背離 06
表情のない魔女の石像と対峙しながら、ワズは考えを巡らせていた。
石像を破壊するのは、きっとそう難しくない。己の人の姿が一時的に壊れることに目を瞑れば、彼は容易にこの石像を原型が分からないほどに破壊できるだろう。
だが彼女の今の目的が分からない以上、ここで破壊してしまえばその手がかりが失われてしまう。そのことがワズを躊躇わせていた。
「っ、」
全身を使って振るわれた槍を剣で受け止める。
その体が石でできている分、一撃一撃にかかる重さは尋常のものではない。だが、それ以上に尋常ではない力を持つワズにとっては問題にならない。
ぐっと槍を押し返すと同時に、彼も後ろへと飛び退いて距離をとる。
一瞬だけ耳を澄ますように目を閉じた彼は、やはり何も感じ取れなかったことに眉を下げた。
あの屋敷の前で別れてからずっと、ユーアがどこに居るのかが掴めずにいる。本来なら、この都市の中程度ならばどこに居るのかまで分かる。それ以上離れていても方角くらいなら何となく分かる。だというのに、今は全くもって何も分からないのだ。
——彼女は、一体何をしようとしているのだろう。
思考の隙間を縫うように放たれた突きが、咄嗟に体を傾けて回避した青年の首元を掠めていく。
彼の上着の襟についていた銀色の紋章が、槍先に弾き飛ばされた。
「……あ」
目を見開いて動きを止めた青年に、少女の姿をしたそれが容赦をすることはない。
一度引いた槍先が彼の腹を貫く。
突き刺さった槍はそのままに、魔女の石像は床から新たな槍を生成してその手に握る。
二本目の槍は明後日の方向を見ている青年の頭へと向けられ——
ぐしゃり、と。
上から振り下ろされたワズの剣が、石像を粉砕した。
床に散らばる破片に見向きもせず、彼の視線はただひたすらに部屋の奥へと注がれる。
白い魔族と盲目の男が戦いを繰り広げている、さらに奥。のっぺりとした一面の白い壁の、その向こう側。
「……ユーア……?」
一歩踏み出した彼の鋭過ぎる感覚が、覚えのある鉄臭さを感じ取る。
その意味を理解したとき、目の前が赤く染まった。
***
——魔術刻印。
魔族や高位の魔物が他の対象に刻み込むもので、殆どの場合それは所有印を意味する。そして刻み込まれた存在が生物であれば、魔力の色が出やすい髪や瞳にその色が混じるようになるのだ。
混ざり込んだ異なる魔力が及ぼす影響は千差万別だ。身体能力や魔力が爆発的に増加する例もあれば、精神を冒されて気が狂う例や毒のように身体を蝕まれて死に至る例もある。
その影響の不安定さに加え、かけてきた相手を殺すことで影響を消し去ることができるという性質からも、魔術刻印は得てしてこう呼ばれることが多い——呪印、と。
「……やはり貴様か」
顔を上げるも、視線は交わらない。それは紛れもなく、男の瞳に視力がないことを意味していた。
「なんだ、気づいてたんだ。お前のことだから迷宮に乗り込んでくると思ってたのに、来ないんだもん。引きこもって感覚が衰えたのかと」
「貴様がどのようなつもりであろうが、貴様の所有物になった覚えなどない。たかが瞳の色が変わった程度で、俺が主を変えるとでも思ったのか」
「……ふーん?」
嘲る言葉に片眉を上げたエドウィンは、不意に後方に転移した。
「だが——この上なく腹立たしい」
白い髪が数本落ちる。
相手の回避がほんの一瞬でも遅ければその身に届くはずだった剣を握り直し、男は無表情に続ける。
「魔族の所有物など虫酸が走る。巫山戯たことを抜かす貴様も憎たらしい。故に殺す」
「……やってみれば?」
床に広がっている髪がぞわりと蠢き、その背後に金色の剣が五本浮かび上がった。
二本の剣が放たれるのを合図に、男は前へと踏み込む。
右から迫る一振りを斬り捨て、背後に回った一振りを顧みることもせずに弾き飛ばす。
後ろへと飛ばされていった刃はそのままに、男がさらに少女へと距離を詰める。
残りの三本を足止めに放ち、新たな術式を展開しつつエドウィンは剣の届かぬ高さへと飛び上がった。
——剣士と魔術士の戦いは、後者の実力が一定以上になると否応なしに魔術士へと軍配が上がる。
何故か。
魔術士にとっての『一定』とは、空を飛べるか否かにかかっているからだ。結局のところ、剣士と魔術士との戦いではどこまでそれぞれが有利な距離を維持できるかが重要となってくる。人間は空を飛ぶことができない。魔術士が剣が届かない上空に位置取れば、どれだけ剣の才能があろうとも剣士が不利を覆すことは極めて難しくなる。
では。
「——、」
魔術の才能を持つ剣士であれば、どうだろうか。
エドウィンが小さく息を呑む音を、男はその背後で聞いた。
振り向こうとする小柄な背中へと一息に剣を振り抜く。
割り込むように展開された防御結界に勢いを減じ、されど止まりきらない刃がその片腕を斬り飛ばした。
直後、予備動作なく発生した衝撃波に吹き飛ばされる。
剣の腹で衝撃を受け止めた男は、虚空を蹴りつつ危なげなく床へと着地する。
「やってくれるね。剣の攻撃を受けたのは初めてだ」
漏れ出る魔力で揺らぐ己の肩口を見て、エドウィンが笑った。
短距離転移。たった二、三歩ほどの距離を移動するだけの、間にある障害物を越えることさえできないごく初歩的な転移魔術。だがそのわずかな移動距離が、戦いにおいて膨大な選択肢を生み出す。
「うん……うん決めた。やっぱりわたしはお前が欲しい」
独り言を呟くその足元から、術式が現れる。棘の生えた蔦によく似た金色の紋様が、広大な空間へと広がっていく。
「……」
術式の一部を斬り捨て、それがすぐに再生していくのを見ながら男は沈黙する。
実のところ、男に魔術の才能と呼べるものはほぼない。魔力こそあれど、術式の構築に関して壊滅的に才がないからだ。術式をざっくりと読み解く最低限の知識はあるが、転移の他にできるのはただ剣に己の魔力を纏わせ魔術を斬ること程度。そしてそのような方法も、剣では壊しきれない大規模な魔術には通じない。
「……」
二択だ。術式が完成する前に一刻も早くこの場を去るか、術者である魔族を殺すか。
——迷うまでもあるまい。
「お前ならそうすると思ったよ」
一歩前へと踏み出した男に魔族は笑う。先程までとは明らかに纏う魔力の質が違う。ここからが本番ということだ。
「魔族が都市に齎す被害を静観はできぬ」
「この都市のことなんて何とも思ってないくせに。お前にとって大事なのは、あの結界で囲われた屋敷だけでしょ」
「……やはり、貴様のようなものに人の心は解せぬようだな。だが別によい。貴様のことなどこの上なくどうでもよい」
「ふーん、普通に腹立つね」
少女の周囲に術式が現れる。その数と密度は先程までの比ではない。まるで照りつける日差しの下のように、膨大な魔力に景色が揺らいでいる。
その右手が持ち上がり、こちらへと向けられる。
一斉に輝き出す術式の光の中、男は地面を蹴り——
「——ユーアぁっ!!」
「……はっ?」
無数のガラスが一斉に砕け散るような音と共に、空間を包んでいた術式が粉々になる。降り注ぐ金色の破片の下、エドウィンが思わずといった様子で声を洩らして振り返った。
部屋の最奥の白い壁に、巨大な亀裂が入っている。
その中心で青年が壁にめり込んだ拳を引き抜けば、さらに亀裂は広がった。
「ちょっと……何して、」
困惑と呆れの混じった言葉が止まる。
自身の胸元を見下ろした魔族は、そこから突き出た刃を視認する。
ぱきり、とその頬にひびが走った。
「……ああもう、締まらないな」
そうぼやいて肩を竦めれば、一気にひび割れの広がった少女の体はそのまま無数の破片となって崩れ去った。




