残影の迷宮 07
いくつもの光の槍が放たれる。
身を捩って直撃を避けた少女は、舞い上がった髪を数本焼きながら後退し、大きな瓦礫に片足を乗せる。足の裏に構築していた術式の発動と共に瓦礫が爆発し、その体を大きく上へと弾き飛ばした。
ひっくり返った視界の中で、激しい炎が床を覆う。間一髪で空中に逃れ、片手を壁へと向ける。
「っ、」
石材を抜き取って足場としようとしたらしき少女は、手応えのなさに瞠目する。組み上げた術式が反応しないのだろう。
一瞬の思考の空白。
それを狙って勢いよく射出された石材が、その小柄な体を横から叩いた。容易く弾かれ、壁へと叩きつけられる。人の体から発せられるものとは程遠い轟音と、着弾点から走る蜘蛛の巣状のヒビが、その威力を窺わせる。常人であれば赤い染みになっていてもおかしくはない。
力の抜けたその体はべしゃりと床に落ちる。既に床の炎は消えているが、落下の衝撃だけでも打ち所が悪ければ本来は死ぬだろう。
こつり、と足音が鳴った。
舞い上がった砂塵の中から、その全てを眺めていた彼女は静かに歩み出る。瓦礫の上に倒れ伏す少女を見下ろして、その白銀の瞳を細めた。
「興醒めだな。所詮は姿を模しただけの偽物か」
その両目に失望を滲ませて、ユーアは息を吐く。
山羊頭がいた大部屋は半壊し、崩れた壁からは他の通路が見える。少々派手にやりすぎたかもしれない。だがここが魔族の迷宮を模している以上、向こうへの影響はまずないだろう。
「…………ふふっ」
目を向ければ、横たわっていたミリィがゆっくりと身を起こしたところだった。鼻から零れる血を汚れた手の甲で拭いながら、少女の姿をしたものはふらふらと立ち上がる。
「ふ……ふふ、ふ……」
「何が面白い」
問いかけるユーアの目にあるのは、床にぶちまけられた汚物を見るような不愉快さだけだ。死んでいないのは分かっていた。なぜなら、彼女自身が死なないように加減をしたのだから。
ユーアの声に応えて、それが顔を上げる。
「あはっ、楽しい! 楽しいわ!」
血と砂でめちゃくちゃに汚れた顔の中で、その青い両目だけが異様な熱を帯びて輝いている。
「魔術士との戦いってこんなに楽しいものなのね! ふふふっ、こんなことならあの人とも解体する前に遊んでもらえばよかった! つまらない堂々巡りばかりしていたけど、もしかしたら強かったのかしら! ふふ、でもいい。どうでもいい。あなたとの戦いはとっても楽しい! ね、もっとあなたを教えて? あなたの魔力の味、あなたの術式の癖、あなたの全てを教えて? わたくしのことをめちゃくちゃにして?」
興奮によってさらに鼻血を流しながら、恋に落ちた少女のように蕩けた瞳でユーアを見つめる。
「…………死体で作った肉人形と会話をする趣味はない」
しばらくの沈黙ののち、極めて渋い表情になった彼女が返せば、ミリィはおかしげに笑って頬に手を当てた。
「ふふっ、ひどいわ。これでも頑張ったのよ? 人間の体の作りを学んで、魔物や人間を使って少しずつ調整したの。何度もぐちゃぐちゃにして、ぐちゃぐちゃになって……ね?」
「私はお前の餌食になった冒険者とは面識がないし、見ず知らずの死人に情をかけるほど慈悲深くもない」
「あら残念。あなたの綺麗な顔が歪むところ、見たかったのに」
嗜虐的な笑みをあっさりと消し去り、頬を膨らませる姿は本来可愛らしく魅力的なものだろう。だが、ユーアは眉一つ動かすことなくその片手を向けた。
ゆっくりと彼女の周囲を漂っていたいくつもの瓦礫が、一斉に放たれる。人を模したその華奢な体をすり潰し、この世から消し去らんとする。轟音と衝撃が迷宮を揺らした。
「――あは」
砂塵の中から楽しげな声がする。
「駄目よ、ちゃんと殺す気で撃たなきゃ、ね?」
一切の防御をしなかったのだろう。腕が潰れ、脚がずたずたになり、それでもそれは満面の笑みで立っている。
抉れて飛び散った肉が少しずつその体に戻っていくのを横目に、ユーアはちらりと足元に転がる短剣に目をやった。ミリィが魔術を使わずに投げてきたものだ。恐らくは、こちらが魔術の発動を感知できることを看破されている。その上で、後隙に正確に差し込んできた。
いくらこちらに殺す気がなかろうと、動けない程度に痛めつけられることは理解していたはずだ。
その上で――即座に攻撃を選んだ。
「……つくづく厄介な女だ」
ミレヴィナという魔術士は天才だった。生まれ持った魔力は決して多くなかったにも関わらず、その女は魔術士として飛び抜けた素質を持っていた。事実、偶然の巡り合わせで膨大な魔力を得たミレヴィナは、まるで運命付けられていたかのように、フェーデルシアにおいて最も優れた魔術士となった。
「ふふ、でも気に食わない。すごくすごく、気に食わない。わたくしの知らないわたくしが、わたくしよりも先にあなたに知られている。腹立たしい。わたくしが最初にあなたに知られたかったのに、ね? あは、でもでもでも、今のあなたを知ってるのはわたくしだけ。今のあなたを独占してるのはわたくし。そういうのは悪くないわ、ね?」
「それ以上囀るな。不愉快だ」
「ふ、ふふふっ! ああ……やっぱり、わたくしあなたが好きよ。どうしようもなく愛おしくてゾクゾクしちゃう。もっと、もっと遊びましょう、ね? あなたかわたくしが朽ち果てるまでずっと、ずっと!」
幸せそうに笑ったそれが両手を広げれば、周囲の瓦礫が浮かび上がる。それさえも、先程よりも魔力の操作が洗練されつつあるのが分かる。
「……話にならない」
負ける気はまずない。だが、油断していて楽に勝てる相手でもない。
浮かび上がりかけた足元の短剣をブーツの踵で踏みつけ、過剰な魔力を流し込むことで強引に術式を解除する。長丁場になりそうな気配に、ユーアは深い深いため息をついた。
***
「今でも名前が伝わっている魔術士は、各国の魔女を除けば魔術大国時代にしかいない。黒将軍、全知のデルゴーグ、蝕縛のポルネリ……そういう化け物共の中でも、ミレヴィナは純粋にその凶悪さで有名な魔術士だ」
口にすることすら嫌そうにしつつ、リードウッドはそう切り出した。耳を引っ張って何度も問い質すことでようやく話し始めた男の言葉に、レイネは背負われたままで耳を傾ける。
「いろいろと真偽の疑わしい逸話はあるが、一番有名なのは魔術大国の滅亡を引き起こした大罪人だって話だな」
「……それ、本当なの?」
魔術大国といえば、300年ほど前に滅んだ国だ。かの国が滅んだことで魔術戦争が起き、この大陸は長く混乱に見舞われた。もしもそれが真実ならば、魔術戦争を初めとした全ての元凶がたった一人の魔術士だということになる。
リードウッドは肩をすくめ、投げやりに首を振る。
「ミレヴィナの名前は魔術士の間じゃ有名すぎる。詳細はあまりにも尾ひれがついてもう分からん。王族も国民も全員皆殺しにしたとか、大規模な魔術で国ごと吹っ飛ばしちまったとか……特にとんでもない話じゃ、ミレヴィナは生きていて今も亡霊のように中央部をさ迷い続けているってのもあったか。ま、さすがにそりゃあ安易に中央部に入る奴を減らすための教訓だろうが……」
そこで言葉を途切れさせた男は、憂鬱そうにため息をついた。
「……正直、おじさんはいろんな噂が一人歩きして勝手に一つの名前に集約しただけだと思ってたんだがなぁ……お嬢ちゃんが名前だけであそこまで警戒するってことは、少なくともその存在と危険性は本物なんだろマジで関わりたくねぇおじさん今から帰っていい?」
「ワズ、私が降りてリードウッドを担ぐまで待ってもらっていい?」
「ごめんてちょっと洩れただけだから許して……おじさんの心臓ツルツルだから……」
しょも、と顔を萎ませた男の耳をぐいぐいと引っ張っていれば、前を走る青年が振り返る。
「止まる?」
「大丈夫みたい。気にしないで」
ワズは不思議そうに頷いて再び前を向くと、やってくる魔物たちの群れを走りながら切り捨てた。耳をさすりつつそれに続くリードウッドが口を開く。
「お嬢ちゃんの話じゃ、迷宮の魔物ってのは核から生み出されて、核に生かされているらしい。奴ら自身も核を壊されたら死ぬってのは理解してるから、こうして死に物狂いで向かってきてるんだろうな」
「来る方向が一方向になってきたわね」
「なりふり構う余裕もないってことだろ。これなら魔力の流れを辿る必要もねぇぜ」
魔物の数と強さはどんどんと勢いを増している。だが、こちらの足は全く止まらない。ただ、前を走る青年の戦い方がしだいに人間離れしていっているだけだ。もしも相手が迷宮の魔物でなければ、今頃ワズは全身血みどろになっていただろう。
「今の見た?」
「どれ? 拳で二枚抜き?」
「それ。あ、蹴りで首取れた」
「怪力にも程があるわよ……」
まるで見世物でも見るかのように、冒険者二人は呑気に言葉を交わす。これほどの危険に晒されていながら身の安全を危惧する必要がほぼない、という意味の分からない状況に二人は内心困惑していた。




