砂のしろ 06
すっかりと日が暮れた秋の森の中でも、魔道具と魔術によって整えられた馬小屋は明るく暖かい。
「すまないな、少しだけ付き合ってくれ」
彼女が首を撫でてやれば、栗色の毛に覆われた生き物は親しげに顔を寄せた。
「ユーア、その魔道具はどう使う?」
少女が片手に持ったままの本に目をやって、ワズは問いかける。視線を受けたユーアは、おもむろに本を開くとそこにあった白紙のページを無造作に破り取った。来い、と手招きを受けて彼が近寄れば、腹部に何かが触れる。
「?」
自分の腹辺りに貼られた紙を、青年はきょとんとした表情で見下ろす。どういうことか聞こうとしたところで、顔を上げかけていたワズは再び下を向いた。白紙だったはずのページに何か書いてある。
「わ、ず……おれの名前?」
「こうして貼ると対象の名前が浮かび上がる。もしも名前がなければ勝手に名前を付ける。ただそれだけの魔道具だ。ほら、使ってみろ」
差し出された白紙の本を受け取った彼は、目を輝かせながら彼女に倣ってページを破りとる。そのままぺたりと馬の脇腹に貼り付ければ、ややあって滲み出すように文字が浮かび上がった。
「……ふむ、良いんじゃないか?」
隣から紙を覗き込んだユーアが彼に目をやる。無言の問いかけにワズはこくりと頷いた。
「これにする」
「なら、呼んでやるといい。お前がこの子につけてやるのなら、最初にそう呼ぶのはお前であるべきだ」
「わかった」
一歩前に出た青年は、ゆったりとした様子で佇む馬の背を撫でつつ口を開く。
「これからよろしく――コルザ」
***
「――お前、本当に着いてくるつもりなのか?」
その問いかけに、とても大きかった生き物はきょとんと目を丸くした。
こうして人間の身体で過ごすのは、彼にとって今日で三日目になる。元よりもずっとずっと小さな身体だが、そんな彼よりもさらに小さな目の前の人間と言葉を交わすにはこちらの方が便利だ。
「光るのがどこかに行くなら一緒に行く。小さい生き物はすぐ死ぬから危ない」
「私はそんなに弱くはない」
「でもずっと起きなかった」
「……」
小さな生き物は眉をひそめて黙りこんだが、今の彼にはまだその意味は分からない。彼が言葉を教えてもらっていたときにも、小さな生き物は度々そんな顔をしていた。
「……まあ、私の邪魔をしないのなら何でもいい。元の場所に帰る気がないのなら、さすがに今のお前を野放しにするわけにもいかないしな」
「?」
「着いてきてもいいと言っている」
「うれしい」
彼はふにゃりと表情を緩め、小さな生き物へと手を伸ばす。最初は力の加減が分からなくて何度も注意されたが、物覚えのいい彼はすぐに力加減というものを覚えることができた。
「着いてくるのなら名前を決めないとな」
「それは何だ?」
大人しく抱え上げられた小さな生き物の言葉に、彼は問いかける。
「存在を区別するために個人が名乗る記号だ」
「竜とは違う?」
「人間はお前とは違って、唯一の存在ではないからな。人の中で過ごすのなら、個を識別するための記号が必要だ。お前とて、私のことをたまに『小さいの』や『光るの』と呼ぶだろう」
「それがお前のなまえか?」
「お前が勝手に呼んでいるだけだろうが。違う」
そこで小さな生き物が一度言葉を途切れさせ、少し下を向いて口に手を当てる。漆黒の双眸をきょとんと丸くして、大きな生き物はその様子をじっと見つめる。しばらくそうしていれば、小さな生き物がやがて顔を上げた。
「名前……まあ悩むほどのことでもないか。お前に特に要望がないのなら私が勝手に決めるが、それでいいか?」
「ああ」
大きな生き物の返答にひとつ頷いて、小さな生き物は口を開いた。
「なら――ワズと名乗れ。それがこれからのお前の名前だ」
8話はこれで終わりです。ユーアさん増量キャンペーンでした。




