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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
93/104

背離 09

投稿するにあたって、この話を全体的に改稿しました。

内容は変わっていませんが細かいところに修正が入っています。

 静かに椅子に鎮座した、今にそのまま息を引き取りそうにさえ見える老人。毛足の長い敷物に突き立てるようにした杖に枯れ木のような手を添え、交わされる議論に静かに耳を傾けていた。


「父上! いつまで奴らをのさばらせておくのですか!」


 机を拳で叩いていきり立つのは、成人になるどうかというほどの若い男。軍服に身を包んだ身体は大柄で、その腰に佩いた剣はよく使い古されている。


「落ち着け。私とて、奴らを放置する気などない」


 父上と呼ばれた壮年の男がため息混じりに答える。茶色の髪には白が混じり、その心労を物語る。

 その返答に眦を吊り上げたのは若い女だ。一般的な令嬢程度に装飾のあるドレスに身を包み、落ち着かない様子で首のペンダントを指先でなぞりながら口を開く。


「放置しているも同然でしょう。商人の間では噂も広がりつつある様です。我々がこの都市を統制出来ていないと判断されれば……!」

「二人とも、声を抑えなさい。いくらこの部屋に音を漏らさない仕組みがあるとはいえ、そう興奮していては安心して話ができませんよ」


 ため息をついて窘めるのは小柄な老女だ。まるで平民のような質素な服に身を包んでいるが、ただの市井の老女ではないことは纏う雰囲気で分かる。

 軍服の男、白髪混じりの壮年の男、ドレスの女、小柄な老女、そして杖を持つ老人。机を囲む椅子にはまだ空席があるが、窓のないこの奥まった小部屋にいるのはこれで全員だった。


「いっそ、奴らをまとめて逮捕してしまえばいいのです。罪状など調べていけばいくらでも改竄できるでしょう。余罪などいくらでも出てくるはずだ」


 苛立ちを押し殺した軍服の男の言葉に、瞠目していた老人は瞼を上げた。


「ならぬ」


 その老いた体から出たとは思えない厳然たる声に、四人の視線が向く。


「……大伯父上」

「目的を失ってはならぬ。心得よ。我々の役目は、この都市の平穏を維持すること。不穏分子を排除するたびに平穏を乱していては、いずれ最悪の事態が起きるだろう」


 軽く持ち上げられて振り下ろされた杖が、骨に響くような鈍い音を響かせる。


「魔神の加護が消えれば、我らに待つは滅びのみ。努努、忘れてはならぬぞ」


 そこまで言って老人は沈黙する。しばらく待ち、老人の言葉が終わったことを確かめてから、彼らは互いへと向き直る。


「……では改めて、今後の話をするか」




「必要ないよ」




 居るはずのない六人目の声に、空気が凍りついた。

 一瞬で額に汗を滲ませた壮年の男がゆっくりと横を見れば、空席だった椅子にはいつの間にか少女が座っている。


 薄らと光を放っているようにさえ見える純白の長い髪が、椅子から零れ落ちて無造作に絨毯へ広がる。気だるげに瞼を上げた彼女は、その金の瞳で人間たちを一瞥した。


「……エドウィン様」


 杖から手を離した老人が床に片膝をつく。そのまま深々と頭を下げ、口を開いた。


「ご尊顔を拝見でき、光栄の至りにございます。我々は今、魔神信者を自称し奇妙な動きをしている集団への対処について話しておりました。先程のお言葉は、それが不要になったという意味でございましょうか」

「うん。さっき全部終わったから」


 あっさりと、まるで些事を済ませたかのような口振りで人ならざる少女は肯定した。老人に倣って跪いていた者たちが、その言葉に思わず息を呑む。誰かが「ありえない」と小さく呟き、金色の目が細められた。


「わたしを疑うんだ」

「滅相もございません。御身自ら動かれたことはここ五十年ほどなかったこと。それは人の身にあっては永い時でございます。恐れ多くも、貴女様のお力を知らぬ者が現れるほどに」

「そう。あと、その魔神信仰がどうとかの場所、わたしが迷宮化させたから」

「ッ、何だと!」


 思わずといった様子で立ち上がった軍服の男が、椅子に尊大に腰掛ける少女を睨んで声を上げる。


 ——迷宮化。それは、長期間人が立ち入らずに放置された迷宮に発生する現象だ。魔術の知識に乏しい北部において詳しいことは解明されていないが、放置された迷宮は出入口から周囲を侵食するのだ。そうして侵食された土地は、迷宮内と同じように前ぶれなく魔物が現れるようになる。


「……へー、不満なんだ。お前たちがいつまて経っても何もしないから、わたしがこの手で解決してあげたのに」

「っ、だが迷宮化など!」

「やめんか!」


 さらに吠えようとした軍服の男の頭を掴んで下げさせながら、壮年の男は深く頭を下げる。


「倅の非礼をお詫び申し上げます」

「ふーん。それで——いつになったらその手を退けるの? お前の手ごとその男を叩き潰せばいいの?」


 こくり、と少女の姿をしたそれが首を傾げる。

 凍りついた空気の中、老人が両手を絨毯について頭を下げた。


「どうか……責はこの老いぼれめに取らせて頂けませぬか。貴女様にとって100年も200年も変わらぬというのならば、我々の命は同列でございましょう」

「人間は責任って言葉が好きだよね。でもそういう話じゃないよ。ただ単に、その煩い生き物がこれからも存在してることが不快なんだ。だから殺す。理解出来たかな」


 その言葉に殺意を感じないことが、何よりも恐ろしい。

 交わされる言葉を呆然と聞きながら、彼らは理解する。



 これは罰などではない。駆除だ。



 家畜を襲った肉食獣に罰金を課したところで、効果はあるだろうか。畑の作物についた虫に法律を教えたところで、何の意味があるだろうか。

 罰とは、それを理解できるだけの知性がない相手には役に立たない。つまるところ——自分たちは知性のある存在と見なされていない。


 唐突に、思い出す。

 この都市に魔女を名乗る魔術士が現れ、激しい弾圧が起きた頃の歴史。詳しい情報は既に闇に葬られ、魔神の力によって収束したと曖昧にされている混乱の真実を、この街を統べる一族である彼らは知っている。

 魔神によって収められたというのは嘘ではない。



 魔神は——騒ぎを起こしていた者を皆殺しにすることで騒ぎの沈静化を図ったのだ。



 結果として、都市の人口は一夜にして二割まで減った。もしも西部の魔女の介入がなければ、その二割さえも生き残ることができなかっただろう。


 はあ、と溜息をついた魔神が椅子から立ち上がった。


「面倒臭いね。面倒臭い。——もう全部殺そうか」


 少女の姿をした存在がそう呟いた瞬間、底冷えするような暗闇が部屋を包み込む。


 視界一面の漆黒の中、当代領主である壮年の男は近くにいる人間を手探りに引き寄せる。悪足掻きと知りつつも必死に覆いかぶさり——そこでふと、未だ己が生きていることに疑問を抱いた。

 そっと振り返れば、濃密な暗闇の中でさえはっきりと見える魔神がいる。無表情のままにただ沈黙していた魔神は、小さく肩を竦めて口を開く。


「気が変わった」


 暗闇が晴れていき、部屋に元の明るさが戻ってくる。固まっている男女とそれを庇うように立つ老人を興味なさげに眺め、不意に指を鳴らした。


「面倒臭いし、もうこれでいいよ」


 ごふ、と血を吐き出したのは軍服の男だ。喉を押さえて苦しげに身体を折る姿を後目に、魔神は踵を返す。足にまとわりつく暗闇を鬱陶しげに吹き飛ばし、その小柄な姿は何の前触れもなく消え去った。


「っ容態は!」

「喉が内側から裂けています。出血の程度を見るに命に関わるものではなさそうですが、ひとまず一度連れて行きます」

「私も行きます」

「ええ、頼もうとしていました。着いてきなさい」


 冷静に怪我を診ていた老女がてきぱきと軍服の男を連れて行き、ドレスの女がそれに続く。

 静寂の戻った部屋で、領主の男は己の拳を机に叩きつけた。


「っ……あんなものが……あんなものが、神であるものか!!」

「それでも——神だ」


 炎のような感情を孕んだ声に答えるのは、低く静かな呟きだ。


「神でなくなる時とは、すなわちこの都市が滅ぶ時だ。そのようなことは決して許されぬ」


 椅子に腰を下ろした老人が静かに続ける。男よりもずっと長い時を領主として過ごしてきた老人を見下ろして、男は壊れたように嗤った。


「ならば我々は、さしずめ神への生贄ですか」


 老人は何も答えない。

 もう一度強く拳を机に叩きつけて、男はやるせなさに目を閉じた。



***



 薄い日差しの下、都市は彼が訪れた日と何も変わらず回っていた。

 人々は急ぎ足に去っていき、衛兵たちはその様子に逐一目を光らせている。今までと、そして恐らくはこれからも何も変わらない景色の中を、二人の旅人が歩いていく。



「ユーア」



 雑踏の中を歩きながら、ワズは呼び慣れたその名前を呼んだ。

 少し前を歩いていた少女が振り返り、彼の顔を見上げる。


「何だ」

「おれは、やっぱりユーアが死ぬのは嫌だ」


 ずっと沈黙を保ち続けていた青年の久方ぶりの言葉に、少女は特別驚く素振りもなく、ごく自然に「そうか」と答える。


 そうして魔女は、いつも通りに続けた。




「なら、お前との旅はここで終わりだ」



9話はここで終わりです。閑話書くかは考え中です。

10話は年度中に更新できればいいなと思っています。

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