残影の迷宮 11
リードウッドたちと別れ、いつの間にか管理棟の前に用意されていた長椅子に腰掛ける二人は、扉の軋む音に振り向く。
「馬!」
立ち上がったワズの前で、栗毛の馬は挨拶のように小さく嘶いた。よく手入れをして貰っていたらしく、その姿は最後に見たときよりも小綺麗になっている。鬣を撫でられ、馬は機嫌良さげにワズに頭を擦り付けた。
「お久しぶりですね。ご健勝のようで何よりです」
引いてきた手綱を差し出しながら、馬を連れてきた人物が穏やかに微笑む。皺ひとつない制服に身を包んだ男から手綱を受け取って、眉をひそめたユーアはため息をついた。
「わざわざ副支店長を寄越すとは、商会は随分と暇らしいな」
「ご冗談を。本当に暇なら姉上も一緒でしたよ」
「さらに目立つだろうが。やめろ」
心底嫌そうな返しに、ギル――ルーヴァンス商会ヤレン支店の副支店長である男は控えめに笑い声を上げた。
「そんなことを言うのはあなたくらいですよ。それに、本来であれば姉上だけでなく支店総出で出迎えをすべきです。それだけのことをしていただいたんですから。ただ、どこよりも早く関所の開通時期を知っているというのは、商会にとって強力な利点ですからね。姉上や僕も含めて皆、そちらの準備にかかりきりなんです」
「……私が頼んだのは馬を連れて来ることだけのはずだが?」
新調されている手綱と鞍、そして鞍に乗っている包みを見て、少女は顔を顰める。まるで詐欺師でも見るような目を向けられたことを気配で察知したギルは、苦笑いを浮かべて首を振った。
「これくらいはさせてください。最大限の礼を尽くすようにというのが商会長様からの命ですし、ここまで頼っておいて何もしないのでは僕らの気が済みません。それとも、祝宴を用意して歓待する方がお好みで?」
「嫌がらせか?」
「であれば、どうかお受け取りください。借りはできるだけ早く返すのが僕たちの信条なんです。いつまたヤレンにいらっしゃるか分からないでしょう?」
しばらくの沈黙ののち、大きなため息をついたユーアは手綱を握り直す。満足気に頷いた男は、飽きることなくワズに撫で回され続けて少しうんざりとしていそうな馬に目をやる。
「商会の馬の世話係の話では、とても大人しくしていたと。他の馬と喧嘩することもなく、穏やかで物怖じせずとても世話がしやすかったそうです。ただその……誰も名前を聞いていなかったので、どう呼べばいいのか分からなかったそうですが」
「名前? そういえば付けていなかったな」
「……不便では?」
「そうでもない。旅の中では、馬と言えばこいつしか居なかったわけだからな」
「あー……」
少女の返答に、ギルは納得の声を上げた。
「改めて、最大限の感謝と敬意を。特別なお客様との取引を記録に残すことは禁じられているため、御二方の名前やその功績がヤレンに語り継がれることはないでしょう。ですが、御二方のお陰で西と北に住む様々な人々が救われたことを、少なくとも僕と姉上は生涯忘れません。……どうか、良き旅を」
深く頭を下げて見送る男に、ワズが軽く手を振る。ユーアが軽く手綱を引けば、二人を乗せた馬はゆっくりと歩き出した。
「ユーア、名前はどうやってつける?」
心地の良い揺れに身を任せながら、最初の頃よりも馬の乗り方に慣れたらしい青年が問いかけてくる。
「いろいろだ。響きでつけることもあれば、花の名前や古い英雄の名前などから取ることもある」
こくこくと頷きながら、青年は彼女の肩越しにじっと馬を見つめる。長く続く街道の先を眺めつつ、ユーアは口を開いた。
「遅くともシュドレーまで行けば馬は売るつもりだ。早めに決めないと意味がないぞ」
「……売る?」
「シュドレーより北は厳しい土地になるからな。馬には荷が重い」
青年が愕然とした表情を浮かべているのが、背中越しに伝わってくる。そういえば確かに言っていなかった、と思いつつ、久々の重さに少しばかり歩きづらそうな馬を魔術で支えてやる。
石畳を蹄が叩く心地のよい音を聞きながら、少女は久方ぶりの穏やかな昼下がりに目を細めた。
***
「――え、今何て?」
グラスに口をつける直前でその手を止め、リードウッドは顔を上げた。
冒険者本部に戻った冒険者たちは、恒例の拳骨を食らった後に簡単な報告をして解放された。ひとまず今日は休み、詳細は明日聞くと支部長が気を利かせてくれたのだ。しかしながら、数日ぶりに緊張から解放されてこのまま大人しく休む気にはならず、どちらからともなく馴染みの酒場に足を運んだのだった。
テーブルの向こう、酒が回って気分良さげに頬を赤らめている女は、聞き返す彼の固い声にきょとんと首を傾げる。
「何って……ああ、あんたはあの時離れたところに居たんだっけ。あの子、すごく綺麗な顔立ちしてたけど、それ以上にその瞳の色が印象的だったのよ」
レイネが話しているのは、協力者の片割れであった少女のことだ。彼と比較する意味がないほどに隔絶した力を持つ魔術士である彼女には、今回大いに助けられた。
旅人という人種において、顔や姿を隠している人間というのはそう珍しいものではない。ましてや彼女は魔術士であり、その容姿を記憶されたくないのはごくごく自然だろう、と深く触れることはなかった。むしろ、どちらかといえば同行者である青年の方が目立っていた。あそこまでの高身長は冒険者にもそういないし、暗闇を塗り固めたような黒髪も珍しい。
だが、西部風の肉料理を摘みながらレイネが何気なく口にした言葉は、リードウッドにとってそれら全てを消し飛ばすだけの威力がある情報だった。
「……灰色とか、薄い青とかじゃなく?」
「白銀の瞳で間違いないわ。あんな珍しくて不思議な色、見間違えるはずないもの」
掌がじっとりと汗ばんでいるのを感じる。酔いがもたらす体の火照りによるものではない。そもそも、酔いにより判断力が鈍ることを嫌う彼は酒をほとんど飲まない。今グラスの中に入っているのもただの水だ。
白銀の瞳。それはすなわち――
「……いや、いやいやいやいや。無い。絶対無い。ないないない」
その先の思考を強引に断ち切るように、リードウッドは否定の声を上げる。
ありえるはずがない。何かの勘違いだ。いや、確かにレイネの目は信用しているが、ならもしかすると自分の耳が悪いのかもしれない。もしくは頭がおかしくなって、現実を正しく認識できなくなっているのかもしれない。いやそうだ。そうに決まっている。
そう自分に言い聞かせながら、グラスの中の引き攣った顔を見つめる。
「……おじさんもお酒飲んじゃおうかな。記憶飛ばせるようなキツいやつ」
「すみませーん、注文っ!」
「待ってレイネちゃん早い早い」
だいぶ酔いが回ってきているのか、元気よく挙げられた手を掴んでリードウッドは首を振る。
「えー? だってあんたのお酒……」
「冗談冗談。それに明日は支部長に報告行くんだぜ? レイネちゃんも二日酔いにならない程度に抑えないとだろ?」
「大丈夫よ。そんなに酔ってないもにょ」
「いや酔ってる。めちゃくちゃ酔ってるよ。また潰れて帰れなくなるって」
「んーおいしい!」
「話聞いてレイネちゃん」
料理を口に運び、無邪気にもぐもぐと口を動かしているレイネを見て、彼はひとまず自分の考えを保留することにした。
7話はこれで終わりです。8話はどんな話になるか今のところは未定です。気長にお待ちください。




