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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
89/112

背離 05

「こんにちは」


 主なき剣が主を得ても、男のすることは変わらなかった。


 ただ、斬る。

 己が身は剣を振るうため、ただそれだけにある。


「ふふ、初めまして、ね」



 だから、その女を前にして剣を抜くのも男にとって当然のことだった。



「やめろ」

「……」


 傍らの主の一声で、男は剣を下ろす。それでも納めることはしない男に小さく息を吐いて、主は変わらず笑みを浮かべている女を見る。


「何故ここに?」

「わたくしがあなたに声をかけるのに理由が必要?」

「今は立て込んでいる。戯れるのなら後にしろ」


 素っ気なく返し、主は女の横を通り過ぎていく。その後ろに追従しつつも、微笑む女の気配がずっと遠くへと離れるまで剣を鞘に納める気にはならなかった。




「お前の直感は、あれを敵とみなしたか」


 先を行く主が呟くように言う。


「だが、死にたくなければあれに手を出すのはやめておけ」

「……あの者は」


 男の問いかけに、主は振り向かずに小さく息を吐いた。


「あれは——この大陸において最も優れた魔術士だ」



***



「……ふぁ」


 床から隆起した椅子に腰を下ろし、エドウィンはのんびりと欠伸をした。一見すれば、まるで穏やかな昼下がりの時間に微睡んでいるかのようだが、眠たげな金色の瞳には眼前の乱戦が映っている。


 戦いはほぼ一方的だ。二人の剣士によって、石の軍勢は蹂躙されていく。そう長くないうちに全滅するだろう。だが、彼女に焦りは見えない。ざっと広間を見渡した彼女の視線は、やがて一人の男を注視する。


 業火斬り。


 ほんの300と何十年か前、とある魔族を殺した男。


 魔族殺しに前例がないわけではないが、人間の中で語り継がれているものはその九割が偽りだ。全てがただの嘘だったり、言葉を話す魔物を魔族と思い込んでいたり、魔族が依代として作った体を殺しただけで魔族を殺したと喧伝したり——どうやら、人間という生き物の大半にとって魔族殺しは一種の名誉らしい。全くもって下らない。


 魔族にとって、存在していた年月とはすなわち力の強さを示す。現存する魔族でも上位にあたるエドウィンから見れば、人間の殆どが塵芥に等しい。

 だからこそ、興味を抱いたのだ。矮小なただの人間が、どうして中位程度とはいえ魔族を殺すことができたのか、と。


「わ、危ない」

「……」


 椅子に突き刺さった剣を引き抜いて、男は無言で魔族を見る。重さを感じさせぬ動きで飛び退いたエドウィンは、後ろへと距離をとって両目を覆った男を見つめる。


「俺を殺すのではなかったか」

「そうだね。でも、わたしは自分のことをよく分かってるつもり。お前とそれを同時に相手にはしたくない」

「ならば、」

「だから——」


 男の言葉を遮って、エドウィンは続けた。



「——ね、手伝ってよ」



 耳元でため息が聞こえた。


 こつり。


 まるで最初からずっと居たかのように、彼女の背から何かが歩み出てくる。エドウィンの傍らに並んだ『それ』に、盲目の男が渋面を浮かべたのがわかった。


 『それ』が下へと手を翳せば、応じるように変形した床からバキバキと音を立てて一本の槍が生成される。ざらついた手で握り、重さを確かめるように軽く振る。


 青年の姿をした人外が、呆然と口を開く。


「ユー……ア?」


 魔女の石像は、沈黙のままに一歩足を踏み出した。



***



 とん、と軽く床を蹴った少女の体が勢いよく加速する。


「——っ!?」


 躊躇いなくそのまま突き出された穂先を回避し、ワズは後ろに飛び退いた。もし遅れていれば、以前のように頭を貫かれていただろう。


「ユーア……」


 重さを感じさせない動きで着地した石像は、呼び掛けに答えることはない。身長よりも長い槍をくるりと回し、表情を変えぬまま歩いてくる。


 再び放たれた突き。


 頭を狙った穂先を今度は片手で掴み取って引いた。

 刃が掌に食い込むが、この程度であれはワズの皮膚が傷つくことはない。

 握った武器を引っ張られた石像が意図せずこちらへと飛び込んでくる。


 どうにか拘束しようと小柄な身体を引き寄せたワズは、相手が空中で身を翻したのに気づく。


「な——」


 頭ではなく足から彼の許へ飛び込んできたそれが、勢いを利用して蹴りを放つ。

 腹へと叩き込まれた鋭い一撃は、凄まじい音と共にワズの体を吹き飛ばした。


 靴底を削りながら着地したワズは顔を上げ、近づいてくる石像をじっと観察する。


 肉体から服に至るまで床と同じ素材の白い石で形作られているその姿は、紛れもなく彼のよく知る少女と同一のものだ。それはすなわち、ユーアの姿が情報として術式に組み込まれていることを意味する。顔を合わせるなり殺し合いを始めかけていたユーアが、自分の姿を魔族に利用されることを許すだろうか。


 そして、先程触れた際に感じた魔力が彼の推測に確信をもたらす。


「——ユーア、どうして魔族に協力してる……?」


 表情のない石像は、彼の言葉に答えることなく静かに槍先を向けた。



***



「魔女って面白いね。わたしには全然理解できないや」


 離れた場所で対峙している魔女の石像と青年を眺めながら、少女の姿をした魔族はぼやく。ざっと己の剣の状態を確認していた男は、一瞬だけ湧き上がりかけた感情を押し殺して口を開いた。


「あの方を、そのような名で呼ぶな」


 低い声に振り向いた魔族は、意味の分からないものを見るような目を向ける。


「へんなの。魔女って名乗ってるのは彼女自身なのに、どうして否定するの?」

「魔女など……所詮、ただの肩書きに過ぎぬ」

「その肩書きに執着するものでしょ、人間って」


 わたしにはよく分からないけど、と付け加えつつその爪先が軽く床を踏み鳴らした。


「っ、」


 足元の床が勢いよく跳ね上がり、男の体が宙を舞う。

 空中で態勢を整えた彼は、眼下の少女がその長い髪を蠢かせているのを見た。


「ほら、死んじゃうよ?」


 ぎちり、と螺旋状に圧縮された白い髪束は一抱えほどの杭になる。当たれば風穴どころか内臓が丸ごと無くなるだろう。


 殺意の籠った質量が容赦なく迫る中、男は一つ息を吐いて剣を水平にした。



「笑止」


 一閃。



 撫でるような刃に術式ごと刻まれ、髪束が勢いを失う。

 落下していく彼の視線の先には、僅かに口角を上げた少女の姿がある。


「いいね、悪くない」

「……戯言を」


 にまりと細まった金色の瞳から魔力が散る。

 二人の間に割り込むように組み上がった術式が輝き、男を包囲するように無数の氷の槍を作り上げる。


 退路どころか動きそのものを塞がれた彼は、しかし冷静に剣を振り下ろす。

 その刃が術式を斬り裂けば、氷の槍は浮力を失って落ちていく。


 術式を囮に距離を取ったエドウィンが見たのは、床に落ちる前に受け止めた槍の一本を片手に振りかぶる男の姿だ。


「っ、」


 床が変形して壁を形作るのと、恐るべき膂力で投げられた槍が壁に当たって粉々に砕け散るのが同時だった。


 きらきらと氷の欠片が散る中、投げた槍を追いかけるように男は前へと踏み込む。

 左から壁を迂回し、その裏側——ではなく斜め後ろへと転移した少女が放った火球を壁で防ぐ。

 派手な音とともに弾けた壁の破片がこめかみと、その目を覆っていたぼろ布を浅く切り裂く。


 砂となって崩れ消える壁の向こう、煩わしげに布を取り払った男の目元を見て、魔族はその容姿に似合わぬ恍惚とした笑みを浮かべた。


「ああ本当に、こんなに綺麗に染まるなんて思わなかったな」


 薄らと開いた瞼から覗く瞳は、左右で全く異なる。


 どこを見ているともいえない、暗い茶色の右目。

 そして金色の——目の前の魔族のそれによく似た——左目。

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