残影の迷宮 04
「――間違いないわ、探していた冒険者の一人ね」
長い螺旋階段を降りて下層へと辿り着いたところで、二人はそれを見つけた。
レイネが冒険者証を確認している横では、ワズがきょろきょろと周囲を見回している。
「服と装備がない。魔物に食われた?」
「そうだとしても、冒険者証本体がここまで綺麗なまま残ってるのは違和感があるわ」
「紐が切れて落とした?」
「……そうね。そう考えるのが妥当なのかしら」
強い力でちぎれた紐と、そこに絡まっていた冒険者証。
うまく口にすることができない違和感を感じるものの、レイネには明確に掴み取ることが難しい。何はともあれ、これが手がかりになることは確かだ。他の二人にも報告できることができたとひそかに安堵しつつ、彼女はそれを荷物に仕舞う。ワズと二人での成果とはいえ、これで少しは貢献できただろうか。
――そこで、助けるべき相手の手がかりを得点のように考えている自分に今更気づき、嫌気がさす。
「レイネ?」
「……ごめん、気にしないで」
零れた溜息に、先へと進む通路を覗き込んでいたワズが振り返る。不思議そうな漆黒の瞳に気づかない振りをして、その横を通り過ぎ――ふと立ち止まった。
「どうした?」
「あそこ……女の子が居る」
上層と変わらない、妙に小綺麗な通路の先。そこに一人の少女が蹲っている。
小柄な背中や低めの身長は、途中ではぐれてしまった魔術士の少女と同じ程度だろうか。身体に合っていない大きすぎる服を、袖をまくって何とか着ている。
こちらに背を向けて床に屈みこみ、何か確認していた少女が立ち上がる。振り返ったところで、通路の先にいるこちらに気づいて固まる。
一瞬の緊張。
先に動いたのは少女の方だった。脱兎の如く背を向けて逃げ出した少女を追いかけて、レイネも走り出す。後ろから追従する青年が何か言っていたが、その内容に耳を傾ける気にはならなかった。
壁を蹴り、床を跳ぶように駆ける。
横の通路から出てきた魔物の首を切り飛ばし、その屍を足場にしてレイネの体はさらに加速する。
「ねぇ待って! こんなところで一人じゃ危ないわ!」
声が聞こえたらしく、少女がちらりと振り返って少し迷うような素振りを見せる。さらに説得を重ねようと口を開いたところで、不意に少女が体勢を崩した。靴下さえ履いていない足先を床の段差に引っ掛けた少女は、勢いよく倒れ込む。
「大丈夫!?」
腕で受け身はとったようだが少女が立ち上がる気配はない。レイネが追いついて声をかければ、ぱっと振り返った少女は腕で後ずさりながらこちらへと警戒の眼差しを向ける。
「ごめんなさい! 痛かったでしょ? 手当てをさせてくれないかしら?」
少女は、差し出したレイネの手を固い表情で見つめる。もう一押し何かないかと考えていたところで、反対の腕を掴まれた。
「レイネ、危ない」
追いついてきた青年が困り果てたような顔で腕を引く。引き留めるように掴まれた腕を振り払い、レイネは青年に胡乱げな目を向けた。
「何言ってるの? こんな女の子、放っておけるわけないでしょ?」
「でも、」
「いいから黙ってて。……大丈夫、安心して? 私は味方よ」
青年の言葉を切り捨てたレイネは再び少女へと視線を戻した。じっとこちらを見つめていた少女が、ちらりと後ろのワズを気にする素振りを見せる。
「彼のことは気にしなくていいわ。あなたを傷つけさせたりしないから」
再び手を差し出して、安心させるように柔らかな笑みを浮かべる。
「私はレイネ。あなたの名前は?」
しばらく視線を行き来させて逡巡していた少女は、やがて恐る恐るといった仕草で手を重ねる。手を引かれてゆっくりと立ち上がった少女は、その淡い色の花弁のような唇を開いた。
「――ミリィ」
***
「まあ……さすがにこれじゃもう迷宮とは言えねぇわな」
しばらく通路を歩いた先には、明らかに人が住んでいたのだろう生活感がある部屋だった。どう考えても人を招くことを想定していない荒れた室内を見回しながら呟けば、先を歩く少女が「そうだな」と答える。
「迷宮を参考にした、隠れ魔術士の研究室といったところだろう」
「こんな大規模なもん作れる奴の研究室に勝手に入るなんてまずいんじゃね? おじさん、魔術士との戦いなんてちんぷんかんぷんだけど」
「私はよく知っているから問題ない、が……その心配はなさそうだ」
先導していた少女が足を止める。物が多い部屋の中で、そこだけがぽっかりと開けて大きく床が見えているようだ。追いついたリードウッドはユーアの隣に並んで、そこに散らばるものに目をやった。
「……なぁにこれ」
「これがその魔術士だ。死んでから随分経っているな。死体が完全に干からびている」
「うぇ、マジぃ? あー……確かに言われてみれば魔力の残り香が同じような感じ……か? いや薄すぎて分かんねぇわ。とんでもなく苦しんで死んだことしか分からん」
「魔力からそれが読み取れるだけでも十分だ」
「感情読めると迷宮で役立つからねぇ……隠されてる罠から悪意読み取れんのは我ながら強いわ」
床一面に広がる黒い汚れは恐らく血の跡だろう。そこに仰向けに横たわっている死体は、無数の部位に分解されて執拗なまでに丁寧に並べられている。両開きの戸棚を開くように中央から開かれた胴体の隣には、干からびた内臓が分かりやすく配置されていた。
顔を顰めて惨劇の跡を眺めていた彼は、少女に向かって口を開く。
「お嬢ちゃん、これってさぁ……魔物に殺されたっつーよりは……」
「ああ、殺害というよりは解剖に近い。人とは限らないが、一定以上の知能があり人の手のような繊細な作業のできる存在が行ったとは考えられる」
「まあ人間と断定するのはちょっと早いか。魔族とか?」
「有り得ない話ではないが、確定もできないな」
乾いているとはいえ、躊躇いなく汚れの中に足を踏み入れるユーアに少々引きつつ、リードウッドは他の場所の調査を始める。
物が置ける場所には満遍なく紙束や本が積んであり、さらにその上にはよく分からない形の置物が置いてあることもある。紙や本に書かれている内容は、魔術に関する研究のようだ。彼には全く理解できない理論や術式の構成を分解したようなもの、謎の言語で書かれた走り書きもある。上着が無造作に丸まっているソファーの横には、空になった酒瓶がずらりと並んでいる。恐らくは寝台代わりだったのだろうが、ここにいた魔術士は自堕落な生活をおくっていたようだ。
手持ち無沙汰に、ぼんやりと光る天井を見上げる。人間の死体が残っているということは、ここは迷宮の範囲ではないのだろう。光っている天井は恐らく上層の床で、そこから光を採り入れているようだ。
「……それにしても、迷宮の主がとっくに死んでるってのにこの迷宮は動いてんだな」
「それはそうだ。迷宮は基本的に、魔力を溜め込んだ核を動力に動いている」
「あそうなの。んじゃあ、魔族ってのは核の魔力がなくなって迷宮が機能停止しないように、定期的に魔力の補充に来てんの? なんかみみっちいねぇ」
死体の調査が終わったのか、同じように部屋の調査を始めている少女は、揶揄するようなリードウッドの言葉に首を振る。
「いや、魔族の迷宮の殆どは地中の魔力を利用している。この大陸の地中深くには、純粋な魔力の流れがある。魔族はそこから魔力を引いてきて核に蓄えるような仕組みを作っている、らしい」
「らしいなんだ」
「人づてに聞いた話だ。迷宮にはそこまで詳しくない」
「ふーん……まあ魔族じゃなくて魔術士が作ったってのなら、ここも魔術士が魔力を込める仕組みだろ。放っておけばここもそのうち機能停止するのかい?」
「恐らくは。だが、何年かかるかは分からない。もしかすると、何十年もかかるかもしれない。機能停止させたいなら、さっさと核を壊してしまうのがいいだろう」
「さすがにそこはおじさん一人の判断じゃあ難しいかなぁ……ん?」
こつん、と靴先に何かが当たった感触に足元を見下ろす。そこに落ちていたのは、開いた両手を合わせたほどの大きさの額縁だ。荒れた部屋には似つかわしくない置物を拾い上げる。うっすらと魔術の痕跡を感じる額縁の中は空っぽだ。
「それは……」
首を傾げて観察していたリードウッドの隣で、いつの間にか近くにいたユーアが覗き込んで声を洩らす。
「これが何か知ってんの?」
「少し……いや、かなりまずいな」
差し出された額縁を受け取って、表裏を確認しながら少女は固い声で続ける。
「これは、人間の姿形の情報を術式として保存する魔道具だ。だが、入っていた術式は既に中にはない」
「えーっと……?」
「この中に特定の人物を再現できるだけの量の情報が入っていた。それが使われているということは、その人物が既に何かしらの方法で再現されているということだ」
「話を聞く分に、別にその魔道具が何かやべぇものって訳じゃないんだろ? あくまで保存するだけのものみたいだし。お嬢ちゃんは何をそんなに警戒してんだ?」
「ああ、悪い。肝心の説明が足りなかったか。問題なのは魔道具でもその技術でもなく、入っていた術式……正確にはその元になった魔術士だ」
リードウッドに裏が見えるようにして、少女は額縁をこちらへと差し出す。
「――この大陸において最も名の知れた魔術士を、お前は知っているか?」
目の前に突き出された額縁の、その裏に走り書きのように小さく刻まれた名前。少女の言葉の意味を理解した彼は思わず息を呑み、口を引き攣らせた。
「……マジ?」




