残影の迷宮 10
「それで、話を戻すが」
新たな書類を指先に引き寄せつつ、ユーアが口を開く。
「魔術戦争の最中、ほとんどの国で躍起になって魔術を追い求めていたことは知っているだろう? その中では、かなり凄惨なことも行われていた。例えば、何人もの人間の血肉を用いて魔力を召喚し、後天的に魔術士を作り上げる実験。例えば、捕獲した魔物に様々な人間や魔術士を食わせて強化する実験。例えば……おい」
腹部に回した腕を叩かれて、ワズは無意識に強まっていた力を緩めた。ちらりとそのしょぼくれた顔に目を向けた少女は、ため息をついて再び紙束へと視線を戻す。
「……魔術を知らない人間というのは、やたらと血肉や命が何か特別な力を秘めていると思いたいようだ。残念ながら、こういう愚か者はあの頃珍しくもなかった。そういった話に巻き込まれれば大抵ろくなことにならない」
分解と組み立てを繰り返して、少しずつ術式の修復が進んでいく。傍らに浮かぶそれに目を向けることすらなく、ユーアは続ける。
「戦争が終わったことで、魔術を追い求めることは特に厳しく処罰されるようになったが、いくら規制しようとも魔術を求める人間が居なくなるわけではない。しだいにそういった活動は、人身売買や非合法品の取引などをしている後暗い組織と結びついた」
「……じんしんばいばい? ひごうほうひん?」
「要するに、悪いことをして金を稼いでいる組織ということだ。希少なものは価値が上がるからな。規制されるものには規制されるだけの理由があると理解できない俗物共は、どうしても居なくならない。魔術に関係する文書は、魔術を求める人間にとって値千金の価値がある。そうして取引された文書がまたくだらない犠牲を生む。……私がこういった文書を処分して回っている理由が分かったか?」
「……うん」
華奢な肩に頭を乗せて、ワズは小さく頷いた。
今ここに、確かにユーアが居ることに安堵する。息遣いと心臓の音。背中から伝わる体温。膝の上の重さ。匂い。そういったものが、今までに失われなかったことを嬉しく思う。
人間の営みは面白くて尊いもので、その命も失われていいものではないと思う。だがそれ以上に、腕の中の少女が失われていないことに何よりも安堵していることが、個としての自我を確立して時間が経っていない彼にとっては、少しばかり奇妙に思えた。
「――ということで、だ」
切り替えるようなその言葉と共に、少女が消える。
「お前、さっさと地上に戻れ。ここに居ても役に立たない」
転移で抜け出したユーアは、ソファーに座る彼の前に立って上を指さした。中途半端に両腕を浮かせたまま、彼はぽかんと口を開いて固まる。
「私のしていることがとても重要なことだと理解できたはずだ。それなら、私の邪魔をせずに大人しく上に戻っていろ」
「……て……手伝う」
硬直から抜け出し、何とかその言葉を絞り出した青年に、今はフードを外している少女は怪訝そうに首を傾げた。
「何を手伝うつもりだ? お前は記憶力が良すぎる。資料の内容を読ませる気はないぞ」
「……紙を運ぶ」
「必要ない」
軽く手を振るえば、散らかった机から並んで飛んできた資料がユーアの手元にやってくる。
「…………ご、護衛」
「要らない」
ぱちりと指を鳴らせば、一瞬で構成された術式がユーアの周囲に結界を作り出す。
「……」
「……」
理由を探して目を泳がせる青年と、それを無言で見つめる少女の間に沈黙が流れる。ややあって、先に口を開いたのはワズの方だった。
「…………………………戻る」
凄まじい葛藤を呑み込んで、彼は項垂れる。その肩を軽く叩いて修復の終わった術式を反映させながら、ユーアは首を傾げた。
「私たちの本来の仕事は冒険者の護衛だ。私がここを離れられない以上、お前がやるのが最適だと思うが?」
「……分かってる」
分かっている。分かってはいるのだが、妙に今の状況に納得しきれないのは何故なのだろう。渋々とソファーから立ち上がり戻ろうとしたところで、ふとあることを思い出したワズは、既に新たな書類に手を付けている少女を振り返った。
「魔女って言ってた」
ぴたりと、魔女を名乗る少女が動きを止めた。その横顔を見つめながら、ワズは続ける。
「ミレヴィナは魔術大国を滅ぼしたのに、魔術大国の魔女だった?」
「……今も残っている魔術大国の記録の中に、『魔女がいた』というものはない。そもそも魔女という地位自体、魔術戦争後に各国に魔女たちが現れたことで確立されたものだ」
僅かに彼のほうに目をやった少女は、無表情のままに平坦な声で答える。
「ミレヴィナが本当に魔術大国を滅ぼしたのかも、滅ぼしたのだとして何を考えてそうしたのかも、私には分からない。ミリィと名乗ったあれが本当のことを言っていたのかも定かではないし、真偽を確認をする方法もない」
話はこれで終わりだ。
そう言い残して、魔女は背を向けた。
***
「――ようやく見えてきたわね」
街道の終わりにある、谷を塞ぐように築かれた関所の門。二人にとってはよく見慣れたそれを見て、レイネがしみじみと言った。
「いやぁ……マジで生きて帰って来れるとは。さすがに今回こそ死んだと思ってたぜ」
「縁起でもないわよ」
「今だから言えることじゃん?」
「それはそうだけど」
リードウッドが軽口を叩いて笑いかければ、頬を緩めた彼女はしょうがないと言うように肩をすくめる。にわかに騒がしくなってきた関所に着き、駆けてきた衛兵と二、三言交わした冒険者たちは振り返った。
「お嬢ちゃんらは街に入らずにそのまま出発するんだよな?」
そこには黒髪の青年と、猫か何かのようにその腕に抱えられているローブの少女がいる。朝方にふらりと戻ってきてからというもの、何故かぶすくれたワズにずっと抱えられてきたユーアは、ぶらぶらと揺れる己の足から顔を上げて頷いた。
「ああ。だからルーヴァンス商会に伝令を送ってくれ。預けていた荷物などをここで受け取る手筈になっている」
「了解しました。ヤレンへの協力、感謝申し上げます」
軽く一礼をして、衛兵は関所に併設された管理棟へと戻っていく。青年と少女のいつものやり取りにも慣れた二人は、特に質問することもなくユーアを見る。
「ねぇ、本当に大丈夫? 次の街まではかなり距離があるけど……」
「野宿には慣れているからな。それに関所が開通すれば、審査待ちで混み合うことになるだろう。急ぎでもないが、無意味に時間を取られたくはない」
まだ微妙に不満そうな青年の腕からするりと抜け出し、少女が地面に降り立つ。傍らのレイネと顔を見合せたリードウッドは、ひとつ頷いて口を開いた。
「んじゃ、ここで解散だな」
改めて向き直り、四人は互いに目をやる。そこにある雰囲気は、何かを協力して乗り越えた者たち特有の信頼感と親しみだ。
「本当にありがとう。私たちが調査を終えて無事に戻ってこられたのは、紛れもなく二人のおかげよ」
「本部への報告はおじさんらに任せていいぜ。うちの支部長はちゃんと説明すれば納得してくれる人だから、今回も拳骨貰うくらいで済むだろ」
「リードウッド、痛いのはよくない」
「支部長の拳骨はヤレンじゃ甘んじて受けるのが恒例だぜ? あの人にはみんな世話になってるしな。ま、迷宮ぶっ壊したのに拳骨一発で済むならマシだ。おじさん、とんでもねぇ額の賠償金とか払えねぇもん」
「とんでもねぇばいしょうきん……」
「あまり言われるようならこちらに責任を押し付けていい。判断をしたのは私で、実際にやったのはワズだ。お前たちは関わっていない」
「マジぃ? んでも大丈夫だと思うぜ? その辺どうにかしてくれるのが支部長だし」
「……その支部長とやらも、随分と苦労させられているようだな」
同情するようにユーアがため息をつく。リードウッドは「んはは」と気の抜ける笑い声を上げ、レイネは気まずそうに目を逸らす。きょとんと首を傾げているワズだけが話を理解していなかった。




