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プロローグⅡ『運命との邂逅』

 止まっていた歯車が動き出す。

 この出会いが齎すものは、いったい何か――

『さぁ、ここから新たに始めましょうか』


 夜空に星が瞬き、その輝きが大地を照らして尚、そこは深い闇に覆われていた。


 世界樹と呼ばれる大樹の枝葉が空を覆い隠し、天から降り注ぐはずの光を遮っている。

 陽の光が届かぬそこでは、光合成を必要としない独自の進化を遂げた植物が生い茂り、点在する発光植物によって、周囲の景色を微かに浮き上がらせていた。

 

 そんな幻想的とも感じられる光景の中、整った顔立ちにどこかあどけなさを残した青年が古ぼけた倒木に腰掛け、俯いた姿勢でしな垂れた前髪越しに揺れる炎を見つめていた。焚き火に照らされて、吹き込む風に任せて闇の中で黄金色の髪が揺れる。

 薄汚れた外套を身に纏い、疲労の色が濃いその表情は、しかし満足気に弛緩している。


 ――いや、まだ安心するわけにはいかないな……


 過酷な旅路の果て、ようやく目的を達成できたことで緩んでしまっていた緊張の糸を張り直す。

 周囲に張り巡らせた魔物除けの結界のおかげで一息を付けているが、その守りも完全ではない。

 強大な魔物が相手では十分な効力が発揮出来ず、容易く侵入を許してしまうだろう。

 今自分がどこにいるのかを思えば、少しの油断が命取りになることを思い出して、先程の自分に対して内心で叱責する。


 深淵領域。

 太陽光が届かぬことで澱みを蓄積してしまったマナ――黒マナが満ちるここでは、魔物たちが凶暴化するだけでなく、人の心すら悪しきものへと染め上げようとされるため、およそ人の生存に適した環境ではないとされている。


 そんな場所にひと月近く滞在してしまった自身の心には如何程の影響が出てしまっているのか、考えるのも空恐ろしいものがある。


 だが、危険を冒してでも果たさなければならない使命があり、それも残りは自分が無事に帰還することで完遂されるのだ。


 ――体力が戻り次第、合流地点に急がなければ……


 深淵領域外にて自分の帰りを待ちわびているであろう仲間を思い、青年は逸る気持ちを抑えて、帰還までの道程を脳内で描き出した。


 くべられた焚き木が爆ぜ、熱された空気に乗って火の粉が宙を舞う。瞬間、男が徐に口を開いた。


「何か、ご用ですか?」


 姿勢も視線すら動かすことなく、青年は声を投げかける。すると、


「魔物除けの結界が、あるから……まさかとは、思ったが……こんな場所で、誰かに会える……なんて、な……」


 息も絶え絶えといった様子の声が漏れ聞こえ、そこで青年はようやく背後へと視線を送った。

 自身と似たように襤褸じみた布を羽織り、フードの奥からは無精髭を貯えた、本来であれば鋭く精悍な顔付きが憔悴した表情を浮かべていた。

 力無く、今にも倒れそうになりながらも身の丈程もある大剣を背負い続けている姿に、ここが如何に危険な場所であるかを思い返させられる。


「すまないが……何か食い物を分けちゃ、くれねぇか?」


 どうやら空腹に見舞わられている様子に、青年は懐に忍ばせていた携帯食料を取り出してみせる。


「魔物食は大丈夫ですか? ミノタウロスの干し肉で良ければ」


 告げた瞬間、男の表情が歪むのが見えた。

 ミノタウロスは牛頭の人型モンスターであるため、如何に牛肉に近しいものを味わうことが出来るとしても、元の姿を思えば食すのを躊躇う者の方が殆どである。

 しかし、男は背に腹はかえられぬといった感じで、渋々だが感謝の言葉を送ってきた。


「……食えるものならなんだってありがてぇ」


 男が覚束ない足取りでこちらへと近付いてくるのを、青年はその動きを凝視して待ち構える。

 あと数歩でこちらが差し出した干し肉へと手が届きそうなところで、掴んだその手を広げ、それを宙に舞わせた。

 直後、


「……何か、ご用ですか?」


 先程と同じ問いを静かに、されど相手の行動を咎める気迫を込めた言葉が、周囲の闇へと吸い込まれていく。

 黙する男に意識を向けつつ、こちらの首筋近くに抜き放たれた得物へ視線を這わせていく。


 ――漆黒の刀身、ですか……


 推測の域を出ないが、男の正体に当たりを付けた青年は、男が大剣を動かせぬように制止を促すために掲げていた手で刀身を押さえつけながら、


「ギルドの英雄がこんな場所で盗賊まがいなことを?」


 と冷ややかな視線を送り付ける。


「物盗りが目的じゃねぇよ……だが」


 男の視線が鋭さを増していく。

 先程まで感じていた弱々しさは既に霧散し、獲物を狙う猛獣を彷彿とさせる威圧感を放っている。


「てめぇが<組織>の人間なら、その命を盗る必要があるが、な!」


 大気を震撼させる気迫と共に、男の蹴りがこちらの腹部を捉えようとした。

 しかし、男の脚が肉を打つ感触を得ることはなかった。

 こちらが寸前のところで背後に飛び退いたことで、その不意打ちは風を巻き起こし、篝火を揺らすに留めた。


「チッ……流石に、単身で深淵領域の奥地にいるだけはありやがるな」

「ちょっと――待ってください!」


 今の一撃を避けられたことに表情を歪める男に、青年は困惑の表情を浮かべて制止を呼び掛ける。

 男が口にした組織というものがどういうものかは分からないが、このような場所で魔物ではなく人から襲撃を受ける覚えは、


 ――ないわけではないが……


 祖国が置かれた状況と自身がここにいる理由を顧みれば、思い当たる理由は、あるにはある。

 しかし、こちらの想像と現状が一致しているのならば、厄介なことこの上ない状況に陥っていることになる。


 ――ギルドをも敵に回すことになるとは……


 そのような事態も想定はされてはいたが、男の言動に違和を覚えた青年は、どうか自分の思い違いであれと、目の前で殺気を放ち続ける男を問い質す。


「何か誤解があるようなんですが……貴方の目的は僕が持つこれ、ではないのですか?」


 懐深くから取り出した物を掲げ、男の反応を窺う。

 男の目的がこれであるならば、更なる危機を招き入れることになるのだが、


「だから物盗りが目的じゃねぇって言ってんだろが……ってなんだそりゃ?」


 男はこちらの手元を一瞥し、不思議そうに顔をしかめさせた。


「ソフトクリーム、だと? お前……いくら俺が腹を空かせてる素振りで近付いてきたからって」


 馬鹿にしているのか、と言いたげな男からは毒気が抜けていっているように感じられる。


「これを狙っている訳ではないのでしたら、僕に貴方と争う理由はありません。それに、先程仰った組織というのも何のことか存じあげませんし……」


 すると、男は張り詰めた空気を解き、遂には脱力しきった様子で頭を振ってみせた。


「んだよ……それならそうとさっさと言えっての」


 そちらが問答無用で襲ってきたのでは? と言葉が喉元まで出掛かったが、折角下火になった激情に燃料を投下する必要はないと、苦笑いを浮かべるだけにする。


「じゃあなんだ? お前さんはアイツを狙ってこんなとこまで来た訳じゃねぇのか」

「アイツ?」


 聞き返した言葉を受けて、男が口を開こうとした瞬間――


「――ッ!?」


 全身が総毛立つのを認識した直後に、辺り一帯を震え上がらせるような振動が襲いかかってくる。


「ーーーーーーーーーー!!!」


 悍ましく、不安や恐怖を呼び起こすようなそれが、何かの叫び声だと気付いたのも束の間、目の前男から再び凄まじいまでの殺気が放たれる。

 先程までと違うとすれば、それはこちらではなく、音の発生源にいるであろう何かへと向けられているということだ。


「くそったれ! もう戻ってきやがったか――」


 男が音が聞こえてきた方角へと視線を向け、憎しみすら感じさせる声を吐き捨てる。


「お前さんがアイツとは無関係なら悪いことは言わねぇ……今すぐここから離れるんだ」


 そう告げた途端、男は手にした大剣を背に担ぐように構える。

 すると、先程までそれを収めていたであろう鞘が液状のように解け、刀身を招き入れるように包み込み、元の形状へと戻る。

 それを確認した男は、既にこちらの事は意識にないようで、一目散に駆け出していってしまった。


 その後ろ姿を見遣り、青年は嘆息を漏らして、


「やれやれ」


 呟いた直後には、己の脚もまた大地を蹴り上げて、走り出していた。

 男の忠告通り、この場から立ち去っても良かった。

 自分には果たさねばならない使命があるのだからと言い聞かせて、男のことなど忘れてしまうことも出来たはずだ。

 だが、この深淵領域においてなお、異様な状況を察知してしまった以上、青年はそれを見て見ぬ振りは出来なかった。

 己の直感が、今まで積み上げてきた信条が、ここで背を向けることを拒んだのだ。


 男の姿は既に遠く、辛うじて捉えるのがやっとだが、決して追いつけない速さではない。

 ならば、後は己の信ずるままに青年もまた風を切って駆けていく。



 それに近付くにつれて、身体が内側から焼かれるかのような感覚が強まっていく。

 逸る鼓動が胸を痛むほど叩き、呼吸が浅く迅くなっていく。頬を伝ったかと感じた汗が流れ去る景色に囚われたように背後へと置き去りになる。


 脳裏に浮かぶ光景が心をざわつかせる。

 それは幼き日の――悪夢と表現するに相応しい記憶。焼け焦げた煤に混じって、鼻孔に突きつけられる血と肉の異臭。

 劈く悲鳴と絶命を間近に迎えた苦悶の声が鼓膜を打つ。

 そして、何も出来ずに打ちひしがれる自分を覆い尽くそうと、近付いてくる巨躯――


 流れる汗が恐怖から来るものに替わるのを抑え、男は駆ける体躯に力を入れ直す。

 瞬く間に鬱蒼とした森林地帯を抜けると、切り立った崖上へと突き当たった。

 眼下に広がる荒涼とした原野を突き進んでくる巨躯を捉えるのにそう時間は掛からなかった。 


 ――まだ、アレの場所には辿り着いていない、な……


 その巨体が目指し、目的のモノが埋められた場所はこちらが立っている崖の真下である。

 疾駆する速さから推測し、到着まで残り二分もないだろう。


 ――()()を掘り返して、捕食するタイミングを狙って、ヤツを討つ――!


 待ちわびた瞬間が間もなく訪れることに、男の緊張の糸が張り詰められていく。

 身を低くし、決行の瞬間に備えて、意識を研ぎ澄ませていく。


「あれは、まさか……」

「……ここから離れろって言っただろうが」


 音もなく横に並んだ青年に、呆れた声で叱責する。だが、青年は男の言葉など意に介していないようで、近付いてくるモノに意識を集中させていた。


 蛙を彷彿とさせる体躯は不気味に輝く白銀の光を帯び、大地を蹴り上げる二本の脚は鳥獣のそれを思わせる程に身体の大きさに見合わない細さであった。

 退化し用を成さないであろう前肢や爬虫類のような尾、病的なまでに飛び出した眼球など、数多の生物を寄せ集めたかのようなその姿に青年は思い当たる存在がいたのか、零れるように言葉を漏らした。


「見るのは初めてですが……あれが、TOIKI」


 Terror Of Impossible to KILL――古代語で誰にも殺せぬ恐怖の象徴と評される存在。

 大陸各地に突如として現れては、甚大な被害をもたらす形ある厄災。


 眼下に迫りつつあるそれを見据え、青年が腰に提げた刀剣に手を伸ばし、今にも飛び出していこうと前傾姿勢になったところで、


「まだだ」


 男は端的な言葉と共に青年の肩を掴み、この場に押し留める。

 なぜと問い詰めようとする青年の様子に、こちらとしても妙な正義感で千載一遇の機会を無駄にされたくはないため、男は見れば分かるという風に顎で崖下を示す。


 TOIKIは既に崖下にまで到着しており、腹部をこれでもかと膨らませて大気を体内へと取り込んでいる様子だった。

 そして、次の瞬間に訪れるであろう結果を見越して、男は両耳を塞ぎ事の成り行きを見守った。男の様子に倣った青年も耳に手を当てた直後、


「ーーーーーーーーーーーー!!」


 大気が爆ぜたかのような轟音が周囲の物を震え上がらせる。次いで、崖下からは視界を覆い尽くす程の土煙が巻き上がってくる。


 ――相変わらずとんでもねぇな……


 ただの咆哮だけで今の状況を引き起こした存在に空恐ろしいものを感じながら、男はじめっとした風に流されて徐々に薄れゆく砂塵のヴェールの先を見据える。

 地盤が大きく抉れ、地中深くまで露出した中央にそれは柔らかな輝きを放ち鎮座していた。


「……卵?」


 青年もそれを認識したのか、こちらへ訊ねるように言葉を漏らしていた。

 男はただそれに頷くだけで返し、視線はソレから逸らさない。

 1m程の大きさのそれは淡い光を放っているものの、形状はただの卵と何ら変わりないものだった。


「孵るぞ」


 男が告げた瞬間、その表面に亀裂が走った。

 裂け目から眩い光が溢れ出し、周辺の闇を切り裂いていく。

 裂け目が次から次へと表面を走っていき、遂には卵殻が剥がれ落ちて中にいるものが姿を現した。


「――――」


 その姿を見た青年が言葉を忘れてただ息を吞むのが聞こえる。


 蹲っている人型が卵の中から現れる。

 全身を体毛に覆われた姿は人族のそれとは異なり、獣人と呼ばれる存在のそれであった。

 丸味を帯びた尻尾にピンと伸びた長耳――兎人族(とじんぞく)の特徴を持ったそれは、しかし淡い桃色の体毛であることで、ただならぬ存在であることを見る者に伝えている。

 白や茶、灰色の体毛が通例であるとされる兎人族において、桃色の姿は特別な意味を持つ。


「ワンダー、ラビット……」


 それは創世神話から存在するとされる幻想種。

 ある者は世界に繁栄をもたらした豊穣の使徒として、またある者は世界の危機を救った神の仕える勇士として今の世に語り続けられている。

 そんな伝説の生物が今目の前にいることに、青年は己の目を疑っているようで気もそぞろといった様子である。そんな彼の肩を揺さぶり男は、


「ここまで付いて来たんだ、てめぇも手伝え!」


 男の視線の先では、TOIKIが横たわるワンダーラビットに近付いていくのが見えた。

 その表情は心なしか恍惚を感じて、歓喜に歪んでいるようにも見えた。


「TOIKIにあれを喰わせるな! 奴のマナが少なくなっている今がチャンスだ!」


 叫び、男は得物を握り締め、崖下へと身を投げ出した。



 男の背中が瞬く間に離れていく。

 彼が放った言葉は断片的で、その意味を十全に理解したとは言い難い。

 だが、目の前の光景と繋ぎ合わせて考えたら、


 ――人々を恐怖に陥れる存在を討つ好機、ということですか!


 ならば、ここで自分が二の足を踏む理由はない。


 全身に力を漲らせ、自分もまた宙へと身を踊らせる。

 重力に引かれ、身体が大地へと吸い込まれていく。

 ただし、ただ身を任せるのではなく、直ぐさま身を翻して足底で壁面を捉える。

 瞬間、全身をバネのように弾き、加速の力を加える。


 瞬く間に背後に置き去りとなっていく光景の中央、TOIKIが蛙としての舌を伸ばしてワンダーラビットを捕獲しようとし、男は目の前の獲物に意識を奪われて無防備となったTOIKIへと上段に構えた大剣を振り下ろそうとしている。

 だが、そのどれよりも速く、行動の結果をもたらしたのは己の行いだった。

 神速と謳われた剣速が、今まさにワンダーラビットに巻きつこうとした舌を切り裂き、先端が力無く地面に打ちつけられた。

 その後を追うように男の大剣が魔物の頭部に深々と切り傷を刻み付ける。


「ーーーーーーーー!!?」


 何が起きたのか分からないといったようにTOIKIが苦悶の叫びを上げる。


「……思った以上にやるじゃねぇか」


 巨躯をのたうつTOIKIから距離を取った男が横に並び、少しの悔しさが込められた賞賛を送ってくる。

 本来であればそれに対して礼を返すところではあるが、今はそんな悠長な状況ではない。


 憤怒の気配を纏わせたTOIKIがこちらを睥睨し、臨戦態勢を取ろうとしている。

 だが、青年は臆することなく一歩前へと踏み出す。


「不意打ちは騎士道に反するものだが、人々を脅かす存在を相手に騎士の道理を説くつもりはない」


 だが、戦いの場においてこれだけは告げねばならない。

 剣先を恐怖の象徴へと突きつけ、名乗りを上げる。


「西領諸国ソルベ法国が王、ワッフルに仕えし正騎士かぷこーん――我が信条に基づき、今ここで大いなる厄災を討ち果たさん!」

 お読みくださりありがとうございます! 


 少しでも気に入っていただけたり、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、ブックマークやリアクション、下のポイント★1からでも良いので、反応をいただけると作者のやる気に繋がりますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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