背離 01
ああ、どうか。
どうか教えてください、我が主よ。
憎悪に焼き尽くされ、後悔に塗れたこの手は。
何故今も尚、剣を手放さぬのか。
***
城塞都市エドウィン。
迷宮を中心に発展した、北部の国々にとっての要所の一つ。
大通りを歩く人々は皆、何かに急き立てられるように足早に各々の目的地へと向かっていく。それは、ここが西へと睨みをきかせる砦としての役割を持っているゆえの緊張感か。それとも、シュドレーという北の軍事大国のそのものの気風ゆえか。
石畳を鳴らす様々な足音に耳を澄ませていた少女は、不意にその瞼を上げた。深く被ったフードの下で、長い睫毛に縁取られた瞳に夕陽の色が映り込む。椅子から立ち上がった彼女——ユーアは背にしていた建物を振り返る。無骨な外壁はこの都市を外敵から守る盾であると同時に、内部のものを容易に外へと出さないための檻だ。
そしてちょうど今、そこに併設された兵士たちの詰所から、黒髪の青年が出てきたところだった。
「ユーア……」
「ようやく釈放されたか」
この上ないほどに萎れた表情でのっそりと近づいてきた長身の青年は、小柄な彼女へ覆い被さるように抱き着いてくる。いつもは邪魔だと跳ね除けるユーアも、尻尾を振る元気もない犬のような有様に大人しく受け入れてやることにした。
「いっぱい怒られた……この国もう嫌だ……」
「だ、そうだが? 何か弁明はないのか?」
軽く首を傾げて、彼女は青年の後ろに目を向ける。そこに立つ兵士は、僅かな罪悪感を警戒の眼差しに隠して居丈高に鼻を鳴らした。
「不審な人間がいれば取り調べを受けるのは当然のことだ」
「関所に近づいてくる魔物を倒してやったというのにこの仕打ちだ。理由くらいは聞かないと納得できないだろう」
「余所者に話すことなどない。また拘束されたくなければさっさと消え去れ」
吐き捨てるようにそう言い残して、詰所の扉は勢いよく閉じられる。軽く肩を竦めたユーアは、未だにべったりとくっ付いている青年を見上げた。
「行くぞ、ワズ」
「何か聞きたいことがあるようだな」
少女にそう言われ、そのフードの下の顔をじっと見つめていたワズはぴたりと足を止めた。彼の腕に腰掛けるように抱え上げられているユーアは、軽く指を鳴らしてからこちらに目を向ける。軽く周囲の人混みを見回し、自分へと向けられた怪訝な眼差しが消えているのを確認してから、ワズはその口を開いた。
「おれの剣、魔道具だって言われてたくさん調べられた」
「そうだろうな。私も丸一日かかるとは思っていなかった」
「でも——魔道具だって気づかれなかった」
今は自分の腰に収まっている剣を見下ろして、青年は首を傾げる。鞘の表面には薄らと文様が浮かび上がっているが、調べていた兵士たちがそれを気にする様子はなかった。ああ、と納得したように少女は頷く。
「迷宮から出土した魔道具が万が一にも国外に流れないよう、シュドレーの兵士たちはその特徴を叩き込まれているらしい……が、迷宮の魔道具には作った魔族の趣味が色濃く出る。見た目の特徴をいくら書き連ねたところで、魔道具そのものを見分けることなどできるはずもない」
歩くか降ろせ、と軽く腕を叩かれてワズは再び歩き出す。こちらを認識していない人々は、不自然なほどに自然に彼を避けていく。流れていく石造りの街並みを眺めつつ、ユーアが再び口を開いた。
「魔道具に共通しているのは術式が組み込まれていることだけで、魔術士でない人間がそれを見分けることはまずできない。水の性質を知らない人間は、干上がった小川を見てもその地形に水が関係していたことを認識できないように。ましてやお前のそれは派手な特徴もない、ただ壊れないだけの剣だ。調べるために取られたとはいえ、お前はそのとき傍にいたんだろう?」
「うん」
「ならいい。その剣の術式は、壊れそうになると持ち主の魔力を使って直るように組んであるからな。そもそも簡単には壊れないようにもなっているとはいえ、お前が居ない場所で他の人間が振り回したら魔力ごと生命力を持っていかれて死ぬ可能性もある」
「……これ、すごく危ない?」
「だから肌身離さず持っていろと最初に言ったんだ。帯剣していることで避けられる面倒事も多い。それに、お前が魔物を倒したことで救われた人間もいたはずだ。あの魔物は大した強さではなかったが、偶然が重なれば人の一人や二人は死んでいたかもしれない」
「でも……怒られた」
しょんぼりと肩を落とす彼に、ユーアは何でもなさそうに首を振った。
「この国の兵士が横暴なのは別に珍しくない。特に西から来た人間には当たりが強いものだ。お前は目立つし、騒ぎになったこともあって兵士たちにはとっくにお前のことが周知されていることだろう。……しかし、今回はやけにひりついているように思えた。何か、そうすべき理由があるのかもしれない」
後半は独り言のように呟いて、少女は口元に手を当てる。しばらくそうやって黙り込んでいた彼女は、やがて小さく息を吐いた。
「まあ、片手間にでも調べてみるか」
「おれは何をすればいい?」
「お前がこれからするのは私の手伝いではなく剣術の訓練だが」
「え」
***
入り組んだ路地を何度も何度も曲がり、ワズは先へと進んでいく。ぐるぐると何度も同じ場所を回っているはずなのに、一向に同じ道へと辿り着く様子はない。首を傾げつつも少女の指示に従って進み続ければ、何十度目かの角を曲がったところで視界が開けた。
「門?」
目の前にあるのは、彼の身長よりも大きな柵の扉だ。向こう側にはよく整えられた庭園が広がっていて奥には屋敷が佇んでいるが、なぜかその景色はやけに色褪せて見えた。
「着いたか」
辺りを見回していた彼の腕から降りて、ユーアが呟いた。
「ここに剣を使う人間が住んでる?」
「そのはずだ」
「はず?」
「私が最後にあの男と顔を合わせたのは200年以上前だ。既に居ない可能性もないわけではない。あの男の性格を考えれば、確率は極めて低いが」
「これなんだ?」
話しながら服の襟元に付けられたものを指先でつついて、ワズは首を傾げる。平たくて丸いそれの表面には凹凸が刻まれているようだが、彼に分かったのはそれが文字ではないことだけだ。
「これを付けていれば、お前が私に関係のある存在だと分かる」
「? ユーアは一緒に来ない?」
「あの男に会いたくない」
棘の生えた蔦が絡み付いている小さな鐘を鳴らし、しばらく耳を澄ました少女は一つ頷く。門の向こう側の景色は動く様子がないのに、確かに誰かがやってくる気配をワズも感じ取った。
「頃合いをみて戻ってくる。それまでにあの男から学べるだけ学んでおけ。お前の記憶力があればそう難しいことでもないはずだ」
片手間に転移術式を作り出した少女は、それを発動させる前にふと振り返る。
「ああ、言い忘れていたが——剣は抜いておいた方がいい」
「?」
どういう意味かと聞き返す前に、彼女の姿は跡形もなく消える。
——ギ、ギギ
まるで少女が居なくなるのを見計らったかのように、大きな音が響いた。ゆっくりと、鉄柵の向こうの景色ごと両側へと門が開いていく。好奇心に任せて隙間から中を覗き込んだ青年は、その漆黒の瞳を丸くする。
「あ、」
次の瞬間。
片目に深々と突き刺さった剣が、そのまま彼の頭を貫いた。




