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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
99/104

空の夢 04

 進む先には何もない。後ろにも、何もない。


 それでも、彼女は砂の海を歩く。


 そうして、辿り着かねばならない場所を思う。



 ***



 大陸のおおよそ半分を占める砂原は、ある二つの地点を除いて緩やかな砂の起伏のみで構成されている。

 廃城の遥か上空に立ち、人ならざる男は左右で色の違う瞳を細めた。


 かつてこの地が砂に覆われていなかった頃のことを、彼は昨日のことのように覚えている。人間にとっては昔のことであろうとも、魔族である彼にとってはそれほどの時間しか経っていないのだ。


 ——それほどの時間しか、経っていないというのに。


「……くだらねぇ」


 零れ落ちた言葉は、思っていたよりも苦々しく響いた。続けて吐き出した溜息に苛立ちが混じる。

 美しい顔を歪めて、ヒューロオッドは黙り込む。しばらくそうして砂原を眺めていた男は、不意に表情を消して口を開いた。


 「何かあったか?」




 城の一角。重厚な両開きの扉で隔てられていたその廊下は今、従者たちの作り上げた結界で封鎖されている。

 その先にあるのは、一切先の見通せない暗闇だ。

 壁を黒で塗り潰したとしてもこうはならないだろうと思えるほどの、底のない穴のような濃密な闇。


「で? こいつはどういうことだ?」


 無表情に暗闇の廊下を眺めていた男は、自身を呼んだ従者に問いかける。従者はいつも通り目を閉じたまま、静かに首を振った。


 「お客様がそちらへ向かったことは確認しておりますが、それ以上は分かりかねます」

 「そいつは確定じゃねぇか」

 「確認の取れていないことに関して明言はできませんので」


 嘯く言葉を聞き流しながら、魔族の男はその場にかがみ込んだ。結界の一部は既に暗闇に侵食されており、無形の漆黒が隅からこちらへと滲んできているのが分かる。軽く結界をなぞった彼の指先は、まるでインクを染み込ませたかのように黒くなった。


「性質を失ったわけじゃねぇが……自我がねぇな。あの女が作った殼も機能してねぇ。今ここにあるのは、ただの魔力の塊だ」


 じわじわと指先から上がってくる黒を指ごと切り捨てて、ヒューロオッドは立ち上がる。まだ残っている指をぱちりと鳴らせば、再構成された結界はより強固に廊下を封鎖する。


「ま、自分からこうなったなら放っときゃそのうち戻るだろ。定期的に結界は張り直し続けろ。ここに近寄らねぇように他にも伝えとけ。自我を侵食されて死ぬからな」

「随意に」

 暗闇を隔てる結界の前から踵を返し、その場を後にする。

「もう一つ、確認すべき件があるのですが」

「あ?」

「迷い込んだ“猫”の処遇はどう致しましょうか」

 胡乱げな顔で振り返ったヒューロオッドは、珍しく笑みを浮かべている従者を見て肩をすくめる。

「好きにしろ。俺に近づけさせねぇなら何でもいい。あれの何がいいのかは全く理解できねぇがな」

「可愛らしいではありませんか。あれほど強い力を持ちながら、他者の心を理解できないゆえに決して貴方を手に入れられず、貴方のものになることもできず、そのことさえも理解できないまま空回っているのは」

「何で俺の周りには気狂いしか居ねぇんだよ……」

「私の創造主は貴方ですが」

「言ってろ馬鹿が」



 ***



「——ワズ?」

「あ」


 その声で名前を呼ばれて、青年は我に返った。


「どうした? ぼんやりとしていたようだったが」

「分からない」

「あまり気を抜くな。……お前にそうされると、私がどうすればいいのか分からない」


 ため息とともに、ぎこちなく草の上に腰を下ろす。そうして遠くに見える城を眺める少女の隣に、ワズも並んで座った。




 外に出ることを提案したのはワズだった。

 文献から顔を上げた少女が、胡乱げな表情で向かいに腰掛ける彼を見上げる。


「私は個人的な我儘で騒ぎを起こす気はないぞ」

「どうして騒ぎになる?」

「……王族とはそういうものだ」


 少女は窓の外に目をやる。よく晴れた空を映した瞳に、透き通るような青色が滲む。

 傍らでその横顔をじっと見ていた彼は、不意に頷いて立ち上がった。


「なら誰にも見つからなければいい」

「は?」

「転移すればすぐだ。術式は知ってる。ユーアならすぐできる」

「は?」




 城から離れたこの草原に人の気配はない。ただ時折、どこからか鳥の囀りが聞こえる。

 念の為にと被ってきたローブのフードを下ろし、少女は肩の力を抜いて目を閉じる。乾いた草の香りがする温い風が、その黒髪を揺らした。穏やかな陽射しが柔らかく二人に降り注いでいる。


「ユーア」

「……何だ」

「ユーアはあの城が嫌いか? 外に出て、旅をしたいか?」


 静かに開かれた瞼の下から白銀の瞳が現れる。

 しばらくそのまま黙り込んでいた少女は、やがてゆっくりと口を開いた。


「お前の知る私がどうして旅をしているのかは、私には分からない。だが私はこのまま逃げたいだとか、あの城に生まれなければよかっただとか、そのようなことを思ったことはない。私は私の国で、私の役目を全うしたい」

「……」

「お前のような存在にとっては理解ができないか?」

「……分からない。でも、ユーアがそうしたいのならそうするのがいいと思う」


 少し考えてからそう返せば、彼女は「そうか」と小さく笑った。


「? おれの言葉はおかしかったか?」

「いいや、ただ……お前は本当に、私の意思を全て肯定するんだなと思った。分かっているつもりだが、気が緩んで仕方がない」

「???」

「私の問題だ。お前は気にしなくていい。……ああ、そうだ。ある話をしてやる」


 立ち上がった少女が振り返る。その視線の先、大陸の中央にあるのは草原を侵食するように広がる白だ。


「お前の知りたがっていた竜と、かつてここにあった国——フェーデルシアに関する話だ」


 砂漠に沈みゆく、国であったものの残骸を眺めて、少女は語り始めた。



 ***



 かの国の興りについて、確かな記述はほとんど残っていない。

 何せ、この大陸のどの国と比較しても古い国だ。この大陸が出来た頃からあったのでは、という話が信憑性を帯びるほどにまで。

 ただ一つだけ伝わるのは、古い伝説のみ。

 そう、かの国がいかにして形作られたのかを伝える神話だ。


 かつてこの大陸は今よりもずっと小さく、人々は身を寄せ合って生きていた。しかし、度重なる災害に見舞われた人々は数を減らしていった。

 誰もが救いを求めていた。だが、誰かに救いの手を差し伸べられる余裕のある者など誰もいなかった。


 そしてある日、其れが現れた。


 まるで光が形を成したようなその雄大な姿。

 高い空を悠々と舞う姿に、人々は未知への恐怖もなくただただ見惚れる。

 やがて大地に降り立った其れ——竜は、人々の前で言った。


 望むのならば、力を与えよう。

 お前たちが、よりよい未来を選びとるための力を。


 そうして、人々は魔術という力を得た。

 竜の力とは異なるそれは決して万能な力ではない。

 だが、全てを諦めかけていた人々に希望を与えるには十分だった。


 停滞していた人々が少しずつ歩き出す。

 いつしかその中に指導者が現れ、指導者を支える者たちが現れる。白き竜に見守られながら、人々はやがて一つの国を興した。


 フェーデルシア。

 白き竜の名を冠した、魔術を中心とする大陸最古の国の始まりだった。


 指導者から王となった青年は、常に彼と共にあった白き竜へ伴侶となることを願った。それを受け入れた竜は、人間の女へと姿を変え王妃となった。


 始祖の魔術士である王と、人智を超えた力を持つ王妃。

 いくつかの困難も乗り越えて、ようやく穏やかな治世が始まると思われた矢先のことだった。


 内乱が起きた。

 王妃のその人とは思えぬほどの美貌と、竜としての力を手に入れんとした臣下によるものだった。それは王が王でなかった時に最も親しかった臣下だった。

 逆賊となった臣下を討つために動き出そうとする王を止めたのは、傍らにいた王妃だった。


 王妃は、竜は、彼女にとってずっと小さな人々が、力を合わせて何かを成し遂げていく様を見るのが好きだった。

 しかし己の存在がそれを妨げるのならば。

 再び竜の姿に戻った王妃は、王に己の力の一部を託して去った。

 そうして大陸を囲むように丸く横たわって、深い眠りについた。その体は大地に同化し、大陸の一部となったのだ。


 王妃を、人の争いを悲しんだ優しい竜を失った人々は悲嘆に暮れた。

 いつしか人々は、かの白き竜を信仰するようになった。善く生きなさい、幸せに過ごしなさい、人を愛しなさい——偉大なる竜がそれを望むのだから。


 竜の力を得た王は半身を失った悲痛に苦しみながらも、彼女の愛した国と民を守るために一人でも責務を全うしていく。一部と言えど竜の力をその身に宿した王の瞳は、白き竜と同じ色に染まっていた。

 王はいつか王妃が、愛する竜が戻ってくる日を待っていたが、彼女が戻ることは終ぞなかったという。



 ***



「——そうして何代にも亘って続いてきたフェーデルシアは、今から50年ほど前に滅んだ。あれほど長く続いてきた国でも、滅ぶ時には滅ぶということだろう」


 他人事のようにそう締めくくって、少女はまた草原へと腰を下ろした。

 傾きかけた空を黄金が染める。しばらく空を見上げていた少女は、黙り込んだままの彼に目をやった。


「何か聞きたいことがあれば聞くといい。私が答えられることなら答えてやる」

「……分からないことが、たくさんある。でも、」


 そう顔を上げた青年は、眉間に皺を寄せている。


「ユーア、この話はみんなが知ってることか?」

「昔であればまだしも、今は知っている者は多くないだろう。私がした話も、城にあった資料と遠見で得た過去の情報を継ぎ合わせている。それがどうした?」


 怪訝そうな彼女の返答に、より深く考え込んだワズは口を開く。



「なら——どうしておれは、これを知ってた……?」



 数瞬おいて、空と同じように金色に染まった瞳が見開かれる。


「……どういう意味だ?」

「ユーアから今聞いた話を、おれは知ってた」

「以前誰かに聞いていたということではないのか?」

「聞いてない。おれは一度聞いたことも見たことも忘れない。全部覚えてる。でも、その中にこれはない。なのにおれは知ってた。おれの中にずっとあった。そのことを、おれは今知った」

「それは……」


 話が途切れ、二人の間に沈黙が流れる。

 それぞれが次に口にする内容を考えつく前に、その静寂は破られた。



「——姉上!」



 振り返れば、城が見える方向から誰かが走ってくる。

 それは一人の少年だった。正装に身を包んでいるものの、ひどく急いで来たのか服も髪も乱れている。

 目の前までやって来たところで、金髪の少年は立ち止まって膝に両手をつく。しばらくそうして乱れた息を整えていた少年は、ややあって身を起こし、ワズを一瞥することさえなく座ったままの少女の手を掴んだ。


「姉上、どうしてこんなところに居るんですか! 城の者たちが探していました。早く帰りましょう!」

「……」


 ぐいぐいと手を引かれ、溜息をついた黒髪の少女は面倒そうに立ち上がる。そのまま歩いていく二人に着いて行こうとしたところで、振り返った少女と目が合う。


 長くなる。先に戻っていろ。


 恐ろしく耳のいい彼にはその囁き声が聞き取れた。それだけ言い残して前を向いた少女の背中は、ワズが立っている場所からどんどんと遠のいていく。


 その背中が記憶に新しい別れと重なって、彼はぎゅっと目を瞑る。


 ——あの時とは違う。ただ一時的に離れただけだ。

 ——本当に?


「……………………」


 ゆっくりと瞼の下から現れた漆黒の瞳が、随分と小さくなった背を見つめる。しばらくそうしていた彼の姿は、ふ、と夕闇に消えた。

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