている事に気付くのにそう時間は掛からなかった。
仰向けの姿勢で意識を閉ざし——夢を見ていた。
上位個体となるまでは見たことがなかったものに心が掻き乱され、息苦しさを覚える。
——と言っても、それまでの記憶は曖昧ですが……
思考や回顧などそれまでしていなかったはずなのに、存在としての階位が上がった途端、当然のように行っている事に不可解さを覚えたが、それ以上に苛むのが、
——怖い……
ただの魔物の頃にも、自分より強大な相手に対して畏怖を覚え、争いを避けていたはずである。
それが上位個体となった途端に感覚が強烈となり、戦い——傷付く事に恐怖するようになっていた。
そして、誰かに拒絶される事も同様に、怖かった。
先程見てしまった夢の光景は、自分を助けてくれた二人——シロウとユズリハとの出会いの記憶だった。
唯一違うのが、ユズリハの手を取った後、彼女は満面の笑みを浮かべて、
『よろしくね、ハラミくん!』
そう言って、自分を受け入れてくれたはずだった。だが、夢で見たのは蔑みの視線を湛えた、明確な拒絶であった。
二人と過ごした時間の中で、そんな事は一度としてなかった。
それなのに、あんな夢を見てしまった理由は、
——二人がどこかに行ってしまったから……
ヒュドラと攻防を幾度も繰り返していた二人が、日に日に消耗していくのが目に見えた。
それでも自分に向ける表情は穏やかなもので、今でも大事にされていたのだと思う。
だからこそ、突然二人がいなくなった事に戸惑いを隠さなかった。
どうして。
ただ、それだけが頭の中を駆け巡り、二人を探す為に迷宮区画を彷徨い続けた。
二人が放つマナの波長は上手く制御されているようで平常時には微量でしかなく、迷宮区画内においては魔鉱石のそれに阻害される程である。それ故に、二人のマナを辿って直接追う事は叶わなかった。しかし、彼らの目的であるヒュドラのマナは強大で、それを追う事で二人を見つけられると思い、ここまでやってきたのだ。
二人を見つけ出してどうしたいのか。
自分を見捨てて、どこかへと行方をくらませたのかもしれないのに。
内なる声が非情な現実を突き付けてきて、心が砕けてしまいそうな痛みを感じてしまう。
だが、なけなしの勇気を振り絞り、二人を探す事を諦めずにいた。
二人の口から直接理由を聞きたい。
もしかしたら何か理由があったのではないか。そんな希望的観測が、途切れてしまいそうな気持ちを繋ぎ止めてくれている。
微かな希望だけを頼りに、二人を探し求め続ける。
——だけど……
もし本当に用済みと見捨てられたのだとしたら、その時自分はどうするのだろうか。
分からない。分からないし、考えたくもなかった。
こんな風に誰かからの拒絶を恐れるようになるくらいなら、上位存在になりたくなどなかった。
自身の意思でなった訳ではないので、そのような運命の差配を恨めしく思う。
ただ、今の自分でなければシロウとユズリハに出会う事もなく——そのジレンマに胸が締め付けられる。
「大丈夫?」
「ヴモ……?」
胸の苦しみに抗っていると、こちらを覗き込む緋い瞳と目があった。
自分のものと似た色を持つすのぴが、心配の声音で伺ってくる。
「うなされてたみたいだけど……」
「……すみません、変な夢を見てしまったみたいです」
上半身を起こし、大丈夫であると告げたが、すのぴの眉尻は余計に下がり、まるで悲しんでいるかのような表情であった。
何故彼がそのように顔を歪ませているのか疑問だったが、すぐにその答えを知らされる。
「でも、ハラミさん……泣いているんだよ」
◆
それはハラミが同行するようになって三日後の野営中、とらと二人で夜の見張りをしていた時に起こった。
他の皆が寝静まった中、ぽーが張り巡らせた結界や光源の術にマナを継ぎ足して持続時間を延ばしていると、ハラミの呻く声が聞こえてきた。
夢にうなされているのかと心配になり、顔を覗き込んで見ると、どうやら目を覚ましていたようだった。だが、その頬が涙で濡れているのを見て、只事ではないと感じて声を掛けたのだが、
「変な夢を見てしまった見たいです。ご心配をお掛けしました——自分は大丈夫なので」
取り繕う、というよりは自分の状態を理解していない様子に心配が膨れ上がっていく。
こちらの指摘でようやく涙を溢している事に気付いたハラミが見るからに狼狽していく。
「えっと、これは、その……」
言葉を詰まらせ、視線を泳がせるハラミの表情は体毛のせいで判然としないが、人族であれば酷く青ざめていただろう。
とら達はハラミの表情の変化をよく分からないと言っていたが、自分はそうではなかった。
ワンダーラビットが兎人族から枝分かれした種族であり、ミノタウロスが牛人族に酷似している事が重なっていることからか、すのぴにとってハラミの表情を読み取る事は容易であった。
だからだろうか。
心を擦り減らしているハラミを少しでも楽にしてあげたいと思い、自然と言葉が口をついて出ていた。
「話、聞かせてもらえますか?」
「え……」
思ってもいなかった事のようで、ハラミが目を丸くしている。
だが、今のハラミには心中を吐露する事が必要だと感じたのだ。知らず知らずのうちに溜め込んでしまった不安や恐怖といったものを吐き出さなければ、その重みに押し潰されてしまうのではないかと思われた。
なるべく無理強いにならないようにと、語調を落ち着かせて語り掛ける。
「ハラミさんが今思ってる事とか、言葉にすれば少しは気持ちが楽になるかな、って」
「それ、は……」
言い淀むハラミを見て、踏み込み過ぎたかと思ったが、意を決したようで重い口を開いていく。
「聞いて、もらえますか?」
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