砂のしろ 05
目を覚ます。
指先で己の目元に触れ、いつも通りそこが乾いていることを確かめる。
小さく息を吐き、少女は寝台から上体を起こした。落ちかけた陽の光が窓から差し込みその顔を照らす。橙に染まった瞳を眩しさに細めた彼女は、振り向いて眉をひそめる。
「……ワズ、そう凝視するな。落ち着かない」
「ユーアが起きて嬉しい」
すぐ傍らから向けられる、何も考えていなさそうな無邪気な笑み。思わず呆れた表情になりつつ、ユーアは寝台から足を下ろした。壁に掛けていたローブを纏う少女を見て、ワズが首を傾げる。
「これから出発する?」
「いや、明日にしよう。わざわざ夜に行動することはない。どうせ急いでいるわけでもないしな。馬の準備を済ませてきたと言っていただろう。馬具は付けていると馬が疲れる。外してくる」
「わかった。……ユーア」
「何だ?」
部屋を出ようとしていた彼女は振り返る。そこに立っていた青年は、さっきとは打って変わってしょんぼりと項垂れると口を開いた。
「馬の名前……結局決まらなかった」
「……」
まるでこの世の終わりのような落ち込みようを見せるワズ。なんともいえない目を向け、ユーアはため息と共に小さく肩を竦めた。
***
「何してる。早く降りて来い」
扉の向こう、階段を数段降りたところから少女が声をかけた。手前の廊下で立ち止まっていたワズは、目を瞬かせて地下室への入口を見つめる。
「おれも入っていい?」
「今回の地下の片付けはほぼ終わったからな。入ってはならない理由はない。剣は持ってきたか?」
「うん」
「ならいい」
来い、ともう一度促されて階段を降りる。木製の段差を降りていく二人分の足音が狭い通路に奇妙に響く。
やがて辿り着いた地下の扉を、ワズは少女に続いて潜り抜ける。
「…………?」
「扉は閉めるように」
「わかった……」
促されるままに扉を閉じ、再び前へと向き直った彼は目を丸くして周囲を見渡した。
「浮いてる」
真っ先に目につくのは、部屋中に浮かぶ丸いガラス球だ。両手で抱えられるほどの大きさの中には、干からびた葉っぱやぴくぴくと蠢く肉の塊、その他にも彼が理解できないものがそれぞれ入っている。薄らと魔力を感じるので、魔術で作られたものか魔道具なのだろう。
地下室は、地上の家とは比べものにもならないほどに広い。そしてその小綺麗さとぼんやりとした明るさは、彼に迷宮のそれを想起させた。
「ユーアがここにあるものを作った?」
赤い液体の中に浮かんでこちらを見つめる拳大の目玉を通り過ぎながら、ワズは先を行っていた少女の隣に並ぶ。追いついた青年にちらりと目をやった彼女は、その無表情を僅かに顰めた。
「お前には私がこんなことをするように見えるか?」
「分からない……」
「まあそれもそうだな。ここにあるものを作ったのは、この家の本来の持ち主だ」
「ここはユーアの家じゃない?」
「違う。私は鍵を預けられただけだ。使わないからどうせ野宿するくらいなら使え、と」
「いい奴だ」
「…………まあ……解釈によってはそういう見方もできなくはないのかもしれない」
「?」
――パリン!
妙に回りくどい返答にワズが聞き返そうとした瞬間、その大きな音が地下室に響き渡った。
べちゃべちゃと水っぽい音と重い振動が近づいてくる。ユーアが大きなため息をついて足を止めた。同じように足を止めて振り返ったワズは、遠くから迫ってくるものに目を凝らした。
「……魔物?」
最も分かりやすく例えるのなら、それは巨大なトカゲだった。鰭のついた四本の足で巨体を素早く動かし、こちらへと一心に走ってくる。だが普通のトカゲと異なるのは、その表皮は粘液状に溶けており、『トカゲの形をした何か』というほどにまで原型がないことだ。
粘液を撒き散らしながら迫り来る魔物に、ワズは腰の剣に手を伸ばす――途中で、その手を掴まれた。
「ユーア?」
「ここは私がやる」
「でも」
「あれは正しく対処をしないと面倒なんだ。大人しくしていろ」
少女の言葉に、彼は首を傾げつつ手を下ろした。それでいい、というように頷いたユーアが一歩前へと出る。
「上がれ」
――ゴッッッ!!
轟音と共に、魔物の下の床から勢いよく大きな柱が打ち出される。顎を下から撃ち抜かれた魔物は一瞬だけ立ち上がり、そのまま後ろへとひっくり返ってべちゃりと倒れ込んだ。倒れた衝撃でその体から粘液が周囲へと飛び散る。だが、それらは部屋を汚すことなく空中で静止した。
「……全く、せめてもっと処分しやすい魔物を造ればいいものを」
面倒そうにぼやき、ユーアは前に差しのべて緩く開いていた片手をゆっくりと握りしめていく。それに従って、浮遊していた粘液は元の魔物の体へと戻っていく。
否、それだけではない。
じたばたと態勢を立て直すために藻掻いていた魔物が、不意に悲鳴を上げて一際激しく暴れ出す。しかしその抵抗は次第に小さくなる。不可視の障壁によって全身を押し潰されているのだ。抵抗も意味をなさず、その巨体は見る見るうちに小さく圧縮されていく。
やがて、地下室の床には掌ほどの大きさの黒い箱が一つ残された。
少女が箱を拾うと、そこから白い炎が上がって箱を燃やし尽くす。残った塵を手からはらい落として、ユーアはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「これだから人工的な魔物は嫌いなんだ。力の差というものを理解せず突っかかってくる。普通の魔物の方が余程ましだな」
「あまり強くなかった?」
「強さを何と定義するかにもよるだろうな。あれは撒き散らした粘液から新たな個体を生み出し増殖し続ける性質を持っている。そして、万が一部屋を壊して外にでも逃がせば辺りを壊滅させる程度の力はある。いくらお前でも、あれを自力で全て片付けるのは手間がかかるだろう」
「……おれじゃ役に立てない」
「相性の問題だ。そう気にするな。大体、こんな魔物は意図的に造り出さなければまず生まれることはない。責任があるのは対応できないお前ではなく、こんなものを造ったここの家主だ」
再び少女が奥へと歩き出し、周囲にもう魔物が居ないことを確かめてから彼もそれに続く。
「造った?」
「ああ。他の檻に入っているのもほぼ全てが造られた魔物だ。ほとんどが面倒な性質を持っている上、100年以上放っておかれたせいで檻の術式に綻びが出てきている。この部屋にいるとたまにああやって檻を破壊して出てくるんだ」
「なんで魔物を造る?」
「あれから聞いた気がするが興味がなくて忘れた。とにかく、あれは家を貸すという名目でこれらの後始末を私に押し付けたというわけだ。とはいえ押し付け返してもろくなことにはならないのは知っている。むしろ、あれが興味を失っている間に私の手で確実に処分できるならそれが最善だ」
綿のような小さな犬がぱたぱたと尾を振る檻を邪魔そうに片手で押し退け、彼女は答える。
その向こう、地下室の最奥には大きな机と椅子が鎮座していた。床や壁と同じ、小綺麗な机の上には様々なものが溢れんばかりに積まれている。その中に紛れた古い本を一冊手に取り、ユーアは振り返った。
「さて、本題に戻ろうか」




