残影の迷宮 06
二人の話し声が聞こえる。
少し聞き慣れた青年の声と、よく聞き慣れた男の声。
温かくてがっしりとした背中に背負われて、揺られている。ゆっくりと開いた瞼の隙間から、流れていく無機質な床が見えた。
「リードウッド……」
掠れた声に、レイネを背負って走る男が一瞬振り向いた。
「あ、レイネちゃん起きた。まだ頭ぼーっとしてるだろ? お嬢ちゃん、ちょっと手荒な方法で精神操作解いたから、大人しくおじさんに背負われててな」
「……状況、は?」
「あれはお嬢ちゃんが受け持つっていうから逃げてきたとこ。ちょいとやること増えたから、向かってるのは上じゃなくて下だけど。ワズくんそこ右」
「わかった」
十字路の正面から迫り来る山羊頭を足を止めずに斬り捨て、黒髪の青年は右に曲がる。男がそれに続き、二人は階段を降りていく。
「……ごめんなさい」
リードウッドの首に掴まる腕に少しだけ力が籠る。顔を隠すようにその肩口に顔を埋めて、レイネは小さく鼻を啜った。
「ごめん、ごめんなさい……ただでさえ足でまといなのに、みんなの足、引っ張って……」
蚊の鳴くような声でしか言えないことが情けない。謝ることしかできないことがもどかしい。せめて彼の重荷になりたくないのに、だるさの残る四肢ではまともについていけるかも怪しいために大人しく背負われているしかない。少し熱がある時のようなぼんやりとした意識の中で、ただただ自責ばかりが増していく。
「……あー、ワズくん頼むわ」
「ああ」
二人の足音が止まり、代わりに剣戟と呼ぶには物騒な破壊音が断続的に聞こえる。己を背負う男の、少し荒い呼吸にじっと耳を澄ましていた彼女は、不意のため息にびくりと肩を震わせた。
「レイネちゃん顔上げて」
「……嫌」
「しゃーねぇなぁ。じゃあそのまんま聞いてろよ?」
もう一度ため息をつき、レイネを背負い直したリードウッドは口を開く。
「前からちょいちょい思ってたんだけど……レイネちゃんさぁ、ちょーっとおじさんのこと都合よく解釈してるとこない?」
「……なんの、話よ」
聞き返す言葉に困惑が混じったのが自分でも分かった。リードウッドが何を言いたいのか分からない。んー、と唸った男はぽりぽりと頭を掻いて肩をすくめる。
「こんなこと言うと失望されそうだからあんま言いたくないんだけどさぁ……おじさん、自分のことしか考えてないのよ。まあ素性が素性だし、下手に他人信用しちまうとろくなことにならねぇからってのもあるんだが。知らない奴と危険なことに巻き込まれたら相手見捨ててでも自分のこと優先するし、知ってる奴でもどうにもできない状況なら俺は同じことをするよ。だっておじさん絶対死にたくねぇもん。出来ないことは絶対に頑張らないと決めてんの」
壁に凭れるようにして休憩しつつ、男は続ける。
「でもレイネちゃんはさぁ、すげー頑張るじゃん? おじさんより後に冒険者になったのに、おじさんの等級すぐに追い越したじゃん? 戦うときももうなんか、壁走ったり飛び跳ねたりとんでもねぇ動きしてるじゃん? おじさんが街でだらだらしてる間も、魔物討伐したり体鍛えたりして頑張ってるじゃん?」
こっそりと、顔を上げる。少し離れた先で山羊頭の群れを蹂躙している青年を眩しいものを見るように眺めながら、リードウッドは口を開く。
「レイネちゃん見てるとさぁ、『俺も頑張んなきゃな』って自然に思えるんだよ。そういうの、本当に久しぶりだったんだよねぇ。ま、おじさんにできる頑張りなんて微々たるもんだし、欲をかくとろくな事にはならないのはよく理解してるが、やっぱりそういうのって悪い気分じゃないよな」
振り返ってレイネを見た男が、悪餓鬼のような笑みを浮かべる。
「レイネちゃんは足を引っ張ってたっつぅけど、おじさんだってお嬢ちゃんに任せきりだったぜ? 10歳近く年下のお嬢ちゃんに守られて楽してたとか、情けなさとしてはおじさんの方が上じゃねぇ?」
堂々と、そんなことを言ってのけた。
「…………何、自慢げに言ってんのよ」
ずび、と鼻を啜ったレイネはその肩口にぐりぐりと額を押し付ける。
「……帰ったら、洗濯代、払うから」
「えぇー? やだ助かるぅ、レイネちゃん太っ腹ー」
「あんたより、稼いでるもの」
「おじさんは物欲ないからいいんですぅー」
子供じみた仕草で口を尖らせているだろう髭面を想像して、レイネはくすりと笑った。
「終わった」
「お、助かったぜ。じゃあ行くか」
無傷で戻ってきた青年に答えて、リードウッドは壁から体を離す。そのまま再び走り出そうとする男の服を、レイネはそっと摘んで引っ張った。
「ねぇ……彼女は、大丈夫なの……」
「お嬢ちゃん? あー……大丈夫だろ。な?」
「うん」
こくりと頷くワズには、あの少女を心配する様子は一切ない。
「何を根拠に、そんなこと」
「……魔術士ってさぁ……魔力からうっすら感情とか読み取れんの。怒りとか悲しみとか、そういう悪い感情は特に読み取りやすいんだが」
そこでレイネは、己を背負っている男の手が僅かに震えているのを感じ取り、思わず目を丸くする。いつも、どんな時でも飄々としているのがリードウッドという男なのだ。それがここまで動揺するとは、何が起きているというのか。
さらに聞こうとしたところで、迷宮が揺れる。地震とは明らかに違う、大きな爆発音がずっと上の方からくぐもって聞こえた。
「いや本当……マジで味方でよかったわ」
ぼそりと呟いたリードウッドは、引き攣った笑みを浮かべた。




