閑話・護衛の憂鬱
忙しなく行き交う兵たちでできた人混みの中、ある一区画だけがぽっかりと空いている。
そこはこの西部の戦において作戦本部となっている、各国の指揮官が集まる石造りの砦の横。山のように積まれた物資の箱のひとつには、ある男が座っていた。
男の名前はシゥルド。いつもは不真面目でいい加減な、掴み所のない緩い雰囲気を纏っている。それでありながらも魔女という、この西部において最も重要な役割をもつ存在の剣であり盾である。「なぜあんな男が」という批判をそよ風のように聞き流す、得体の知れない剣士。それが、彼個人を大して知らない人々からの評価だった。
その男は今。
「…………………………………………」
一国の軍でさえも一人で容易に殲滅せしめる。そう噂される実力にふさわしい威圧感をもって、そこに居た。
いつもであれば批判的な眼差しや陰口、血気盛んな兵士なら難癖をつけにやってくるような、開けた場所。しかし、据わった目で煙草を燻らせている男に近寄ろうとする者は誰もいない。この場所に行軍してきた、侵略者の殲滅に息を巻く各国の兵士たちですら、明らかに不機嫌であることが分かる男を見れば無言で踵を返す。
女受けのよさそうな、整った顔に浮かぶものは何もない。それは決して何も考えていないというわけではなく、身の内に煮え立つ何かを仮面のような無表情で覆い隠しているだけだ。
ちょうど吸いきった分の煙草を傍らの缶に投げ入れて消火し、また次の煙草を取り出して火をつけようとした彼。その顔に陰がかかる。
「ここに居たか、シゥルド」
「……あ゛?」
無表情のまま、ドスの効いた声と共に顔を上げた男。しかしその威圧を真正面から受けた相手もまた、一切表情を変えずに続ける。
「来い。貴様とは話をしておかねばならん」
「……」
相手へと据わった目を向けたまま、魔女の護衛はゆっくりと立ち上がる。限界まで張り詰めた空気に、周囲でひそかにその状況を窺っている兵士たちがごくりと息を呑んだ。しかし声をかけた方、壮年の兵士はまるでそのような威圧などないかのように、平然と背を向けて歩いていく。周囲の予想を裏切って大人しくそれに続いたシゥルドが去っていき、物資保管所には平穏が訪れた。
緊張から解放された兵士たちが恐る恐る話し始め、すぐに喧騒がやってくる。
「……な、なぁ……あれ、報告とかした方がいいのか?」
「わ、分からんが……報告するとしても誰に報告すればいいんだ? 魔女様に俺たちみたいなのが声かけられないだろ……」
「やべー……声をかけてたの、どこの兵士だ? あの威圧に全然動じてなかったぞ」
「あの服は確か……キーバルの隊長格じゃなかったか?」
***
「殺気が喧しい」
部屋に入るなりグリダがそう切り出せば、男はぶすくれた表情をさらに不満げにして口を開く。
「そう思うなら放っといてくれよ……機嫌悪いの分からないか?」
「貴様の機嫌が悪いときはほぼ確実に魔女様関係で、私にできることはない。そして、私は貴様の機嫌を見て出直すような性格をしていない」
「あーはいはい分かった分かりました。んで、第二隊長様が何の用?」
示した椅子にどっかりと腰を下ろして、シゥルドは面倒くさそうに話を促す。
「先日の件についてだ。第二が巻き込まれた以上、詳しく話を聞かねばならん。キーバルを出る前に部下に連絡させたはずだが?」
「そんなこともあったっけ。あんたの部下、常に喧嘩腰だからまともに話聞く気失せるんだよな。俺は魔女様ほど寛大じゃないんで」
「そんなことは知っている。丁寧に接して欲しいのなら素行を改めろ。もしくは――貴様がその身分を明かせば済む話だが」
差し出された手を軽く跳ね除けて、グリダは半ば投げやりに答える。馬糞でも投げつけられたかのように顔を顰めた男は、指先に灯した火で咥えた煙草の先を炙りながら肩を竦めた。
「冗談じゃない、自由に動けなくなるだろ。それに魔女様の評判が悪くなる」
「それが分かっていながらその体たらくか」
「それが分かってるからこの体たらくだよ」
この男がまだ少年であった頃から変わることのない返答。小さくため息をついたグリダは向かいの椅子に腰掛け、出会った頃よりも随分と背が伸びた弟弟子に目をやった。
「先代の王の頃に、キーバルでは平民出身者を集めて今の第三部隊が作られたことは、あんたも知ってるよな?」
「当然だ。それ以前の第三は第四に、第四は第五に名前が変わり、キーバル軍は規模が大きくなった」
「じゃあ、隊長がスタインツに変わるまでのずっと、第三が秘密裏に傭兵のように貴族共の依頼を受けていたことは?」
「…………は?」
遅れて聞き返したグリダに、シゥルドが肩をすくめた。
「まあ知らないよな。知らないに決まってる。規則に厳格で頭の固い第二隊長を買収しようとするような奴はいない。むしろ、キーバルにおいて最も警戒されてたのがあんたのはずだ」
「……なぜ、第三はそんなことをしていた?」
「さあ? でも第三の前の隊長は元傭兵だ。兵士としての自覚どころか、貴族の味方をしてるつもりも王族を裏切ってるつもりもなかっただろうさ。おおかた、金のためじゃないか?」
崩れそうになっていた煙草の灰を缶の中に落としつつ、男は続ける。
「例の宰相の関係者としてそいつが投獄された後、後任になったスタインツはその状況をどうにかしようとしていた。でもキーバルの貴族は強いし平民出ばかりの第三には後ろ盾がない。そこで先代の魔女がちょくちょく第三にちょっかい……もとい頼み事をするようになったわけだ。だから魔女様に第三をつけてたのはさ、第三を利用しようとする貴族共への牽制だったわけだ。まあ、それでも湧いてくるアホは居たんだがな。アホ王子とか」
「……つまり、だから第三に魔女様への敵意があったわけではない、と? 貴様にしては随分と甘い判断をする」
「もちろんそれだけじゃない。今のは単なる前提としての説明だ。俺が第三を敵とみなさなかったのには別の、もっと確実な理由がある」
「それは?」
「ワズ」
その名前を聞いて、グリダはその鉄面皮をわずかに顰めた。些細な変化だが、それを目の前の男が見逃すことはない。
「あれ、あいつのことはあんたもそれなりに気に入ってたと思ってたんだが、俺の勘違いか?」
「……真面目で勤勉なところは評価する。だが、あれが居ると部下が軒並み腑抜けになる」
「まあ犬みたいな奴だからね。めちゃくちゃでかいけど」
「あれがこの話にどう関係している?」
脱線しかけた話を軌道修正するように問えば、シゥルドはにやりと笑った。
「あいつが臨時の護衛だってことを、スタインツは最初から知っていたんだよ。俺が直接教えたんだ」
「何故だ?」
「魔女の護衛になりたいと考えるような人間なら、臨時なんて立場じゃなく即座に正式な護衛になろうとするし、不真面目で不敬な俺に対して敵意を抱くだろ? でも、西部の人間にとっての『あたりまえ』はあいつには通じない。あいつにとっては、うちの魔女様も俺もあんたもスタインツも、全部同じなのさ。面白い奴だよな」
くつくつと、愉快そうに笑いながら男は続ける。
「もしもセフィスがそれを知っていたら、いくらあいつでもワズを利用しようとなんて考えなかっただろう。でもセフィスは知らなかった。それはスタインツがあいつにそのことを教えなかったってことだ。あいつじゃ自力でそこまで辿り着けないからな。スタインツは本当に最低限の協力しかしていない。あんたと派手にやり合ったのは個人的なものとは別に、魔女様たちの撤退の妨害をしない言い訳作りもあったはずだ。ま、多少派手にやり合っても死なない相手ってのも理由かな」
「あくまで元王子の命に従っているという体裁は保ちつつ、事情を知る者には敵とみなされないような立ち回りをしていた、と。器用な男だ」
「そうでもしなきゃ、第三は今でもアホ貴族の奴隷だっただろうからな。キーバル国王もその辺りを理解しているから、多分厳しい判断をする気はない。戦だからと沙汰を先延ばしにしたのも、戦が終わった喜びの雰囲気をうまく利用して第三への罰を軽くするつもりだからだろ」
吸いきった煙草を缶に放り捨てて、シゥルドは立ち上がった。勝手知ったるという様子で部屋の荷物を漁って茶葉の缶を取り出す男を横目に、グリダは得た情報を頭の中で整理する。
実の所、別にグリダは事の顛末を知ったからといって特別何かをする気はない。そもそも、王子の命で広間から遠ざけられていたというのに勝手に首を突っ込んだのはこちらだ。ただ最低限、自分と部下たちが何に利用されたのかを理解しておきたかったというだけだ。
切りのいいところで思考をまとめたグリダは、顔を上げる。
「一つ、聞きたい」
「どうぞ? 答えられるかは内容によるけどな」
勝手に沸かした湯をポットに注いだ上に、荷物から取り出した茶器を机に用意している男を眺めつつ彼は口を開く。
「もしもスタインツが本気で魔女様に刃を向けていたのなら、それがどのような理由であれ貴様はあの男を斬ったのか?」
部屋の中に沈黙が降りる。しばらく考え込んでいた男は、不可解そうに眉をひそめて首を傾げた。
「当然だろ、魔女様の敵なんだから。……これ、わざわざ聞くようなことか?」
「……そうだな。時間の無駄だった」
「いや別にそこまでは言わないけどさ……」
茶を注ぎつつ、シゥルドはぼやく。はい、と湯気の立つカップを渡してくるその深緑の双眸に、何一つとして揺らぎが見られないのを確かめて、グリダは静かに目を伏せた。
――全くもって、何も分かっていない。
これの何を見れば、無能などとくだらない陰口を叩いて侮ることができるのか。
この男が普段動かないのは、力がないからではなく理由がないからだ。この男の恐ろしさが広く知られていないのは、その一線を踏み越えた人間が生きていないからだ。この男が己への蔑みに憤らないのは、対象が魔女ではなく自分だからだ。
たとえどれだけ親しくしていた相手だろうと、どれだけ長く付き合ってきた相手だろうと、魔女の敵だと判断した瞬間にこの男は牙を剥く。もしも(もちろん万が一にも有り得ないことだが)グリダが魔女へと剣を向けたのなら、この男は一切の躊躇いも感慨もなく彼を、そしてそのまま制御のきかない不穏分子である第二部隊をも鏖殺してのけるだろう。
『あたりまえ』が通じないのは、この男も同じだ。
これは紛れもなく狂犬だ。守るものがあるからこそ番犬で居られているだけの、怪物だ。
薄くため息をついて顔を上げる。向かいに座る金髪の男に目をやれば――
「……んー……? あれ、違う……か?」
「…………………………何をしている貴様?」
「あ、やっべ」
緩く広げた片手の指先を、まるで人形を糸で操るように微調節しながら首を傾げていた男がさっと手を握りしめる。思わず洩れたらしい声とその表情を見て、グリダは確信を得た。
「魔女様は代々自らに課した制約を守っていらっしゃるというのに……見ていれば貴様、先程から随分と自由だな? 一体私に魔術で何をするつもりだった?」
「いや今のはこう……秘密を知っている相手への甘えみたいな?」
「言っておくが、私が魔女様と距離を置いているのは師匠との繋がりから無駄な憶測を生まないためだ。貴様の愚行を書簡で報告する程度なら問題はない」
「ちゃんと謝るから本当にやめてくれよ……魔女様本気で怒るとじいさんより怖いんだよ……」
「魔女様を師匠と並べるな」
「そう言ってる時点でグリダもあの二人が別の生き物だと思ってるじゃんごごごご」
その無駄に整った顔を片手で鷲掴みにしながら、グリダは大きなため息をついた。
***
「顔潰れた……グリダの脳筋馬鹿力に潰された……」
「あの程度ではまだ潰れん」
「潰したことある人間の言葉怖……」
両手で頬を摩りながらシゥルドは顔を引き攣らせた。
「……それで、俺がお茶用意するの黙って見てたってことはまだ話があるってことだろ? 何?」
「あの娼館を魔女様に紹介したと聞いた。ついに現実を直視する気になったのか?」
「え、何で知ってるんだよ気持ち悪」
「……妻から聞いた話だ。私の妻はあそこ出身だ」
「あー、そういやそうだった。忘れてた」
勝手に引いて勝手に納得した男がうんうんと頷く。
「先代の魔女様がお前を産んだのはちょうど、今の魔女様の歳ほどの頃だろう。あそこを利用して逢い引きするような男が魔女様にできたわけではないのか?」
「えー……えぇー…………魔女様結婚したいとかあるのかな……え、えぇ……うわ……嫌すぎる……脳破壊……」
「違うのか。残念だ、妻が喜んでいたのだが」
「跡継ぎのために魔女様をどこの馬の骨とも知れない男にやるくらいなら俺が相手探して結婚して子供作る」
「貴様気持ち悪いな」
「結婚……結婚か……」
率直な罵倒にも反応らしい反応をせず、シゥルドはぶつぶつと呟く。
「魔女様に好きな奴が出来たら応援……応…………いやうちの魔女様に指一本でも触れようもんなら指一本も残さないが?」
「貴様の考えなど知らん」
「分かってるよ分かってるんだよ……でもさぁ……でもさぁ……! うちのかわいくて聡明で優秀でかわいい魔女様をさぁ!!」
異常な熱量で従妹の素晴らしさを語る男の声を、グリダは遠くへと思いを馳せることでいつも通り聞き流す。
先代の魔女がキーバルを去ったとき、「従妹に自分以外の男が近づくのが許せない」という控えめに言ってイカれた理由で残ったこの男が少しでも変わったと思ったのが間違いだった。あのワズという青年が護衛についたときももしやと思ったのだが、あれは人間というよりも大型犬だった。
――魔女様の方は、跡継ぎの件について考えていらっしゃるのだろうか。
意識して距離を置いているグリダには、彼女の個人としての人となりはあまりよく分からない。とはいえまだ10歳の頃から魔女としての才覚を発揮してきた方だ。きっとどうにかなる――と思ってしまうのは甘えだろうか。
「初めて会った時さぁ、シゥルドって言えなくて『しーうど』って言ったんだよ! かわいい! かわいいの暴力!」
「喧しい。その話は100回以上聞いた」
何故か床に転がりながら叫ぶ男に強めの蹴りを入れて、グリダは大きな大きなため息をついた。




