第36章『上位個体(ハイ・ランク)』
殻を脱ぎ捨て、超克した存在。
されど、その心根は儚く揺れ動き——
『どうかお願いします』
美しいものを見た。
バニラからすればあまりにも拙いものであったが、そこに込められ心根が真なるものであると感じ取れたことで、心が揺れ動かされたのである。
「どうかっ! どうかお願いします!」
ぽーの結界術に閉じ込められた牛頭の存在がその巨躯を可能な限り縮こまらせて、地に伏していた。
膝を揃えて座し、腰を折ることで上半身を地面すれすれにまで近付けている。伏せた頭部の両横に両手を付いたその姿は——ワフー式謝罪術・DOGEZAのそれであった。
何故彼がそのような芸当が出来たのか、疑問が脳内を膨れ上がってくる。
東領の島国に伝わる風習を何故——
——何故、魔物である貴方が知っていますの?
◆
ロックバイソンの排除は至ってスムーズに執り行われた。
数が多かったので、時間を要すると考えられたが、レインの活躍により瞬く間に屍の山が積み上げられていった。
迫り来る魔牛の群れに飛び込んだかと思うと、軽い身のこなしで押し寄せる大波の如き質量を掻い潜り、手にした双剣が硬い表皮で覆われたはずの体躯を、まるで抵抗を感じていないかのように裂いていったのだ。
あまりの手並みにとらを含めた全員が呆気に取られていたのだが、
——流石だな……
と、とらは内心で感嘆の声を漏らした。
ここに至るまで苦戦する素振りはなかったが、すのぴの訓練も兼ねて彼の力量に合わせて力をセーブしていたのだろう。それがここに来て必要と判断したのか、無双と呼ぶに相応しい働きぶりを発揮して見せたのだ。
その甲斐あって、こちらの被害は皆無である。
——まだまだ底が知れねぇな……
今回見せた戦いぶりも彼の実力の一部に過ぎないのだろう。その底知れなさに、今は味方でいてくれていることに安堵を覚えると共に、その切先がこちらに向くことがないのを祈るばかりである。
残った魔物達を手分けして退治し、周囲から敵性体がいなくなったことで、保護したミノタウロス(仮)に話を聞こうと、結界の中で荒れた呼吸を整えている背中に向き直る。
すると、ぽーがやはりと興奮の色を帯びた声で報告してくる。
「彼、ただの魔物じゃなくて——上位個体と呼ばれる存在ですね」
やはり、というのが正直な感想だった。
結界術の障壁越しに確認したところ、ミノタウロス(仮)の瞳は血が滲んだような赤色で、正真正銘魔物であることは間違いなかった。
その上で言葉を操ることや本来では活動しない領域にいることから考えれば、ぽーの推察は間違いないと言えるだろう。
上位個体。
魔物が長い年月を生き続けた結果、ヒトと同等の知性を獲得しオドの許容量やマナの消費効率が飛躍的に向上することが起こり得る、らしい。
魔物への対策が進んだ近年では目撃情報そのものが数を減らしており、こうして目の当たりにすることはとらをもってしても初めての事であった。
噂で耳にしただけの存在が今目の前にいることに、物珍しさが顔を覗かせようとしていた。
——ワンダーラビットといい、ここ最近はその手の類に縁があるな……
何かの予兆なのかと予感めいたものを覚えるが、流石に考え過ぎかと頭を振って思考を切り替える。
膝を突き、乱れた呼吸を整えていたミノタウロスがようやく落ち着きを取り戻したようで、
「あ、ありがとう……ございます」
と、頭を下げて礼を伝えてくる様子に、思わず言葉を失う。
特徴的な真紅の瞳がなければ牛人族と何ら差がないように感じられたが、相手は魔物である以上、油断は禁物である。
「お前……何が目的だ?」
「と、とらさん……この人? じゃなくて、ミノタウロスか……は、ロックバイソンに襲われそうになってただけじゃないの?」
鋭く言い放つと、すのぴがまるで目の前の魔物を庇うかのような声音で口を挟んでくる。
なまじ言葉が通じるだけに、魔物と思えないのだろうが、こちらはすのぴと違って先程の状況をそのまま鵜呑みに出来るほど純粋ではないのだ。
何か裏があるのではないかと勘繰るのは当然と言えよう。
上位個体として高い知性を持っているというのであれば、人を騙し、隙を伺って襲ってくるということも有り得るだろう。
「助けていただいた上、図々しいかもしれませんが——」
しかし、こちらの猜疑の目を物ともせず、ミノタウロスがこちらへと向き直り、地に手を押し当てて、頭を下げてくる。
「どうかっ! どうかお願いします!」
DOGEZAと共に懇願する姿に息を呑む。
困惑と疑念が空気に滲む中、すのぴが控え目に手を上げて、
「とりあえず、話を聞くだけ聞いてみない?」
◆
ミノタウロスが語った内容を反芻し、バニラはどう受け止めて良いのかと判断に迷っていた。
自分の立場を理解しているようで、結界に閉じ込められたままであることに不平を溢すことなく、訥々と話してきた内容は、
——人を探している、ですか……
一ヶ月程前、深層域にいた彼の元に二人組の人族が現れたそうである。
その時も先程のように他の魔物に襲われそうになっていたところを、その二人組に助けてられたらしい。
二人組――聞いた限りでは夫婦のような仲と思われるが、生殖を必要としない魔物である彼にとっては番という概念が存在しないので曖昧な物言いからの推測でしかないのだが——その片割れの女性が何かの病に冒されており、その治療にヒュドラの心臓が必要であるとのことで、
「助けられた恩返しに、ヒュドラの元へ案内した……ということですのね」
「はい……本当は怖くて仕方なかったんですが、どうしても御礼がしたくて」
厳つい面立ちとは裏腹に、ミノタウロスが両の人差し指を突き合わせている。
その童じみた仕草に思わず吹き出しそうになったが、真面目な話の最中なので表情筋に力を込めて堪える。
「ヒュドラの心臓……上質な薬になるという話は、知り合いの薬師の方曰く、間違いないとの事です」
結界の障壁にへばり付くようにして、中にいるミノタウロスを観察していたぽーが顔を持ち上げて言ってくる。
「話の内容に齟齬はない、か……」
「そう? まだこいつの作り話じゃないって言えなくない?」
とらが話の内容を咀嚼するように呟いているが、その横で腕を組んだレインが鋭い視線でミノタウロスを睨み付けている。
レインが言うように、まだ彼がこちらを騙そうとしていないとは言い切れないのである。
もう少し、話を聞き出す必要があると感じたので、ロックバイソンから食材となる部位を切り分けながら、質問を投げ掛ける。
「それで、そのお二人が突然姿を消したから、探し回っているということで間違いありませんのね?」
問いに対して、ミノタウロスが小さく頷いてみせた。
「暫く一緒にいて、外の世界のことなど色々と教えてくれて……魔物である自分にも優しくしてくれてたんです。それが、ある日突然……これを残して」
懐から取り出したそれは紙切れのようで、その中央にはバランスの取れた綺麗な筆跡で『あとは大丈夫だから』と綴られていた。
いかに上位個体という稀有な存在でも文字まで書けるだろうか。それもこれ程丁寧な字となれば、彼がこれを用意したとは考え難かった。
レインが眉根を寄せて大きく息を吐くのが見えた。彼もこれを見てまで疑うのは意固地だと感じたのだろう。渋々といった感じだが、ミノタウロスの話に耳を傾ける気が起きたようだ。
「その二人はヒュドラを狙っていたから、君もこうしてヒュドラを追ってきた、と?」
「そうです。痕跡辿って来たんですが、さっきの魔物に見つかって襲われそうになって……それで逃げてきたんです」
肩を落とすミノタウロスだが、そこに来て違和感が膨れ上がってきた。
すのぴは素直にそうだったんだとミノタウロスに同情しているようだったが、他の者は自分を含めて一様に疑念を強めていた。
「なんで自分で追い払わなかったんだ?」
「え……?」
とらに言われた言葉の意味が分からなかったようで、ミノタウロスが気の抜けた声を漏らした。
「お前がミノタウロスだってんなら、ロックバイソンの群に後れを取るはずがねぇんだ」
「そ、そんな、戦うだなんて……自分には、無理ですよ」
信じられない事を言われたかのように、ミノタウロスが狼狽し、小刻みに震え上がり頭を抱えてしまう。
戦う事を心の底から恐れている。そんな印象を与えるには十分過ぎるほどの怯えようであった。
それに、
——バトルアックスがありませんものね……
ミノタウロスを象徴する武器がどこにも見当たらないのである。
出現する際には必ず所持しているはずのバトルアックスは、ミノタウロスにとっての半身でもあると考えられている。それを所持していないということは、真に戦いを忌避しているのだと考えられた。
「じゃあ、別の質問だ」
恐怖に歪む顔を見かねたのか、とらが別の問いへと移る。
「ヒュドラがこの中層域までやって来た理由に心当たりは?」
それに対して、ミノタウロスは力無く首を横に振るだけだった。
本当に思い当たる事がないらしく、これ以上問い詰めたところで意味はなさそうである。
——さて、どうしましょうか……
ミノタウロスの話を信じるかどうか、そして行方不明となった二人を捜索するかどうかである。
彼の話が本当であれば、ヒュドラの後を追えばその二人組が見つかる可能性は高いだろう。
だが、目の前で縮こまっているミノタウロスが本当にこちらへ危害を加える気がないのかが分からないのだ。
結界の持続時間を限界まで引き延してもらい、ここに放置するのが一番ではないかと思うが、
「助けて、あげられないかな?」
沈黙を破ったのは、すのぴのか細い一言だった。
「僕は、彼が悪い魔物とは思えないんだ」
だから、助けを求める声に応えたいとすのぴが訴えかけてくる。
魔物に善も悪もない。そう思うのが普通なのだが、相手が言葉が通じてしまうからこそヒトと同等の扱いをしてしまいたくなるのは、分からない話ではなかった。
恩人を探し出すために、恐怖を押し殺して単身迷宮区画を彷徨い続けていた。その話を、魔物が語ったのだから嘘偽りだと切り捨てるのは違うような気がしたのだ。
——きっと、かぷこーん様なら……
尊敬するあの方であれば、きっと手を差し伸べたのだろうと思うと、迷いが晴れるのを感じた。
「そう、ですわね。私もすのぴさんに同意しますわ」
懸念事項はあるが、それはこちらが気に掛けておけば問題ないだろう。
そう思い、賛同の意を示したのだが、
「放っておきなよ。どんなに善良そうに見えたとしても、彼は魔物なんだよ?」
と、レインが頑なに拒絶の態度を示し続けている。
飄々とした彼らしからぬ様子に首を傾げるが、
「レインの言い分も最もだ。危機管理の観点からして、こいつの話を鵜呑みにするのは危ないだろう」
と、とらがレインの肩を持つように言うので、すのぴの視線が地面に落ちていく。
「だが、こいつの話が嘘偽りないものだとしたら……ここで無下にするのは寝覚めが悪い」
「……正気かい?」
とらの掌返しに、レインが口をあんぐりと開けて、信じられないとでも言うように目を瞬かせていた。
だが、それ以上の反発はなく、やれやれと呆れた息を吐き出していた。
「警戒を解く気はねぇよ。万が一、何かにしでかそうとしたなら……分かってるな?」
「は、はいっ!」
ぎらつく視線を射抜かれ、ミノタウロスが全身を跳ね上げさせる。
「ありがとう、とらさん」
「礼を言われるようなことはしてねぇよ。それに、こいつが魔物だってんなら、人よりもマナの探知能力が高いはずだ」
ヒュドラを追跡するためにその力を活用させてもらう腹積もりらしい。
そうと決まったなら、ぽーの結界術は用を果たしたので、すぐさま解除された。
それと同時にぽーがミノタウロスに肉薄し、隅々まで調べて始めようとしたが、とらに羽交い締めにされ阻止されていた。
何をやっているんだかと横目で見ながら、必要な解体作業を終えて、部位ごとに分けてボックスに収容していく。
ボックスの容量もあるので全てを収めることは叶わないが、それなりの量の食材を確保出来たことに満足感を得る。
魔物食は忌避する者も少なくないが、通常の食材よりマナの含有量が多く、消耗したマナの回復にはうってつけなのである。
——長旅の必需品ですわね……
などと考えていると、
「そういや、お前の事はミノタウロスって呼べば良いのか?」
と、とらがふとした疑問をミノタウロスに向けているのが聞こえてきた。
暫く同行することになる上で、種族名で呼ぶ事に気が引けたのだろうか。
確かに、自分も他の種族から人族と呼び掛けられるのは落ち着かない気になる。
魔物に個体を指す名があるとは思えなかったが、念のための確認だろう。
「それでしたら、ユズリハさんに付けて貰った名前があるんで——」
ユズリハというのはいなくなった二人の片割れなのだろう。恐らく女性側の名である相手から名前授かっていたようである。
——あ、この部位凄く美味しそうですの……
横隔膜にある筋肉で、内蔵の一部とされながらも赤身肉のようなそれは適度に脂が乗っており、焼いた後の事を考えると自然と唾液が分泌されてくる。捌く時は話に意識が割かれていたために気付かなかったが、これは良いものが手に入ったと魅入っていると、ミノタウロスがどこか誇らしげな声で己に付けられた名を告げてくる。
「ハイ・ランクのミノタウロスということで、ハラミとお呼びください」
「……………………」
この部位、ポイしちゃいましょうか……
お読みいただきありがとうございます!
なんちゅー名前つけてんねん……と思ったり、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、ブックマークやリアクション、下のポイント★1からでも良いので、反応をいただけると作者のやる気に繋がりますので、どうぞよろしくお願いいたします!




