背離 03
斬って、斬って、斬って、斬った。
荒くれの一味を斬った。盗賊を斬った。商人を斬った。森を進むのに邪魔な魔物を斬った。街になだれ込んできた魔物を斬った。暗殺者を斬った。街の住人を斬った。貴族を斬った。山を越えるのに邪魔な魔物を斬った。女とその子供を斬った。男を二人斬った。衛兵を斬った。神を妄信する者たちを斬った。賞金稼ぎを斬った。砂地を越えるのに邪魔な魔物を斬った。同類を斬った。
剣に意思など要らぬ。それは剣を振るう己が身も同一である。雑念など太刀筋を鈍らせるだけのこと。ゆえに男は剣以外の全てを捨てた。
ひたすらに斬って、斬って、斬って、斬って、斬って。
そしてついに男の剣は、そこに在らざるものさえも斬った。
***
人混みの中で、ワズはその大きな門を見上げていた。
白い石造りの柱には棘の生えた蔦の紋様が施され、それ自体が僅かな光を放っている。薄らとした魔力の流れを辿れば、地中に広がっている広大な建造物——迷宮を感じ取ることができた。
迷宮前の広場は人々で溢れている。広場にいるのは武器を持っている者だけではない。迷宮に出入りする冒険者とそれを見張る衛兵、そして簡易的な店を開いて声を張り上げている人々がいる。売っているのは食べ物や医療品がほとんどだが、武器の簡単な修理や刃の研ぎ直しを請け負っている者もいるようだ。
ただの市場とは違う、緊張感と物々しさがうっすらと漂う活気の中。マントを羽織ってフードを深く被ったワズは、あらゆるものに好奇心を刺激されつつじっとそこに座っていた。ワズが後ろをついてきたあの男はいない。「入るな」と一言残していった男がまた出てくるのを待っている彼は、まるで店の番犬のようだった。
「——お、じいさんじゃん」
不意に聞こえた声にワズは顔を上げる。そこに立っていた少年は、フードの下の彼の顔を見て怪訝そうに片眉を上げた。
「お前誰だ? そのマント、じいさんのだろ?」
「おれはワズだ」
「いや知らねぇけど……」
冒険者らしき装いで肩に弓をかけている少年は、立ち上がったワズを上から下までまじまじと観察してぽんと手を叩いた。
「ああわかった。お前あれだろ、南の門で騒ぎ起こしてた旅人。変な奴が来たって衛兵が騒いでんの聞いたな」
「おれは変なのか?」
「少なくとも普通じゃねぇだろ。——なあお前、本当に人間か?」
呆れたような言葉に続いた耳元での囁きに、ワズは思わず目を見開く。
「どうして、」
「何の用だ」
問いかけは後ろからかけられた鋭い声に遮られた。振り返れば、店から出てきた男がこちらへと歩いてきている。
「驚いたな。本当にあんたの知り合いなんだ」
「何の用だと聞いている」
平坦な声に感情は無い。しかし、ひゅうと口笛を鳴らして少年は大袈裟に両手を上げる。
「おお怖。そう怒んなくてもいいだろ? 引きこもりのあんたが好きそうな情報をまた持ってきたってのに」
「必要ない」
「まあまあそう言わずに。これも恩返しってやつさ」
頑なな態度にも動じずにへらりと笑った少年は、人のいない近くの路地を後ろ手に示した。
「最近、迷宮での行方不明者が明らかに多いんだ」
薄汚れた樽の上に腰掛けて、冒険者の少年はそう切り出した。地面に座り込んだワズは、眉間に皺を寄せたその表情を見上げて首を傾げる。
「冒険者が消息不明になるのは珍しくないって前に聞いた」
「明らかって言ったろ。確かにここの迷宮でも行方不明になる奴はいる。でも、こんなに頻度が高いことはありえない。異常が起きてるって考えんのが当然だろ」
「迷宮がおかしくなった?」
「冒険者本部からそんな通知は来てないし、潜っててそう感じたこともねぇ。そもそも、ここの迷宮ってのはとにかく変化がないことが特徴だ。ただひたすらにだだっ広くて迷いやすくて……いや、んなこたいい。重要なのは、原因が魔神でも迷宮でもないってことだ」
大きなため息をついた少年は、くしゃりと己の髪を掻き上げてうんざりとした声色で続ける。
「居なくなった奴らについて聞き込みをした。多少の誤差はあるが、だいたい一週間くらい前から様子がおかしかったらしい。ぼんやりしていて反応が遅い。表情がない。そしてふらっと一人で迷宮に潜ってそのままどこかへ消えた。つまり——」
「精神操作か」
少年の言葉を遮るように、底冷えするような低い声が路地裏に響く。壁に寄りかかって沈黙を守っていた男は、「下らん」と零して剣の柄に手を乗せた。
「精神操作は悪いことなのか?」
「当たり前だろ。人を人と思っちゃいない最悪の魔術だ。強いものなら廃人になる可能性だってある。一度めちゃくちゃになった精神は、もう元に戻ることはねぇんだよ」
「そう……なのか」
吐き捨てるような少年の言葉にワズは考え込む。それを気に留めず、樽から降りた彼は懐から折り畳んだ紙を取り出して男に手渡した。
「ここが奴らの拠点だ。魔神関係の宗教組織らしいけど詳しいとこは知らねぇ。知りたくもねぇ。それから、もしあんたが乗り込むつもりならせめて日付が変わってからにしてくれ。俺はその前にこの街を出る」
「街を、か」
「衛兵の取り締まりを逃れてここまで規模が大きくなった件は、ここ数十年でも殆どない。冒険者本部も調査してるし、近々領主が出張ってくるかもしれない。昔のことを知ってる奴は皆、もう街を出たよ」
少年が手首につけていた腕輪をカチリと捻ると、表通りの喧騒が戻ってきた。自らが隠し持つ魔道具の遮音の結界を解き、冒険者の少年は背を向ける。
「……あんたが実際どこまでやれるのか知らないけど、くれぐれも無理はしないでくれ。最近知らない魔術士が街に入ってきたって噂も聞いたし、知り合いが死ぬのは御免だ」
振り返らずにそう言い残し、去っていった。
***
大きな石造りの空間は、ひどくがらんとして薄汚れていた。まるで爆発でもあったかのように吹き飛んだ調度品は、ここが元々どう使われていたのかを推測させることすら許さない。
部屋の最奥。舞台のように一段高くなっているそこで、黒髪の少女は目を閉じていた。
床へと座り込んでいる彼女の前にあるのは、棘を持つ蔦の紋様がぐるりと刻まれた水盆だ。横から見ればさほど深くないように見えるが、上から見た水面は光を吸い込むような漆黒をしている。何かをそこへ投げ入れたらどこまでも深く落ちていき、二度と取り戻せないことを見る者に想起させるような、暗く深い水の色だ。
「驚いた」
どこからともなく響いたその声に、ただ静かに水盆へと両手を翳していた彼女の瞼が上がる。
「まだやってる」
虚空に現れた少女は、ユーアを見下ろして首を傾げた。
「わたしが知らなかっただけで、魔女ってみんな死にたがりなの?」
「自らの命と目的を天秤にかけ、後者を取っただけのことだろう」
「ふーん。で、やるの?」
「ああ」
主語のない問いかけに彼女は即答する。魔族は僅かに瞠目し、そして小さく笑った。
「いいよ。乗ってあげる」
とん、と石造りの床へと降り立ったエドウィンが呟く。その足元から広がっていく魔力が、煤けた床を白く浸食していく。再び目を閉じかけたところで、「ねぇ」と声がかかった。
「何だ」
「わたしを殺しに来た相手を殺すなら、悪いのはわたしじゃないよね?」
こちらを覗き込む顔は眠たげで気だるげだが、声にはうっすらと喜色が滲んでいる。ちらりと目をやったユーアは、何も言わずにただ溜息をついた。




