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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
86/104

背離 02

 剣を振るう。

 それだけが、男の人生の価値だった。


 そのための理由も、行き着く結果にも興味はない。ただ振るわれた剣が斬るものを斬り、斬らぬものを斬らぬのであればそれでよい。

 いつかは、そんなことも立ち行かなくなることを男は理解していた。だが、それが何だというのか。


 剣と共に生き、剣と共に死ぬ。

 それは偽りなく、男にとっての本望であった。



***



「——やはり、死なぬか」


 剣の柄を握ったまま、その男はぽつりと呟いた。


 真っ先に目につくのは、その両目を覆うように巻かれたぼろ布だ。内側がどうなっているのかは定かではない。一体どれほど着ていればそうなるのか、みすぼらしく裾や袖口が擦り切れた服に身を包んでいる。くすんだ灰の髪には白髪が混じり、邪魔にならなければそれでいいという程度にだけ整えられていた。


 目が隠れているにも関わらず、男は危うい様子もなく彼の前へとやってくる。地面に座り込み、崩れかけた壁に寄りかかるように倒れていた青年は、無事な方の目を丸くして男を見上げた。


「なん、」

「死なぬならば、幾度でも殺すまで」


 遮るように呟き、剣を握る男の手が持ち上がる。


 次の瞬間、青年へと容赦なくその剣が振り下ろされた。

 音が消え、次の瞬間に天が落ちたかのような轟音が辺りを揺らす。ヒビの走った建物が耐えきれずに倒壊し、舞い上がった土煙が空気を揺らめかせ——しかし。



「——何でおれを斬る?」



 振り下ろされた剣の下で、ワズは一度途切れた問いかけを再び繰り返す。


 座り込んだ彼を中心に広がった地割れは、交差した二本の剣がギリギリと音を立てる度にじわじわとその範囲を広げていく。常人を虫のように叩き潰せるだけの力を受け止め、しかし人ならざる青年は一切押し負けることなく男の顔を見上げる。


「剣を教わるように言われて来た。斬られると教わることができない。おれは何か悪いことしたか? これを見せれば分かるって、」

「その姿」

「?」

「その姿……あの方に与えられたものだろう」

「ユーアのことか?」


 ギチリと剣にかけられた男の力が強まるのを感じながら、ワズは聞き返す。しばらくの沈黙ののち、男はその口元に薄い笑みを浮かべた。


「あの方は本当に、何も分かっておらぬ。御自身のことさえも、何も」

「どういう意味だ?」


 彼の問いに答えることなく、男はワズに向けていた剣を腰に納めて背を向ける。


「何も斬る気のないものに教えることなどない。それ以上傷を負いたくなければ去れ」


 そう言い残した男は門の方へと戻っていく。座り込んだままその背中を見送るワズは、ふと自らの視界がぐらぐらと揺れていることに首を傾げた。


「……あ」


 ぐるり、と視界が回って地面に落ちる。

 首が落ちたのだと気づいたとき、既に彼の体は形を失っていた。



***



 ある深夜の宿の一室。

 本来利用するはずの人物が両方とも不在にしているそこに、一人の少女がいた。


 ひどく整った容姿は人間離れした色合いもあいまって目を惹くが、同時にひとたび目を逸らせばその瞬間に命を落とすような、本能的な畏怖を相対する者に抱かせる。身長よりも長い髪は寝台から溢れて床にまで広がり、窓から差し込む月光に照らされて白く輝いている。その髪にくるまるように横たわり丸くなった少女は、すうすうと穏やかな寝息を立てて目を閉じていた。


 静止画のような、動くもののない一つの光景。

 そこに、何の前触れもなく新たな人間が現れる。


「…………………………」


 扉ではなく虚空から現れたローブの人物は、寝台の上を見て固まった。しばらくして深いため息と共にフードを下ろせば、その下から白銀の瞳が現れる。彼女は、見知らぬ少女に眉をひそめつつ軽く手を振る。寝台の上から少女が転げ落ちた。


「お前がエドウィンか」


 べしゃりと床に伏した髪の塊が、ややあってゆっくりと顔を上げた。顔にかかった髪の隙間から金色の瞳が覗く。


「……ユーアって呼べばいい?」

「ああ」


 引いてきた備え付けの椅子に腰掛けつつ答える。寝台の間に座り込んだ少女が尚もこちらをじっと見つめているのに気づいて、魔女は眉をひそめた。


「お前は私が怖くはないのか? 私のことを知っているのなら、私が魔族に良い感情を抱いていないことも知っているはずだが」


「ヒューロオッドとわたしには何の関係もないよ? わたしのこと苦手みたい」

「……その名前を出すな。虫唾が走る」


 その金色の目を丸くしてしばらく何事かを考え込んでいたエドウィンは、やがてこくりと頷いた。


「わかった。じゃあ代わりに猫ちゃん」

「は?」

「白猫ちゃんみたいでかわいいの」


 無表情のまま両手を頭の上に乗せて「にゃあ」と鳴く少女を見て、凄まじく渋い表情になったユーアは額に手を当てる。


「……先程の言葉は訂正する。私の前であれをそう呼ぶのはやめろ」

「そう?」


 かわいいのに、と呟いて魔族は寝台に腰掛けた。眠たげな欠伸を横目に、魔女は腕を組む。


「それで——私に何の用だ?」



***



 屋敷から叩き返した回数が百を超えたところで、男は数えるのを止めていた。


「未だ、諦めぬというのか」


 剣を握る腕を切り落とされ、腰から上下に両断された青年の気配が再び人ならざるものへ変質するのを、視力を捨てた男はそれ以外の感覚で認識する。人の形を失ったのも一瞬、瞬きをする程の間で再び元の姿を取り戻した青年は、己の剣を確かめるように軽く振った。


「動けなくなるくらい体を壊されたのは初めてだった。それも何回も」

「だから何だ」

「お前は強い。だから、剣術を学ぶならお前がいい」


 喜色が滲んだ声。もしも彼の目が見えていれば、瞳孔も光沢もない漆黒の瞳がそれでも期待に輝いているのが見えただろう。何度も殺してきた相手に向けるには明らかに異常な、人外らしいとも言える反応に男は鼻を鳴らす。


「必要もない剣術を学ぶことに何の意味がある」

「必要がない?」

「剣は斬るためにある。斬らぬ剣など無用の長物だ」


 嘲るような言葉に青年が沈黙する。考え込んでいるのか。やがて息を吸うのにも似た仕草と共に口を開いた気配がした。


「おれは難しいことは分からない。でも、必要がないから意味がないことはない。だから無駄だとも、無駄じゃないとも思わない」


 一つ一つ、言葉を確かめるように青年が言う。たどたどしく、しかし確かに否定の体を成した返答だった。軽く剣を握り直した男は、平坦な声で問いかける。


「ならば、貴様は何故剣を取るか」


 僅かな静寂。小さな身動ぎの後、青年は口を開く。


「好きだから。剣術は面白い」

「…………下らん」


 ぽつりとそれだけ呟いて、剣を下ろす。


「教えてくれるのか?」

「学ぶなら勝手に学べ」

「ありがとう。うれしい」


 屈託のない感謝の言葉。まるで幼子のような反応に一瞬だけひどく顔を顰め、男は踵を返した。



***



 ぽこぽこと一定の拍子で、すり減った石畳を馬の蹄が叩く。

 興味深げに鼻を鳴らしながら見知らぬ街中を歩くエルザの背に乗って、魔女は顔を顰めた。


「んん……ねむーい……」


 背に寄りかかった、人間にしては軽すぎる体が身動ぎする。ぐりぐりと後頭部を押し付けられ、ユーアの眉間の皺がより深くなった。


「おい、何を当たり前のように同乗している?」

「だめなの?」


 背中合わせに後ろに乗っているエドウィンが首を傾げる。馬の背から零れ落ち、地面に引きずっている白い髪を気に留める様子は無い。恐らく実体はないのだろう——その肉体と同様に。


 都市の中心部から外れたこの辺りは、平均よりも貧しい人々の住処となっている。しかし、治安が悪いような印象は受けない。ここまで来る間だけで三組の衛兵たちとすれ違ったのを見るに、都市は彼らの努力によってほぼ完全に統制されているのだろう。


 諍いが起こった時に対処するのではなく、そもそも諍いが起こらないよう徹底されている。


 労力を考えれば効率の悪いやり方だが、この街の事情を考えれば無理もない、とユーアは小さく息を吐きた。


 懲りずに寄りかかってくる魔族に容赦なく片肘を打ちこめば、後ろから不満気な唸り声が聞こえる。魔族が純粋な物理攻撃で痛みを感じることはないはずだが、それなりに不愉快にはなるらしい。


「私とお前の関係性は馴れ合うようなものではないはずだが」

「馬に乗るのはじめてだけど悪くないね」

「聞け」


 雑に言葉を交わしながら、ゆったりと歩く栗毛の鬣を撫でる。魔族に緊張している様子はないようだ。街の人々がエドウィンに目を留める様子がないことも考えると、そもそも認識できていないのかもしれない。軽く手綱を揺らせば、ユーアの意思を汲み取ったエルザは道を曲がっていく。


「目的の場所は向こうで合っているな?」

「分かんないの?」

「確認だ。着いてきたなら案内でくらい役に立て」

「めんどくさーい……」


 ふわ、と呑気に欠伸を零しつつ魔族がぼやいた。



***



 剣が振るわれる。


 否、振るわれるという言葉は相応しくない。ゆっくりと、極めてゆっくりと剣が動く。剣筋をなぞるように何度も、何度も同じ動きを繰り返している。


 雨粒一つ一つの形を描き出せるほど精密なワズの目で見ても、乱れや揺らぎのない素振り。骨の髄まで染み付いた動きをじっと観察していた彼は、ふと首を傾げて口を開いた。


「お前は冒険者なのか?」


 男の剣が一瞬止まる。


「……何故、そう思った」

「この都市には迷宮があるって聞いた。迷宮探索のために鍛えてるわけじゃない?」

「其のようなものに興味などない」


 半ば呆れ混じりの返答に、ワズはさらに首を傾げる。



「じゃあ、お前は何で剣を握ってる?」



 剣が止まる。


「ない」


 青年が聞き返す前に、男はさらに続ける。


「理由など、ない。惰性に過ぎん」


 そう答えて、それきり口を噤んだ。

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